震災特集一色だった日曜日のテレビ。
次々に目に飛び込んで来るあの日の惨状に、言葉を失いただひたすらに涙を流して見てた。
追悼式の遺族代表の言葉には特に涙が止まらなくなった。
それぞれ亡くなった家族を想う気持ちに溢れたとても重厚な言葉だった。
二番目にスピーチをした女性は一度にたくさんの家族を亡くして、
その気持ちを想像することすら決して自分にはできないと思った。

津波ばかりが強いインパクトを残したが、未曾有の大震災はマグニチュードも観測史上最大だったというし、
震度は直下型地震ではなかったとはいえ阪神大震災と同じ7。
揺れの映像を見ていると気分が悪くなり、たった震度2の地震にさえ酔ったあの日の記憶が蘇る。

思い入れのあるコップが割れるだけでも心が痛むのに、家の中がぐちゃぐちゃになることには耐えられない。
物にさえ愛着がたくさんあるのに…。

ただ、一つだけ違和感があるのは誰かを責めることを煽るマスコミ。
軽々しく『もし私が…』なんて口にすべきではないが、
自分が家族と離れていて家族が被災した場合何らかの機関や組織の対応に不満を述べる事が悲しみのはけ口になることはあるかもしれない。
被災者の思いは被災者にしかわからないわけで、当初の対応を批判することを咎める理由は被災者でない者にはないと思う。
でも、そればかりに鬼の首でも取ったように同調するマスコミには賛同できない。
我々の知らないとんでもない事実があったかもしれないし
実際に誰かの不手際の為に尊い命がたくさん失われたことを知るべきかもしれない。
でも、それを追及しても戻ってくる命はない。
教訓はあるかもしれないけど、社会が誰かに対してこんなにも大きな災害の責任を問うことは無茶だと思う。

具体的にいえば気象庁が津波警報を出した当初、波の高さが3メートルという予想だった、だから逃げる人が少なかったという話が特に気になる。
6メートルと最初から言っていれば防波堤を超える高さだから逃げたはずだと。
結果的には実際の津波は軒並み10メートル以上であり、気象庁が津波到達直前に出した高さ予想も10メートル以上に変わったという。

このことで思うのは、最初から10メートルだと言ってたとしても逃げない人はいただろうということ。
被災された方の中には、昔から津波に対する防災意識が高かった為に
津波予報云々ではなく地震発生直後に自主的に十分過ぎる程の高台に避難した人がいた。
これも別の番組で取り上げられていた事だ。
地域により津波の流れ、防波堤の高さや意識の違いに差はあっただろうが、
誰が悪い誰が正しいではなく、起きてしまった事と違う対応があったとしてもBパターンを検証する術はないのだ。
被災者が気象庁の出した予報に無念を述べるのは致し方ないが、
迫り来る津波を上空からとらえておきながら何の警告も発せられなかったくせにマスコミが嬉々として気象庁を糾弾するとは。
あれだけ騒ぎ立てていたのだから津波が来る前に
『気象庁は3mだと言っているが実際は10m以上かもしれないから早急に避難してください』と放送で呼び掛ければ良かったのでは。

こんな風に、誰かを非難しだせばキリがないし、全てが完璧に回っていたって津波は街を飲み込んだんだ。
地震は来たしこれからも来る。
テクノロジーがどんなに進んだって結局最後は人。
そりゃ、あの震災時ほど『専門家』の無力さを思い知ったことはないけどね。
でも、悲しいけど『未曾有』『想定外』ってそういうこと。
他にも、お金が絡んだりする以上いくら謝罪が欲しいだけと言われたって簡単に謝れない事がいっぱいあるだろう。

原発にしたって、極論をいえばリスク承知でその周辺に留まったんでしょって側面はある。
我々はこんなに毎日大気を汚してるんだから、地球がいつかなくなっても文句は言えない。
便利に気軽に電気を浪費してきたんだから、原発を今更否定することはできない。
常にメリットとデメリットを認識していかないといけない。
デメリットやリスクを全く知らされていない状態でひどい目に遭うのと
デメリットやリスクを認識したうえで継続していたのって全然意味合いが違う。
ただ、それを一部の人にだけ押し付けるのはやっぱり傲慢。
こんな事言ってる私が、今もはるか遠くの原発から電気を得て無駄に明るい生活をしてるのにね。

やっぱりあの大震災は人を狂わせたと思う。
私も未だにショックから立ち直れない部分があるし。
全く縁もゆかりもない場所で起きたことなのに。
怖い。
それしか言えない。
天災に万能な結論なんてあるわけがないからね。
とにかく怖い。

怖い思いをして苦しんで亡くなった方々に対して心からご冥福を祈ります。
そして被災された方の心が少しでも安らぐ日が早く来ますように。