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眠っている電車内

ちんぷん散文。3時の散文。

午後3時の電車のなかは妙に寝ている人が多い。寝てしまった!という具合で皆寝ていてなんだかほんわかする。


夢のような、夢じゃないような世界を生きている、多分。妙に暑いし、ぶわんと感じたらなんだか生きていることを実感する。


モディリアーニ…という漫画に、「時間をかけた作品とそうでない作品は一瞬でわかる」といった具合の台詞があって、ジャコメッティがまさにそれであった。


どこかに走ってしまうシュールレアリズムではなくて、目の前の事象を淡々と見つめ続けたジャコメッティ。試行錯誤しつつも、常に目の前を正確に捉えようとした。

文学、絵画、映像といった類いの作品には一定の意味しかなく、それ以上ではない。大事なことは試み続けることだ。という言葉には、ずっしりとした重量がある。有言実行してきたからだ。変に、格好をつけた野暮な言い回しではない。


静物を動物、動物を静物とする。そして、静物は死んでいるわけではない。生きることを求め、描き、掘った彼の信念に深く尊敬したい。


目の前に一生懸命になれないなら、未来なんか来てくれない。仮に自己肯定で装っても、服は透けていく。そう、大事なことは試み続けることなんだ。


足を止めてはいけないけれど、足元の道をしかと見つめて「歩いてるところは紛れもなく道である」と唱えて石橋を歩くべし。絶対なんてないけれどね。

未来が来ないのくだりは、メッセージをみて気がついたこと。今年一番いい映画だったかな。


ちょっと上の人が現れた。背が高い。あとなんか動物。試行錯誤の毎日です。


昨年着られなかった浴衣を今年はきちんと着たいなと。夏祭りって多分花火より好き。花火は暗闇に切なさを照らし出すけど、お祭りは懐かしさが頭をまわる。まあ金魚すくいのときはちょっと悲しいがね。


ラピスラズリが思ったより入ってこなくてびっくりしている。山尾さんの文章おもいっきり雪の日なんだけど!と言い訳をしながらね。幻想文学はこの時期にはあわないね。


寝ている人たちがみんな起きました。

背中越しの夜空

背中は自分では見られないので、必然的に他人の背中になる。

人は同時に時間を体験できない。いま空が青いねと言った瞬間の空と、見上げた瞬間の空はちょっと違う。コンマ何秒の世界かも知れないが、そこには明確なズレがある。確かに太陽がいま爆発しても、何秒の間かは地球から変わらない太陽の姿が確認できることは天文学の常識だろう。偉そうに書いたが全部中島らもの受け売りではある。

らもは言う。その誤差を埋めるためには抱き締めるしかないんだと。そのために両手があるらしい。


そう考えると、地球滅亡系の映画で男女だ抱き合うのは自然なことかもしれないね。


そんなこんなで又吉の『劇場』を読んだ。実に久しぶりに本を最後まで読んだ気がする。


正面からたいまつを無造作に投げられ、胸の内側を燃やされた。溶け出た蝋燭から垂れる感情は冷めないまま。叫びだしたくなるだけではなく、ゼロの状態になる。何度でも読むことができる。彼は書き終えたとき、きっと泣いたんだろうと思う。自分を押しつけること。ああ未熟だと。なんと未熟だと。人に言われて、本で気づかされて。又吉が描くヒロインに当てはまる人なんていない。けれど、それでも共感してしまう。ただ読むんじゃなくて、何かをくれる。自分の足りないことを投げつけられる。火を浴びるだけではだめだ。火の光のなかから選んで咀嚼すること。火傷なんて当たり前だ。その温度を乗り越えないと、人は自分の道を自覚して歩くことができない。

この文章を書くことはちょっと前だったらできなかった。忘れていたんだと思う。頭は常に動かさないといけない。忘れていたのはそれだけじゃない。相手のことを考えること。記憶を手繰り寄せる努力をしなかった。死んだあとにありがたみがわかるような偉人と同じ。そんな簡単なことに気がつけない。それが人間だ。又吉が描く生身の人間だ。でも記憶を手繰り寄せることをしないといけない。それが自分だと思うなら。

昨夜友人(先輩も同期も後輩。先輩だって友人だと思う。生意気かもしれないけど、そう思いたい。)とぶっっとおしで酒を飲んだ。きっともう飲まない量。でもかつてあった笑顔はそのままで。その熱さが、むき出しの腕を焦がした。燻って臭いはずの匂いが透き通っていたのはきっと燃えるゴミが体内になかったせい。笑い転げることって大切だね。天と地が入れ替わってしまうんだもの。


ミュシャのスラヴ叙事詩。広大な絵が妙に悲しくて。人を惹き付けるのは情熱だけじゃなくて、静かに燃える青い光だと語りかけてきた。絵でしか表せない言葉をぼくは見ることができた。それだけで泣いてしまいそうだった。


ぼくたちは未来を正確に知らない。現に、美味しいのかなあと期待しながらカフェラテに豆乳をいれたものいま飲んでるけど全然美味しくない。未来ってそんなんだと思う。でも、


確かなことは、今の自分にできることを一つずつ積み重ねていくこと。永遠は一瞬の積み重ね。2回も観に行ったハーロックでそう教わったじゃないか。


入学、入社、入籍、そして死ぬこと。全部遠いところにあるのだから簡単に口に出してはいけないんだ。思っても、胸に秘めておけ。思ったのなら、今の自分にできることをやりなさい。そう、コツコツとやるしかないんだ。カッコ悪く、若さを理由にしたっていい。もう間違えないでほしい。強く思えば、きっと自意識は変わっていく。


人生(人生という言葉を使う人には気を付けた方がいい)って、いつでも変えてしまえる。自意識を変えるのは内側ではなく、外側。だから大自然、宇宙、友人のもとなどへ行って色々なことに出会っていくべきなんだろうね。そして、不思議と動かない不可変のモノに出逢う。それを簡単に運命とか言ってしまう物語がちょっと多すぎるね。運命じゃない。言葉に負けるな。不可変をちゃんと見なさいな。前からだけじゃなくて、横とか後ろからとか。それでも見ることができないものがある。中身だ。でも、ザックザック掘ることはできない。たまに無断で壊す輩が、夕方のニュースに現れるけど。中身を知ろうとして一瞬一瞬を大事にするんだ。勝手に決めつけちゃだめ。だって大自然だって宇宙だって可変する。ましてや人だって可変する。あらま、不可変が可変する。だから、一瞬をまばたきで逃してはいけないんだろう。逃したと思ったら全力で追いかけてみよう。まあいいやで終わらせちゃ全部後悔する。


全力で生きないと先立っていったひと、いま生きているひと、明日死んでしまうひとに合わせる顔がない。別に合わせなくたっていいんだけど。でも、走ってみたいんだよね。道を。自分と他人のために全力で走りたい。たったそれだけのこと。


週末。日曜日。六本木にて。

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