寝室へ向かおうと、廊下の照明のスイッチを入れる。が、暗いままだ。
何度かスイッチを押してみたが、辺りが明るくなる事はなかった。
どうやら、電球が切れたようだ。最後に取り替えたのは五年程前だったのでいい加減、フィラメントの寿命が尽きたのだろう。
明日は電気屋に行かなければならない。一つ用事が増えてしまったが、このままにしておくわけにはいかないので仕方無い。
沈黙したままの電球を恨めしく思い、闇の中にぼんやりと浮かぶ円みを帯びたその輪郭をただただ見上げた。
暗いのは基本的に平気なのだが時々、寒気を覚えると同時に闇に紛れた自分以外の何者かが居るのではないかと、ふと思う事がある。
廊下の角を曲がったら誰かが待ち構えているのではないだろうか。
そいつは影のように真っ黒なのに目だけは爛々と輝いていて、此方をじぃっと見ているのではないだろうか。
そして、此方へ向かってゆるゆると腕を伸ばしてきて…。
ー嗚呼、もうやめよう。
普段、何とも思わないのに唐突にそんな妄想が頭の中を過ると言い様のない恐怖が、じっとりと厭らしい手つきで背を撫でてくる。
僅か数秒で通過してしまえる距離なのに、その数秒が酷く恐ろしいのだ。
人の世と異形の世というのは紙一重で隣り合っているというが、その境が曖昧になっている場所が“闇”の中なのである。
闇の中で特に理由も無いのに恐怖を感じたのなら、それは異形の世に足を踏み入れてしまった事を本能が警告しているのだ。
ああ、それにしてもいつまでも此処でウダウダとしている訳にもいかない。
明日は早いのだ。いい加減、寝てしまおう。
なに、大丈夫だ。数秒あれば、この闇を通り抜けられる。
余計なものを目にしないよう、目を瞑って廊下を進めば良いのだ。
壁に手を当てて、長くはない廊下を進む。
ひたりひたりと鳴る自身の足音が、自身の吐息が耳にまとわりついて余計な事を考えてしまいそうになる。
この足音は自分の後ろにぴったりと貼り付くように着いてくる、自分以外の誰かのものではないのだろうか。
そして絡み付くような吐息も自身のものではなく、自分以外の誰かのもので…。
瞼裏の闇の中に輪郭が浮かぶ。
人の形を成しているが男とも女ともつかないそれは、見えない筈の口元をニタリと緩めた。
「 お く び ょ う も の 」
不意にそんな声が聞こえたような気がして、年甲斐もなく廊下を駆けると、突き当たりにある寝室へ飛び込み電気のスイッチを入れる。
明るくなる視界に目が眩んで痛い程だが些末な事だ。
見慣れた室内に安堵し、その場で胸を撫で下ろすと、たった数歩駆けただけなのに汗で額がじっとりと濡れている事に気付いた。
臆病者。
確かにそうなのかもしれない。自身の訳の分からない妄想に怯えるなんて、最高に間抜けじゃないか。
無意識に喉の奥から乾いた笑い声が溢れ、寝具以外に何もない殺風景な室内によく響いた。
まぁいい、このまま寝てしまおう。
一旦、意識さえ失ってしまえば朝になる。そうしたら朝一で電球を買いに行って、さっさと取り換えてしまえばいい。
部屋の電気を消そうと振り返ると、部屋のドアが僅かに開いたままになっているのに気付いた。
閉めようとドアノブに手を掛け、何気なくドアの隙間へと目をやる。
細く口を開けた闇の中。
縦に並んだ二つの目。
作り物のように黒目と白目がやたらハッキリと浮いているそれと、
目が合った。
2018-6-2 22:06
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