両親が叩いたり殴りかかってきたり脅して支配したり、俺が新卒で入った会社の人に迷惑をかけてたり、第三者を巻き込んで俺を落とし込めたり…。もろもろのそういう事は、両親自身にとっては正しかったんだと最近思い始めている。
そう思ったら、イライラしなくなる。怒りがわいてこなくなる。

父は対人関係において、強気な接し方をしてそれが効けばずっとそのまま、効かないと思えば急に弱気な態度にでる。
昨日、とある業者が家に来て父と話していたが、その業者にもそのような接し方だった。俺に対しても同じだし、うちは自営業をやっているが、顧客に対しても同じ接し方をする。地域の集まりにはほぼ参加したことはない。恐らく、地域の人にも同じ接し方だろう。
対人関係において、不安定な接し方以外身に付いていないように思う。

母は自分より下だと思う人間を身体的・精神的にコントロールしようとする。暴力をふるったり金品で脅す。泣いたり雄叫びをあげ、同情心をかおうとする。相手をコントロールできなければ、第三者を利用(コントロール。具体的には、泣くことで同情してもらう)して相手の社会的立場を落としめ、場合によっては第三者から相手を説得または攻撃するよう持っていく。それはコントロールされない相手に対する報復である。
しかし、それでも相手がコントロールされない場合は、相手の弱点が露出しそこを突くまで虎視眈々と脅しを継続する。

両親共に、自らの行為に対する責任感が希薄である。相手にとって嫌なことをしても、黙るか感情的になるか暴力をふるって濁し、相手が許すのを待っている。

しかしながら、これは両親各々にとっては正しいのだろう。それで何十年と甘えられてきたのだし、問題がなかったのだろう。両親共に暴力をふるわれて育ってきた、そういう生育環境だったようである。俺は暴力をふるわれたりコントロールされて、昔から疑問を持ってきたが、両親は疑問を持たず今日まで生きてきたのだろう。だとするならば、両親各々にとっては何も間違った行為ではないし、俺が怒っても理解できない。俺に逆ギレするのも当然である。

そのように甘えることが自然であるという、60年ほどかけて築かれたキャリアを覆そうとしても無理だった。
両親はこのままだろう。自分にとって正しく生きていくだろう。

俺も正しく生きていく。自分にとって正しく生きていく。
俺は暴力は振るわない方がよいと思うし、コントロールしようと思わない。暴力でなく思いを話せばよいと思うし、結局は相手はコントロールされないと思っている。
正しく生きていこう。自分にとって。

親との決別であり、精神的にまた自立できるように思える。自立したい。今はただそれだけで生きている。そうだ。



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