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さざ波

吉本隆明が、これからの詩人はありもしない「普遍的な言葉」を追求していくのだ、とか言ってた気がする。そんなことを思う季節、秋の到来である、



記憶は遠ざかり、また押し寄せる。そう、波のように。僕は濤声という言葉が好きだ。君は、海の声を聞いたことがあるだろうか?



波は伝達手段に過ぎない。声に耳を傾けないと、途端に荒れ狂う。 短気だなあと思う。僕にアニミズム的信仰はないが、ぼんやりと妖怪や幽霊は信じているので、海の声はうすらうすら聞こえてくる。



僕たちの声は、どんどんしぼんでいく。声は短命だ。ガレの陶器のように、何かに張り付く植物たちの生死の刻印に、さぞ嫉妬していることだろう。 



だが、海は違う。波の生き残りたちが、海風に乗って、僕たちの耳を撫でる。 風は財布に優しいのだとか。なんと、無料で乗れるとのこと。なるほど風に乗ってみたいと思うわけだ。そして、風になりたい。だって僕たちは、表現者であり送迎者だから。



風はじっとこらえて想いを運んでいく。彼ら彼女らの沈黙に支えてもらっていることを、僕たちは感謝していくべきなのかもしれない。
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