仕事が押して、遅くなってしまった。
郊外でのロケ先からタクシーで慌てて寮へと戻ってきた時には、既に時計はもう夜の11時を回っていた。
2時間程前に、音也にはメールをした。
遅くなるから、私を待たずに先に寮へ戻ってくれていいと。
なんだったら、寮にいる他の誰かを誘って出かけてくれていて構わないと。
けれど、その時帰ってきたメールは「大丈夫、待ってるよ」の一言だけで。
無理する必要は無いのにと思いながらも、たったその一言に胸が高鳴る己を自覚して、軽く自己嫌悪する。
約束をしていた。
今日は久しぶりに二人だけで出かけようと。
お互い近頃はなんとか仕事も順調に入るようになって、中々ゆっくりと時間は取れないようになったけれど、今日ぐらいはせめて、と。
遠くに行けずとも、近くで。
久しぶりに早乙女学園の裏山で、昔みたいに花見をしようと。
そんな約束に子供みたいにはしゃいで喜ぶ音也に、相変わらず私は「そんなことぐらいで一々騒がないで下さい、恥ずかしい」と嘯いてみたけれど。
楽しみにしていたのはむしろ私の方だったのに。
タクシーを降りた寮の前から、自室へと戻る時間ももどかしく、音也の携帯をコールする。
呼び出し音5回程で、すぐに留守番電話に切り替わった。
外から眺めた音也の部屋の明かりは消えていた。念の為彼の部屋の玄関ブザーを押してみるが、応えはない。
既に眠ってしまっているのだろうか。
(それとも、怒らせてしまったのだろうか)
胸の奥に、冷たい痛みが走る。
彼なら必ず私の帰りを待っていてくれるだろうと、どこかで思い込んでいた、それは私のただの思い上がりだったのかもしれない。
だが、彼は待っていると言ってくれたのだ……。
……待っている……と……!?
ふと思い付いて、私は外へと駆け出した。
「……あなたって人は……」
早乙女学園在学中だった、あの春。
みんなで花見をした、学園の裏山の、あの見事な桜の木の下で。
目当ての彼は、その幹に寄り掛かるように眠っていた。
見ると、あたりにジャンクフードの空き袋とビールの空き缶が2〜3本転がっている。
私を待ちながら、一人勝手に始めていたのか。それとも、帰りの遅い私に拗ねてやけ酒でもしていたのか。
いつもなら「まだ成人まで1年はあるでしょう」と言ってやるところだが、今日ばかりは流石の私もそんなことを言う気にはならない。
「……まだ、夜は冷えるんですよ。こんな所で寝ていたら風邪を引いてしまうでしょう。あなたが風邪を引いたら迷惑が掛かる人がいっぱいいるんですからね」
言いながら羽織っていたジャケットを脱ぎ、彼の肩に掛ける。
「……ん? トキヤ……?」
それに気が付いたのか、身じろいだ彼が側に腰を下ろした私の腰へと腕を伸ばした。
「……音也? 起きたんですか?」
「……ん……」
私の声が聞こえているのか聞こえていないのか、そのまま身体をずり上げて、私の膝に頭をもたせ掛け、頬を擦り付ける。
「……へへ……あったかい……」
「音也……? 起きたのなら……」
遠い外灯の光の僅かな薄明かりの中、顔を近づけてみた音也の表情は穏やかで、唇からは既に規則正しい寝息が聞こえてきていた。
「……音也? ……こんな所で寝ないで下さいと言っているでしょう。……本当に困った人ですね……」
夜目にも見事な満開の桜の下、時折風がサワサワと梢を揺らす音以外、何も聴こえず、音也と私、ただ二人きり。
音也が暖かいと言った自分の膝の、その暖かさが胸を痛くする。
この温もりが愛しくて、苦しい。
苦しいけれど、もう手放せない。
「……お誕生日おめでとうございます、音也」
一陣の風がひときわ大きく花房を揺らし、鮮やかに花弁が舞い散った。
ハラハラと膝の上の彼の上にも舞い落ちる。
その赤いクセッ毛に、張りのある頬に。
それらをそっと追うように手で払い除けていると、まだほんのりとあどけなさの残るその唇の上で指先が止まった。
薄く開いた唇の上のそれは、指でなく、そっと舌で舐めとった。
……音也。
「……生まれてきてくれてありがとうございます。ずっと、一緒にいて下さいね」
誰も見てはいないとはいえ、自分のその言動に今更ながら恥ずかしさを覚えて熱を持つ頬に、ひんやりとした春の夜風はただひたすらに優しく心地良かった。
2011.4.11
一十木音也くん、お誕生日おめでとう!