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冷徹に冷酷に

止まらない。留まらない。人間関係。


人間関係は主観的な視野をどこまで狭めるか。尺度の数値によりけり。言い換えるなら、水平線をどこで区切るか。主眼をそこに置いた場合もはや疲労感など感じるわけがないのだ。

肉体的疲労なら許せるが、モヤモヤからくる精神的疲労は許しがたい。故に自分を第一にしなさい。そもそも、モヤモヤさせるのは大抵自分を大事としてないから。そんな藁にすがる必要なんてない。



嗚呼哀しい。しかし、背負うべきものではないので背負いなげ。さようなら、振り返ることなく影だけを感じて。


人間万事塞翁が馬。なんてね。


負の感情を感じる時点でもう無理はしない。だってたくさん出会う友人はいるから。


ペットボトルに吹き込んで蓋をして。

物語は終わらない

物語が終わっても「足」は止まらないのだ。道は未知なる方向へと散らばっているから。


このあいだ、酔っ払った武道家に「世界観が広すぎておもろいわ」と言われた。イッツアスモールワールド風でいたかったぼくはあえてうなづいた。ああ、世界がこうして閉じていく。雨が降ると、開閉式のドアは「意思」に関係なく仕事をしていくわけだ。

「うし」なった。喪失感などと言い捨てることで、ぼくはドアを開く。


そのままにしていたら、負の感情は「壊死」していく。どうせならパアッと油で揚げなさい。そういえば、昼飯はケンタッキーだったな。


「おし」まい。




そう、終わらないのだ。仮死状態でも沸騰させればもとどおり。起死回生。奇しくもよみがえっていくぼく。消し去ったはずの感情まで付随して。虎視眈々とぼくを狙う影となって。差し迫った危機からタイムスリップして、幕末の志士の高杉晋作が辞世の句を詠む横で、寿司をほうばりたい。あの頃はセシウムなんてものはなく、素知らぬ顔をして、辞世の句を嗜むわけ。知識なんて持ち合わせていないのに。


津島祐子がいなくなってしまった。あの歳になっても哀しみを文字に刻むのは、あっぱれ。あの世でも素晴らしい文章を書いているのか知りたくて、思いを馳せ手紙を書いてもきっとなしのつぶてであろうよ。


新宿西口を出たさきのカレーをたべるデートをした。インドカレーの美味しさよりも、食べてるときの彼女がとにかくかわいかった。カレーの作り主に感謝しないとな。


冷たいねしんどいね。ではなくて、今日のしあわせをせめて温かい言葉で包装してあげて(ラッピング下手)。


カモノハシからひしひしと伝わるぬくもりは不思議。へし折られたきもちをカモノハシはなだめてくれる。



実は星が好き。星新一も好き。とくに星座が好き正座は嫌い。オリオンを殺すために蠍が放たれたから、蠍座が出るとオリオン座は沈んでいて、蠍座が沈むとオリオン座が出るという話が一番好き。


真下がいないと踊るシリーズはヒットしなかったのかもしれない。最終回とかさ。不倫女を警備するときの、お弁当をチラ見しているときにゴクリとするすみれさんは至高。思考が止まる可愛さがある。正義の濫用性を無視しない踊るシリーズはやはり他とは、一線を画する。近ごろ踊るシリーズばかり見ていて、撮り溜めしているとと姉ちゃん見てない。もし、花束を君に送るならなにが似合うかしら。


ヤシマ作戦の音楽のなんともいえない良い感じ。比喩しても伝わらなそう。なにもかも伝わらなくてはいけない理由なんてなく、それでよしと割り切るのも大事なこと。


ユーラシア大陸の外れにいるぼくたち。そんな地理知らなくていいって?いやいや。ぼくたちは小さな島国で生きているし、みんな疲れている。素晴らしい四季を与えられし日本は、もっとのんびりしてもいいんじゃない?そんなことを考えるために地理の知識は必要なのさ。ロシアとのことなんてどうにかなるよ(孫崎さんの本があれば大丈夫)。


遊びを鷲掴みにした文章でした。着地点をしらばっくれるのはよろしくない。とと姉ちゃんの前の朝ドラに出ていた平塚らいてふより、「原始、女性は太陽であった」を拝借して、ちゃんちゃん。





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