野に放たれた状況を自由と呼ぶか、不安と思うかは人によるとは思うんだけど、私は結局不安だった。
なにが不安なんだろうと思ったけど、「自分のことは自分で決めなきゃいけない」もあるけど一番は「自分がしたいこととか、それが何かの依然に、情報収集能力が著しくないこと」が不安なんだと思った。
今までは「したいことがあれば、それに対して調べてみる」というやりかたをとっていたけど、そもそもしたいことが整理できていないから、正しく調べることができない。
本当にしたいことがないのかと思ったけど、どうやら私は「ものをなにも知らないので、調べることができないのではないか」と、見切り発車に調べてから思った。
気になることがそのままやりたいことにつながらないかもしれないけど、興味の有無にかかわらずいろいろ調べてみることは大事なんだとやっと体感した。先人が様々アドバイスしてくれたのに申し訳ない。タイムラグがこれだけありました。
というわけで、私が気になること、不安に思うことがありましたので、それを書いていきます。
そもそもあらゆることが、情報をもっているかもっていないか、で優劣が決まっているのかと最近思う。
知っているからわかること、見えてくること、知っているという精神的安堵。わかるから余計に知らなくてもいいし、わからないとわかれば、それに対し正しいアプローチができる。そういう優劣。そもそもスタートラインに立つとか立たないとかそういう話もある。
知らなかったというのは、強烈な後悔になるけど、同時にどうしようもないことだとも思う。
高校生の時、大好きなてっちゃんが結婚してショックだった。結婚報道に、自分たちのツーショットを用意する周到さ。それまで徹底した情報統制。確実にファン対策だ。あの時、高校生だった私は「こんなに好きだったのに、いろんな醜聞も眉をひそめながらも読んできたのに、たくさん知っていたはずなのに、なぜ知れなかったんだろう」って思った。私はその時泣きながら「私は音楽関係の人間になって、ファンという立場から離れ、情報を知っている立場になりたい」と思った。隠されてたこと、自分が知らなかったことが猛烈に嫌だったんだ。
今思えば本当に恐ろしい考えだし、今はもってないよ(笑) だけど、知らないということは、それだけですごくみじめな気持ちになるし、安穏と生きていれば知れずにおわる。それがいいのか悪いのかは情報次第だけど、「なんでもとりあえず知っておくべきだな」「知ったうえで取捨選択したいな」とは思った。
とはいえ、逃げたい事柄に関しては「知らなかったから仕方がない」という言い訳が出てくるほどには私は芯がない人間だし、単純に損したくない、みたいな考え方が強いだけなのかもしれない(てっちゃんのことに関しては、知っていたからといってどうにかなった話ではないけど)
なにに関しても調べるタイプではないけど、誰か詳しそうな人がいれば絶対きく。税金でも、投資でも、コスメでも、筋トレでも。
それでいて、だいたいの話には、お客さん向けの話と、中の人向けの話があるとはなんとなく思っている。お客さん向けの話から聴くのは大切だけど、どうしてとか、なぜとか、プロの人はどうしてるの?とか思ったときは中の人向けの話になるし、そうなったときに絶対的知識量がない。ただそういう話って内情を多くふくむから、結局その道を知りたければその道にしっかり入るしかないんだよなあ。実際その道のその組織に入れば、面白い話はたくさん溢れている。そして面白い話をしっかり教えてもらう為には、少なくとも受容するこちらもプロでないと中々難しい。業界に入って、初めて業界を知るみたいなさ。
独り言がバカみたいに長くなったけど、己の劣等感からはじまった「知る」という行為は、「損をしたくない」という少し形を変えながらも、自分を守るために、そして自分を「物知りな自分にかえることで、他人に対し価値のある人間だとみせるための鎧」だと思ってる。自分はこれだけ価値があるから見捨てないでよと。
劣等感、力強すぎかよ。
でもとにかく、他人に出遅れないためにとにかく何でも知りたかった。クラスの恋愛事情とかも興味ないふりしながらも、知っておかないといけない気がした。TVの話題は興味がなさすぎてまったくついていけないけど、とにかく知ったかぶり。知らないとおかしいとわかりながらもまったく知る気になれないから。その場で出てきた人を検索して、ふんふん言うだけ。
ただ、まわりに乗り遅れないためにも、引き続きそのコミュニティに居続けるためにも、集団に属することは私の情報と安心感両方を満たしてくれたので、えーいと退職した今それがないことにちょっと怯えている。
どんどん知識や情報がまわりより劣っていく私は、価値がない人間に思えるし、そんな私と誰も付き合わない。常に何かを教えてあげる立場になければ、私の存在価値はいったいどこに、といった感じだ。
(リクルートの人に、「人に対し教えることで喜びを感じる人は二種類いて、純粋に教えることが好きな人と、教えることによってその人が成長することです。どっちですか」と問われたときに、前者ですと答えたら、「え」ってリアクションをされたんだけど、多分後者の方が一般的なんだろうな)
他人に対し、常に教える立場であったり、情報を提供したいというのは、かなり努力がいる道だとも理解しているさ。
自分の行動原理があるとすれば、劣等感なんじゃないかなあ。
他人を迎合する生き方をしてきたので、都合のいい人間はすぐには切り捨てられないことも知っているし、道化を演じていれば、少なくとも同性にはハブられない。中学生でいじめとかハブりとか経験して、人間に序列がつくことやそれに対しての劣等感を知っているから、そこには落ちまいと今でも必死。でもこれはそれを経験したことがない人には絶対理解ができないよ。クソッタレが。
とはいえ、いつの時代においても、集団に属していないと情報が回ってこないので、歯を食いしばり己を殺し同化する。そうして情報を得たり、社会のレールという安全地帯に身を置く。
きっと私だけでなく、多くの人がこれをやっている。社会に己を適合させる。社会性とかいうやつなのでは。
私はクソガキなので、社会性と自分らしさとわがままの意味がわかってなかった。
自分らしさとは、「これを失うと自分が自分でなくなり生きていけない、衣食住以外のもの」性的思考、信条とかとか。
社会性とは「自分らしさをまもる社会を作るために、自分が折り合いをつけて我慢する」こと。それがあるから逆に自分らしさが保障される。みんながちょっとずつ我慢して、でも本当に我慢ならないときだけ声を上げているから許されている、みたいな。
わがままとは、上記の「自分自身に折り合いをつけずに、やりたいことやいいたいことを自分らしさと言い間違えてなんでもかんでも権利を主張すること」
自分は「やりたいこと、大事なこと」を見つけてこない迎合する人間関係だったので、本当に大事なものとそうではないものの見分けがつかず、時々、なんでもかんでも主張してしまうことがあった。
自分が見えていないって、本当に恐ろしい。
だから自分がやっていきたいことは、これからなりたい自分に沿ったものを考えていきたいと思うよ。
できれば劣等感など忘れて、「ありのままを愛してくれる人がいればそれでいいよ」と思えたらいいけど、急にそんなふうにはいかないし、多分結構ずっと引きずるので、そもそもそういう劣等感を解消できる場所にいけばいいんじゃないかなと思う。
公務員試験を自分一人でやることは難しいと思う、かなり大きな要因の一つに「情報収集や判断の難しさ」がある。自分が集めた情報が正しいかというのもそうだし、情報にありつけなくてうっかり損をしてしまうことが恐ろしい。そうするとたちまち、もう巻き返せないんじゃないかと思ってしまうから。
浪人生みたいな立場だと思ってて、孤独に勉強する。時間は無限にとれるけど、効率的かどうかがわからない。みたいな。
そう思ったときに、これって私の行動原理だと思った。と同時に大事な価値観だと思った。誰かに何かを教えたいのは、知らないのは危険だから、知らないと損をするから、悔しい思いをするし、それは後悔できない敗北だから。
全然やり直しがきくことですらこんなに怖いのに、命がかかるものだとどうだろう。ツイッターとかで補助金とか、緊急小口資金とか情報がまわってくるけど、運だったり、情報のアクセス外にいる人って、ものすごい疎外感なんじゃないかな、って思う。
調べればたくさんわかることって、それ調べたの?って言われて終わりだけど、調べるに至らない人とか、思いつかない人、手段がない人、知らない人って、それでおしまいでいいのかなって思う。
あらゆる人が孤独を抱えていたり、隣近所ですら関係性が希薄な社会で、なかなか、どの年代層や人種も仲良くしましょうって、それは無理だと思う。自己責任があまりに強く叫ばれる時代に、他人に気を配ったりできる人って、そもそも自分に余裕がないんだから無理だよ。明日生きることに必死なのに。
一番理想なのはさ、自分が情報をキャッチしやすい環境にいてかつ、その情報を周りと確認できる環境があるといいよねって思う。自分も安心していろいろ決められるし、ゲットできてない情報ないか確認もできるし。
だけど、まだそれが無理な段階なら、せめて情報だけはどれだけ孤独でもその人の手が届くところにいてほしいんだと思う。情報の先にいる人の温度がわかるように。
なんでこんなにそんなことを思うのかって、きっといつかの私の死にざまがそうだと思うから。職にあぶれ、頼れる親兄弟もいなく、友人とも距離をおいて一人膝を抱えて。社会から必要とされていない孤独に病み、生きるのをやめる。そういうときにさ、死ぬ間際に「自分を助ける情報があったのに」って悔やみたくないじゃん。知らなかったことと、知る立場にいなかったこと、どっち恨めばいいのかわかんないじゃん。