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物は言いよう

お風呂上がりのグリーンラベル。早朝のアルバイトを思うと一抹の不安があるが、不安を一握の砂に変えて未来へ放り投げた。指の隙間から零れ落ちる希望は自分の足にこびりついていく。


選挙の日は暑かったね。扇動されることのないよう、自分を持ちなさい。自分ってなに。


きりこについて/西加奈子

始まりと終わりが見事。それはさておき、きりこはかわいいという尺度で世界をはかると、価値基準がかわいいかかわいいくないかで分かれることに気が付く。二元論的な考えはとても危険だというメッセージ。その結果きりこは、他人からみた自分という世界(境界面)=いれものと、外見ではなくて内面の自分(心の形、自己認識上の自分)という中身、二つそろって自分だということに気づく。物はいいよう。


でも、某党の「前進か後退か」や勝ちか負けかなどの二つしかない選択肢が多すぎるのは確か。


明るいときは滅びの兆候であり、明るいときがいちばんおそろしいと吉本隆明は説く。物はいいよう。 



大きい物語と小さい物語。大きな物語はまだ終わっていなくて、勝手に操作されたより人工的な物語ばかりだ。街へ出よう。書物に毒されてどうするんだ。



発泡酒おいしくないね。



もっと。目を見て。機械とたまには倦怠期くらいの関係性。ちょっといいよね。



市川崑に晩酌を

 

ラルフ・ミリバンド「男性または女性が遭遇するのは、彼らが立ち向かった他の男性または女性よりももっと巨大な国家である。」

個人であれ集団であれ国家なしには成り立たない時代。スポーツ選手だけではなく、恋人や夫婦間でさえお互いの背後に国家が見え隠れする時代。お金というものは、本当に怖いと思う。実体のないのもを実体のないものに期待するという実体のない数字が出た。数字蹴っ飛ばしたいな。9を蹴ったら6になるのかしら。


足音は急行列車。それを止めるのは思考力。知識は二の次。そのへんは頭の良いやつが手を変え品を変えやってくれるさ。



耳をすまして目を凝らして。熱中、傾倒することはわるいことじゃない。芸術に飽きたらキミがフィルムになればいい。焼かれても煮られても文句は絵の具の筆に込めて。はーーー生きよう。ため息は鼻呼吸でするといいんだって。あいうべ体操。



オリンピックといえば。あともうちょっとで甲子園。


夏祭りの良さは光と人の目。思考の避暑地は川底。礫との関係なんかそっちのけ。人は軋轢のなかで、軋む板を忍び足で踏んで渡る。でも目の前に林檎飴があったら。赤に吸収されていつのまにか緑に走って、気づいたら草むらで手術着を着る。ああお祭り、あいわなびーあ屋台の鉄板。あつ。

生茶と日本

youtubeを開くと総理がしゃべる。前進か後退かとこっちに問う。



私自身は、その二択なら前進がいい。(ちょっとちょっとちょっと) 



ザタッチの登場である。 何かお忘れでない?そう、「どちらともいえない」がないじゃないか。


日本人は〇〇ともいえない(間違ってもテツアンドトモ家ないとか言っちゃ失礼ですよ)が好きだ。多分優柔不断が主食だ。そうに違いない。中庸でいいじゃない。だって島国だもの。



日本は実は島国。島国と聞くと、「デイゴが咲き乱れ〜」 となる。それは島唄なんである。



島国と聞くと、のんびりしてるイメージがある。海や川や山に囲まれてるから、そりゃあ天気は変わりやすい。だから明日のことは明日決めればよいし、思い立ったら漁をすればいいし、寝たくなったら朝から晩まで寝たらいい。たぶんそんなのを自由と鳥は歌うのだろう。まあもう少し日本のんびりすればいいんじゃない?予定なんて島国にいらないし、予定に忙殺されるなんて元も子もない。


そんなこんなで生茶がおいしいんである。生まれ変わったらしい。輪廻転生してまた生茶になったのか、織田信長が生茶になったのか。後者であるなら、私のなかの千利休がお茶をすすりながら「人間五十年下天のうちをくらぶれば」と歌いだしているだろう。


ゆめゆめ油断してはいけぬ。本能寺の変を忘れるでない。ゆめ、まぼろしのごとくなり。


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