無題


なんかアホみたいな話を一つ書こうかと。小説を書く気分にあらず。最近はサボりがちです。友人に与えてもらった三題噺も放置プレイしてます。愚かな私の考えを呟くね。ごめんね。「あなたがいないと生きていけない」って言葉があるじゃないですか。あれね、よく感じるんだけどめちゃくちゃ浅くない?私自身が人間不信なので、私の言うそれと、私以外の誰かが言うそれって確実に違いがあるなって感じるんですよ。絶対的存在って、あるんだと思うんですよ。代わりなんて誰でもきくのと、固執とか執着とか依存とかそれら全部まとめてでもその人じゃないといけないものとの違いって大きいのだと。私は性格が悪いし、クズなのでドロドロに依存しきってほしいし、逃げ場がなくなるくらい私じゃないとダメだって確信が得れるものじゃないと信じることも安心することもできない。でも誰かのそれって、私のそれに当てはまることはあらず。こんなことを言ったら「いや、別にそこまでは(笑)」ってリアクションを得ることになりそうなので生きづらいというか、なんというか。変、じゃなくてちょっと普通と違うだけで生きづらさを覚えるならやっぱり心にだけ秘めて、留めて、普通を気取っている方がいいんじゃないかって思うんですよね。まあ結局こんなところで言っちゃってるあたり、留めることにしんどさ覚えちゃったわけなんですけど。大変陳腐で、そうやってすぐ人を馬鹿にするのほんとによくないよねって。その人にも考えとか思想とか感情とかあるのに、自分と違うだけで全否定に走るのもやっぱり違うし。あれ?なに言いたいのかわかんなくなってきちゃった(笑)まあ、なんちゅうか私は自分の将来とか生死とか全部放り投げていいっていう自己犠牲スタイルなので、そうじゃない人間を理解できないし、「あなたじゃないと」っていう言葉の陳腐さとか、安易さとか、そういうのくるっとまとめて、私が言うそれこそが絶対的だと信じてやまない。誰かのそれはとても軽いものだと捉えがち。なんだかなぁ、って毎日心の中でちょっぴりぼやいているなう、なうなう。それだけだよって。

無題


別に誰かに言われたからとか、どうとかじゃなくてこれからも生きないといけないなら、自分の人生において考えをしていかないとなって。常にそれから目を瞑って逃げていたツケが回ってきたわけでだ。理由はクソみたいなもので家を出たいと言っても、恋人の家に上がり込むっていうのはやはりクソなんだろうなとふと。結局どこまで行っても精神的自立ができていない。誰かに寄生しないと、自分の足で立つことはおろか、私自身の人生に私だけを重点に考えることができない己の未熟さに絶望した。そして私は今も死を考えているクソ自殺志願者で救いようがない。したいこととかやりたいこととか、夢とか希望とかとうに置いてきた。頑張ることから逃げてきた。努力なんてクソくらえ。何も考えたくない逃避。結局私もあいつも同じ狢なのだと痛感した。真剣に考えるにも悲観的にしか物事を考えれないので袋小路がとても苦しい。生きづらい。なんでこんな人間になっちゃったんだろう。あーあってため息でるぜ。自己分析だけで精一杯とか愚かか(笑)って日々のぼやきを少しだけ吐かせてクレメンス。大丈夫また考えるに戻るだけだからつってナ。生きるってむつかしい。

新年あけました。


おめでとさん。


12月31日、夕飯はめづらしく母と兄ともう一人と私とで和気藹々、家族団欒と洒落込みました。まさかもう一度こんな日がくるとは思いもせず、よい年明けだな、と感じた暁にございます。自分語りではありますが、私と兄は随分と家族らしいことを放棄しておりましたので、まさか肩を並べて飯を食べ、嗜好を語る日が来るとは意外すぎて私自身が驚いております。兄もまた同じで。冷戦状態のあの時を思えば、時間の経過といふものは随分と早いものを感じますね。本日明朝には遠くからわざわざ私に会いにやってきてくれる恋人とおデェトをしてくることになっておりますので随分と楽しみです。働いた私へのご褒美なんだなと感慨深くなりがち。今年も新年迎えちゃったネ。みんな働くのも生きることもすごいよ。えらいよ。よくやっているよって自分に言い聞かせて、本日も血反吐吐きながら強く生きようねって。ご拝読ありがとうございました。

前々から思ってたことがあって。


どのくらいか前かは忘れちゃったんだけど、いつだったけ。去年だっけ。あんまり覚えてないや。遺書を書いておかないといけないと衝動的に感じたあの頃から、今でも何回か思うのね。でもいざ書いてみようと思うとなんにも思い浮かばなくて、だってわたしこれから死ぬのに誰に何を伝えるんだ…?って。ね。過去への恨み辛み?それって地獄に行ってからも叶う?私のこと苦しめたあいつら全員ころせるの?今でも許せないのに、同窓会開こうなんて一緒にご飯食べようとか言ってるの吐き気がするよ。気持ち悪いよ。反吐がでる。誰かに八つ当たりできたら、ずっと楽になれたはずなのにネ。

私なんにももってない。もっともっと現実的に客観視してみたら、齢23にして、就職しても一年で根をあげて、適応障害(笑)とか患って、自殺願望を今でも胸に抱いてて、無資格で、フリーターで、貯金も無くて、親の脛齧りで。こんな出来損ないが今も生きてるのが許せない。やるせない。わたしは私を殺したいんだなって。もってないから持とうともしない甘ったれた根性が見え透いてる。一番気持ち悪いのはきっと私なんだって。自己嫌悪が治らない。

遺書への書き始めとかまじで検討もつかないくせに、書こうっていう衝動だけがある。私の小説と同じだ。馬鹿みたい。なにしてんの?はやくしねよって。はいすいませんって。人間失格でどうもすみませんって。ネガティヴ抜けないね。こんな文章散らかしてほんとごめんねって。

いつか殺したい。

まあなんだかんだ息してます



久しぶりに文章を投稿してみようと思う。気持ちの悪い自分語りだ。お目汚ししちゃってごめんネ。交際相手のことをだいぶ前に綴ってみたけれど結局うまくいかなくてお別れになったのも3ヶ月前だっけ。私の人生、なんだかなぁってため息のつく多い毎日。人にも音楽にもうまく興味が持てなくてそういえばいつでも、誰かの好きに便乗してきて、そこに乗り合わしてきたような人間だったなとふと思い返してみたところ。元来空っぽで虚無で、なんにも持ってなくて、それを足掻きまくって埋めようとしているなって。感じた。っていうか気付いてしまった。つまらない人間だなって。でも物事に対して好きとか人間に対しての愛だとか試行錯誤したってやっぱり全然わかんなくって。望んだものが明確に自分のものになるかどうかもわからないのなら、誰かの好きに便乗した方が確実で、安心感を得れるからっていう自己防衛だってことも。知ってる。私は自分が世界でいちばんに大の嫌いなのに、自分を守るので精一杯な薄汚え気持ち悪いヤツなんだなって。うん。どうも自己肯定だとか自己受容ができない。困った。自分のこと愛せないし、根底にあるクソみたいな根性論が自分を殺しにくる恐怖と毎度打ち勝てない。いつかそれに呑みこまれてしまいそうな絶対的なものがあってひどく恐ろしい。一概に言うストレスなんていう心的外傷はひとつまみなのものでしかないんだよ。私のストレスパラメーター壺は常に溢れているよ。どうしたらそれが0になるのかわかんないよ。なんでこんなに生きづらいんだろ?自殺願望はこんなにも根強くなんてなかったんだよ。私ほんとにどうしちゃったの?なんでこんな人間になっちゃったの?っていう自己問答の繰り返ししてるよ。バカみたい。どうにもならない。非生産的で哀れでしかない。犬も食わねえ。誰もが吐き出すぜ。最近はこんなのが日常です。ツイッターがほんとにオアシスで、吐き出さないと呼吸ができなくて苦しい。くるしい。メンヘラじゃないんだけどね(笑)なにを書きたいのかよくわかんなくなっちゃった。まあブログってこういうもんだよね?気ままにやっちゃうね。読んでくれてありがとう。たぶんまだ生きてる。でも近いうち死にたい。呼吸のしづらい世界。こんな文章を読んでいるくそったれな人生を送っている君にとって優しさの片鱗が少しあればと心から思うよ。生きてるだけで偉い。すごく偉い。じゃあ、またね。またなんか書くね。小説もまた書くね。いつになるのかわかんないけど。またね。
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