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そら


通りすがりですが、失礼します。

下らないコメントだと思って
『だから何?』って思って、読んでくださいね。

私は発達障害(中―重度知的障害。特に言語が不自由です。)を持って産まれてきた、3歳半の息子のお母さんです。

発達障害(内部障害者)は、パッと見だけでは『障害』とはわかりません。

『障害者の当事者にとって、どれだけこの世界が生きづらいのか』をどんなに説明しても理解して貰えない。

『我儘な人』とか
『変な(キモイ、ウザイ)人』
とか
誤解や無理解ばかりです。

ですが
親でさえ『障害だから』とわかっていても腹が立つことは沢山あります。

だから、
他の人は当事者に対してもっと苛立ったり、もっと不愉快に思ったりするのは、当たり前なんですよね。


療育に通い、少しずつですが息子のことが解り始め、
息子自身も心穏やかに過ごす方法を身に付け始め、笑顔が増えてきて、
重い障害を持っていても、うまく言葉を使えなくても
持ち前の明るさで
皆から可愛がられ、愛される子に育ってくれていて…
それが嬉しくて
私は浮わついていたのかなぁ…。


自分の息子も、沢山の偏見や差別、誤解の中で
汚泥を啜りながら一生を生きていかなくてはならないのだ、と
息子が2歳で
『知的障害』の判定を受けた時に思ったことを思い出しました。

こんなに悲しい気持ちになったのは、
久しぶりです。


主さんがこのコメントを見て不快に思ったら、ごめんなさいね。

ただ、
『発達障害者』を一番身近で見ている者として
どうしても書かずにはいられなかったのです。

長文になり、失礼しました。



12/27 19:33



くろ

>そらさん
まずは、私の書いた記事で悲しい思いをさせてしまったことを深くお詫びいたします。本当に、申し訳ありませんでした。
障害をもっていても、人間であることには変わりは無いし、愛情持って育てた親御さんがいるんですよね。
言い訳にしかなりませんが、私は健常者でありながら中々上手く生きられず、勉強も運動も人並みに出来ず、しかも友達も一人も作れずにきた人間です。努力不足といえばそれまでですし、この記事から見える性格の悪さ故かもしれません。最近になって、私の特徴と非常に似通った障害があることを知り、もしなんらかの障害をもった人間だと診断されれば、こんなに苦しまなくて済むかもしれないと思ってしまいました。普通「出来て当たり前」と思われることが出来ない私にとって、「出来なくて当たり前」と思われる人たちが羨ましいと感じました。
何もできないのは、努力しないせいなのでしょうが・・・・
羨ましさが、いつの間にか嫉妬に、そして憎悪に変わっていたように思います。非常にお恥ずかしく、当事者の方や親族の方に申し訳の無いことです。
軽はずみなことを書いてしまって、本当に申し訳ありませんでした。




12/27 20:51



そら

そらです。

返信ありがとうございました。

いくつか記事を読ませて戴きました。

この世界は、主さんにとっても、とても生き辛いもののようですね。

私も同じ。
とても生き辛い。

子供の障害を知っていくうちに、
自分もそうなのではないかと確信めいてくるようになってきました。


ただ、ひとつだけ、言わせてください。

『出来なくて当たり前の人』なんて、
この世界にはいないのですよ。

『出来なくて当たり前の人』でないから、
『そんなこともわからないの?』
『なんでそうしなきゃいけないの?』
と、周囲の人を不快にさせたり
苛立たせたりするのです。


息子も、私もです。
あなたもです。
健常者も、障害者も、
みんな同じです。

ただ障害者の場合、『出来ない』ことが『必ず目につく』というだけです。

療育や病院で繋がった障害を持った子供たちも、みんなそう。

『こうしたいのに出来ない』
『うまくいかなくてもどかしい』
『どうしてなのかわからない』。
みんなそれぞれに、沢山あります。

(もちろん、健常者と言われる人も、
得手・不得手があり、それを克服するために沢山努力もします。それは、健常者も障害者も同じくですね。)

だからこそ
『ここからここまでは自分で出来る』ように、とか
『ここを手伝って貰えれば出来る』ように、とか

そうした一つ一つをすべて目標にして、
周りも当事者も、手を使い、頭を使って、長い時間を使って、ひとつのことを達成するのです。

例えば私の息子は、療育に行って
1―『椅子に座る』
2―『名前を呼ばれたら返事をする』

このたったふたつを習得するまで、
1年近くかかりました。

彼は自分の名前もまだ言えませんが、
『イァ、ナェ、ヨゥタネー(*^o^*)(いまなまえよばれたねー)』
なんてニコニコするくらいには、やっとわかってくれるようになりました。



12/27 22:13



そら

普通の人が聞いたら、びっくりですよね。
『そんなことに1年も費やすなんて!』って。

でもね、『出来ない人』だからこそ、頑張っています。
目に見えないほど遅いスピードですが『出来ない人』にこその苦しみと、沢山の努力があります。

沢山の生きづらさと周りと自分の理解の差を知っている主さんなら、
この意味がわかって貰えるのではないかな?

と、勝手に思っています。

うまく書けなくて、もどかしいですが。

12/27 22:14



くろ

>そらさん
再度のコメント、ありがとうございます。
そして、またしても語弊のある言い方をしてしまったようで本当に申し訳がありません。
人から何かを「できなくて当たり前」と思われてしまうような障害を抱えた人が、障害なんてものともせずに目標に向かって頑張って、一つ一つ、驚くほどゆっくりかもしれないけれど克服していく。できるようになっていく。素晴らしいことなんですよね。
またしても自分語りになって申し訳ないのですが、ありとあらゆる運動が本当に駄目な私が運動部に入っていたとき、周りの子に全く追いつけず、先輩に毛嫌いされて後輩にも追い越され、早々に努力を諦めてしまったことを思い出しました。自分が全力を振り絞って踏み出した一歩は、他の人にとっては鼻歌歌いながらでもできるようなことでしかなかったんですね。ここで諦めてしまうか、自分に負けず努力を続けるかで、きっと変わっていたんだろうと思います。
そうですね。私みたいな者が一番理解できないといけないというのに・・・・・本当に申し訳ありませんでした。
もっと理解をもった目で、見ることができるようにしたいと心から思いました。
色々なものを、別の角度から見直す機会を与えてくださいました。コメントありがとうございました。




12/28 08:12



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