スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

道路脇に浮かんだ枯れ葉 いち

表題。

戦場で拾われない死体となにが違う。


水溜まりに銃弾が跳ねる。


それを眺めるぼくは生きているんだろうか。


足裏から匂う悲鳴に、ガレの愛を込めて。


ガレは陶器に、ぼくは自身に。

雨と足音と紫色の背景

引き寄せられる。吸い込まれる。


そして消える。消え失せる。一ミリも残さず。


だから、わたしは紫がすきだ。飲み込まれたいから。

なくなったあとにわたしは赤色を残したい。決して黒に染まらず、鮮やかな赤でありたい。


だから赤くなるように物を摂取する。それはいま食べたラーメンにラー油を入れたように。赤色。


たしかにイチゴジュースを見つけたときに妙に興奮したのは、赤色だったから。


気づけば赤いパンツ。上にグレーのセーターなんか羽織るから、中途半端なんだよ。


振り切れ、極地へ。


さようなら紫。明けたら赤におはようさん。

傘越しに見る水滴は透明だった。

手首に垂れる赤い直線

映像とはいえ、人が手首を切る映像は初めてみたかもしれない。


だからといって何かが変わることはない。


淡々と呼吸するだけ。からだのどこかで叫び声が聞こえたような気がしたけれど。


昨夜から食欲が消え去り、きっと台風一過で全部元通りになるという楽観視。湯船で半身浴をして生を謳歌する錯覚。


覇気はなく吐き気はする。世界にか、自分にかはわからない。



瞼が開くとき、狂気の箱が私を見つめる。正面からにらめつける紫に打ち克てるほど、強くはないんだ。気づいたときには、染め上げられているだろう。



途切れ途切れの血に愛を込めて。

虹色のサヨナラ

たくさんお酒を飲んで、すぐ風呂に入ると臨死体験になる。ふわあと広がる温度が体に染み込んで行くのがたまらない。

それにしても、突き刺さった映画をみた。わたしを槍でめった刺し。

『パーフェクトレボリューション』

峯田の歌声。全部受け入れるクマ。突っ走るミツ。全部全部。


自分の為の映画だと思った。だから、最高だった。

まだ生きていたい。そう思うことができたのは映画の中だけ。映像の中だけ。

でも。






現実は残酷に語りかけてくる。


サヨナラの色は、紫だけていいのに。
前の記事へ 次の記事へ