14時46分。
遠くの防災無線から黙祷のサイレンが聴こえてくる。



東日本大震災から今日で七年。
長いようで短い、あっという間に過ぎていった七年だった。

あの日、私は仙台の街の中に居たので津波等の直接の被害は無く、本震が落ち着いた頃に車に付いていたテレビで津波が沿岸の町を襲ったのを知る事となった。

家族の無事を確認するのに急いで帰ろうとしたが強い余震が続いていたので当然、公共交通機関は全滅。
いつの間にか降り始めた雪の中を10km以上離れた自宅を目指し歩いた。

街には帰宅困難者が溢れ、道路は停電の所為か酷く渋滞していた。
途中、強い余震が起こる度に周りの建物や電線が揺れ、ビルの外壁が剥がれ落ちるとその度に周りからは悲鳴が上がる。
それを目にしつつも、まだ現実を全て受け止めきれずにいた私は、まるでパニック映画や悪い夢を見ているようなそんな気持ちのままだった。

何とか家に帰り、家族の無事を確認した次の日。
津波の被災地からそう離れていない所に住んでいたので、その被害の状況を確認しに行けるところまで行った。

ある程度進むと大量の瓦礫に阻まれ先へ行く事は出来なかったが、ひしゃげた状態で腹を見せる車や鉄骨のねじ曲がった橋、海から離れた位置に様々な物が絡まった状態で転がる船を見、元の景色との変わりように言葉が出なかった。
それと同時にこれは現実なのだと漸く理解した。

七年経った今、破壊の限りを尽くされたあの場所に震災前の面影や直後の名残は残っていない。
当時の事を風化させない、次の世代に語り継いでいくという意味でそれが良い事か悪い事なのかは分からないが、真っ直ぐに未来を見つめていく為には必要な事なのかもしれない。