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孵化

端的に言うと体調が悪い。喘息になるたびに肺の存在を認識できる。肺のおかげで生きているんだなあと思うと水分がほしくなる。バランスをとりながら淘汰され、良質な骨になり棺桶に埋まるのです。




相棒の陣川くん。はじめて被害者を好きになったね。見ていて涙がほろほろ。エンディングまですばらしい脚本。悲しいけれど、その悲しみから逃げずになんとなく温かくなる話っていいなあ。自宅で飲むお茶のようで。





ひさしぶりに小学生のときの人と。みんな変わらないよなあ。他人の価値観や大自然に出会ってもみんな変わらない。この変わらない風景を抱きしめていきたい。ときには旋回する鳶だったり、川底の石の裏に暮らしている微生物だったり。変わらないものを探しにいくのではなく、変わらないものは本当のところしっかり見つけている。見逃してしまうから探しにいかないといけない。結局のところ変わる行為は恣意的なもの。外部から変えられるものは変わったようで変わっていない。メディアリテラシー同様に人間リテラシーも大切になってくると思うよ。だってヒューマンドラマが流行っているのだもの。流行りは共感と羨望。最近のヒューマンドラマ系は後者だと思う。ないものをねだってる。そんなものはブラウン管の向こうにはないよ。ましてや洞窟のなかには光がない。さまざまな哲学者は光を求めて洞窟から這い出た。その光は善のイデアだったのかはしらない。しかし、出てみて浴びて初めて正体がわかることもある。僕は小説の世界が大好きだ。よく逃避もする。ただしたまには小説のなかから出て、光を浴びないといけないのかもしれない。探求とは、暗闇のなかで手探りをしながら進むだけではなく、ときには誰しもが見たなかに盲目的に潜むものをスコープで凝視する行為であると思う。結局は見えないのだけれど、近づいてみようという思考のきっかけにはなりうる。そんなこんなで、僕は体調が悪いのである。
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