対縄標(文きり+長)




※図書委員長の場合。





夜、訓練所。

文次郎は長次を相手に組み手の自主トレをしていた。

だが、その長次が黙って(いつもだが)庭を注視していることに気付く。

「どうした?」

不思議に思って文次郎も暗い庭を見詰めると、長次が呟くのが聞こえた。

「…一年は組」

そこにいたのは、どうやら一年生のようだった。
ぞろぞろと一つの小さな明かりを頼りに歩いている。

こんな時間にうろうろしてるのは、確かに長次の言う通り、一年は組かもしれない。と文次郎は思った。
様々な事件に巻き込まれる(むしろ首を突っ込む)ことで有名なは組。

そのは組がこんな夜中にどこへ行く気か、と文次郎が訝しんでいると、そのうちの一人がこちらへ近付いてきた。

月の光が届かず、顔が見えない。誰何しようとしたとき、その小さな人影が明るい声で言った。

「中在家先輩?」
「……」

隣にいた長次が何か呟く。

「やっぱり中在家先輩だ、こんばんはー」

走り寄ってくるので、ようやくその顔が見えてくる。
暢気に笑ったのは文次郎の知ってる顔だった。

「きり丸か」

きり丸は夜目が利いていないらしい。呼んだ文次郎をきょろきょろと探している。

「その声は…えーっと…誰っすか?」
「潮江だ、潮江!」

腹が立つ!
こんなときまで生意気な奴めっ。
文次郎はさっと頭に血を上らせた。

長次なら分かるのに、俺のことは声を聞いても分からんのか。

と、言おうとしたが、それも何だか悔しい気がするのでので止めた。
握り締めた拳をゆっくり開く。

こんばんは、と言われたので、おう、と文次郎は低い声で返した。

「…何か不機嫌っすね」

誰のせいだっ、とは、やはり言えなくて、うるさいっ、と言ってしまう。

きり丸を前にするといつも文次郎の調子は崩れるのだ。
そんな文次郎を救うように、長次がきり丸に向かって何かを言った。

「……」

今まで文次郎の上をさ迷っていたきり丸の視線はきっちりと長次に向けられる。

「はい、何となく。中在家先輩かな〜って」
「……」
「喜三太のナメクジが逃げ出したって言うから皆で探してるんです」

文次郎には一方的に聞こえる会話が続く。

「…?」
「良いんです、ありがとうございます」

きり丸が虚空に手を伸ばした。それは長次の手のひらに受け止められる。

文次郎は見てられなくて、顔を逸らした。
逸らしたと同時、唐突に分かった。
なぜ長次は最初から一年は組だと断言出来たのか気になっていたのだ。

あれはきり丸の気配に気付いていたからだ。文次郎が気付かなかったきり丸の気配に。

二人の距離感に腹を立てて文次郎は俯いた。
ぎりりっと歯をくいしばる。

「お前ら、何故そんなに仲が良い…」
「潮江先輩?」

気付けば、きり丸が長次から離れて文次郎の側まで来ていた。

「やっと目が慣れてきた」

ひたっと文次郎に黒い瞳を向けて笑う。
そうされたらされたで、文次郎は落ち着かなかった。

目の前でいつもと変わらず笑っているきり丸が憎たらしい。

こいつは俺を何とも思ってないのだ。文次郎は冷えた思考でそう感じた。

面白くない。すっと表情を消す。

「きり丸」

名を呼んで、長次がしたようにきり丸に手を伸ばした。

きり丸はぴくりと身じろぎしたが、やがておずおずと文次郎の手に自らの柔らかいそれを重ねた。

「…先輩達は自主トレっすか?」
「そうだ」
「頑張って下さいね」

きり丸の笑顔がさっきよりも僅かにぎこちない。
それに気付いた文次郎はようやく笑った。思わずきり丸の手を握る。

小さな手の温もりと、上目遣いがたまらない。

「お前も付き合え」

気が付けば文次郎は口走っていた。ついでに小さな体を抱き寄せた。

「えっ?」
「長次、勝負だ」

慌てて自分にしがみつくきり丸を腕の中に、文次郎は長次に対峙する。

次の瞬間、長次の手から繰り出された縄標。
ぎりぎり体を捻って避ける。

それは文次郎の心臓を正確に狙ってきたものだった。しかも、肋骨の隙間を縫って。

「ぁっぶねぇなっ! どこから縄標出したんだ!」

体術で争う予定でいた文次郎は慌てる。
一方、文次郎に抱かれたきり丸は楽しそうに笑った。

「きゃーっ! 中在家先輩、助けてぇっ!」
「こらっ、もう煽るんじゃないっ」

文次郎は怒鳴りながら長次に手裏剣を投じる。

難なく交わして間を取る長次。その手にはすでに先程放たれた縄標が戻っていた。

それを見て、文次郎はさらに距離をあける。

珍しく長次が本気だ。
自分の側にきり丸がいないから。

文次郎が高揚する心を抑えていると、きり丸が緊張感なく言った。

「先輩、しっかり僕を守って下さいねー」
「…危なくなったら、安全な場所へ放り投げてやるよ」

きり丸は思い切り顔をしかめたが、しかし、側を離れることはない。

「ところで、先輩の得物は何ですか?」

多少気分を良くしながら、文次郎は黙ってそれを持ち上げた。

「…いつもそれ持ち歩いてるんすか」
「戦う会計委員会だからな」

10s算盤だった。
それを構えて文次郎は迎撃体制を取る。

一方、長次は縄標を振り回していた。ひゅんひゅんと縄が空気を切る音。

隙を見せた瞬間、それはこちらに飛んでくるだろう。

己に突き刺さる縄標が容易に想像出来き、文次郎は長次を見据えたまま口の端を吊り上げた。

やはり、長次は強い。きり丸を抱えていては確実に負ける。
仕方なく文次郎はきり丸を降ろした。背中に庇う。

「下がっていろ。危ないから動くな」

一瞬、きり丸を盾にしたら長次はどうするだろうか、と浮かんだ。
だが本気ではなく、すぐにその考えは消えていった。

前方に集中する。

遠距離戦で縄標を扱う長次には勝てない。ここは接近戦に持ち込む。

そのためには、まず第一撃をやり過ごして間合いを詰めなければならない。

互いに覇気を交わす。張り詰める空気。
先に動いたのは。

来たっ!

闇を切り裂いて飛んできたその気配へ、文次郎は腕を振った。
何かを打つ手応え。
それは、10s算盤に叩かれてぱさりと力無く地に落ちた。

地に…落ちた?
金属音ですらない?
長次っ!?

「ちっ!」

文次郎はとっさに走り出そうとした足を踏み止める。
縄標を弾いたのではない。今のは囮だ。それなら縄標は。

文次郎は襲い来るそれをはっきりと目に捉えた。
僅かに月明かりを反射させて鈍く光る。

こちらの動きを完璧に読んで真っ直ぐ心臓に向かってくる縄標。10s算盤を構えようとするが。

間に合わないっ! まじかよ、長次。

追い込まれても目を閉じなかったのは、さすが学園一忍者している文次郎だろう。

だから、文次郎はそれを目撃した。長次が普段にも増して苦い表情を浮かべたのを。

あいつ笑った顔見たことねぇな、と場違いに暢気なことを思った。

次の瞬間。
文次郎は横からきり丸に突き飛ばされた。

死角からの思わぬ攻撃。
驚いて、文次郎は変な声を上げた。

「ぬぁっ」
「…危ないっすよ、ぼーっとしてちゃあ」

相変わらず暢気なのはきり丸。
文次郎の上に乗っかって、何が可笑しいのか笑った。
笑えないのは文次郎。

「危ないのはお前だ、馬鹿! 縄標が当たったらどうするっ!」

その縄標は、緩やかな弧を描いて長次の手元に戻っていくところだった。
長次はもう覇気を収めている。

どうやら自主トレは終わりにするようだ。こちらに歩み寄ってきた。

「一瞬か。面白くない…」

文次郎は仰向けに寝たまま、ついでに、きり丸をその身に乗せたまま、呟いた。

分かっていた。何を投げたのか知らないが、囮に気付かなかった時点で勝敗は決している。負け。
文次郎の心中を知らず、きり丸はまた笑った。

「先輩って意外と真っ直ぐなんすね」
「…直情径行」

近付いた長次がぼそりと言った。

「うるさいっ」

まさか長次が囮なんて細かいことするとは。

文次郎は半身を起こして座り直す。きり丸がころりと転がった。

「長次、何投げたんだ?」

妙に軽い感触だった囮。
きり丸が答える。ちょうど落ちていたそれを拾ったのだ。

「これっすよー、潮江先輩」

渡されたのは、図書の貸し出しカードだった。

「こんなもの、手裏剣代わりに使うなっ」

怒鳴ると、長次は別のものを取り出す。それを見てきり丸がまた楽しそうに笑った。

こっちが良かったか、と掲げられたのは、一枚の督促状だった。

「げっ」

文次郎は顔を引きつらせた。
ご丁寧に受取人の名前を記載済み。もちろん、それは文次郎の名だった。

「中在家先輩も、いつもそれ持ち歩いるんすか」
「……」
「あははっ」
「長次、真似すんなっ!」





「お前、ちょっと本気出しただろ」

きり丸が無事ナメクジを発見したらしいは組と帰っていくのを見届け、文次郎は言った。
黙っている(やはりいつものことだが)長次をじろりと横目で見る。

飛んできた縄標は信じられない速さだった。
そのときの焦りと共に、文次郎は長次が見せた渋面を思い出した。

あれはきり丸が飛び出すのを察したからだ。それで、縄標を素早く引き戻したのだ。

まぁ、そのままでも寸止め。あるいは掠るくらいはしたかもしれないが。

「きり丸に当たらなくて良かったな」

呟くと、長次が一瞬だけ驚いた表情を見せた。

何だ。何故驚く?

滅多に感情を見せない長次が驚いたことに、文次郎の方が驚く。
きり丸もそんな顔をしたな。と、文次郎は思い出した。

あれは、縄標から庇ってくれたきり丸に馬鹿と罵ったときだ。

縄標が当たったらどうする、と言ったらきり丸は驚いた。
当たるわけない。と言う風に。

「ちっ、本当に面白くねぇ…」

文次郎は左手を腰に当てて息を吐く。10s算盤を肩に担ぎながら言い捨てた。

「次は負けないからなっ」

かちり、と算盤の珠の乾いた音が夜の闇に小さく紛れていった。





終わり。
文次郎が図書委員会のほのぼのな距離にちょっと嫉妬する話でした。

図書委員長と勝負させてみたけど…私の文才ではいまいち迫力なかったかもしれない。

その辺りは皆様の潤沢な妄想力でのフォロー(毎回のことのような気がしますが)を期待します。
安らぎあれは皆様の妄想力が頼りです!












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