本日、身勝手極まりないそれで振り回しちゃってダメなことしちゃったのに、ラヴレターつきのドーナツの入った袋と彼のジャケットが車の座席に置いていた彼をひどく愛おしいと思ってしまったよ。私は忘れん坊だから、記しておきたい。何年振りかってくらいに誰かを好きになるのは久しぶりだし、ほんとうに夢のようだと感じるし醒めなければいいのにとも思う。地震の件があってから、死が隣り合わせで死ぬことが恐ろしいと強く感じることができたのも今ある生活のおかげで。そしてこれがなくなった暁には私は生きていくことができないんだろうなって。何かに縋りつくのも面倒になっちゃうんだろなって。死が恐ろしいクセに死にたがりなんてどこの厨ニ病患者だつって。でもみんなだいたいそんなもんでしょ、似通ってんでしょってカンジで。相変わらず生きていたくないの一点張りだけど、じゃあ死にたいのかって聞かれるとそうじゃなくて。なんていうか、今あるものを大切にしていきたくて、そうじゃなかったら怖いぢゃんって言いたいの。だってすごいんだよ、彼のいうこれからっていう言葉には私がいる。こんなに、自己を認めてくれる存在がいるってことがどれほど気持ちが温まることかと。思わず涙が出てしまいそうになるくらい、周囲にとっての当たり前は、私にとってそれは奇跡で。大袈裟なのかもしれないけど、これは私が日々感じていることで。誰かに施してもらう=それには理由や理屈や好意が必ずあるんだ。噛み締めて、忘れちゃいけない。私も何かを施したいとも思う。過去のそれに縛られて相変わらずの臆病者の私に何ができるんだろうって悩み続けるよいつだって。

ありがとう。こんな与太話に目を通してくれて。吐き出す場が私には必要で。それじゃまたね。