「腑に落ちないよなぁ」
海を眺めながら青年がそう言った。
その隣であくびをした女性は青年の方を見る。まるでその言葉の続きを要求するかのように、じっとそちらを見ていた。
青年は「いやほら、戌井さんだよ」と苦笑気味に続ける。そのまま青年はもう一人、机に突っ伏したままの男性を見ながら「まぁ、仕方のないことなのかな」そう呟いた。
「どうでもいいけど、言ってる意味は理解できるよ」
「あ、まじで?」
「家族狂いのあんたのがわかってると思ってたんだけど」
「あーうん」
それなんだけど……と青年は申し訳なさそうに笑ってみせる。あの時不覚にも逃げだしてしまったことを女性も見てはいたが、だからといってそれを咎めようという気は微塵にもない。女性は青年を一瞥してから、白い海へと視線を投げかけた。
「怪物のくせに人の身でいようとして失敗しただけでしょ。理解者はいるけど、それも少数派なわけだし」
「まぁ、そうだな」
「私たちは元々は人間だから、力さえ行使しなければそのまま一般人に擬態できるけど、あの人は先天性。生まれがそもそも違う」
いや俺も先天性ではあるけど。そう突っ込みを入れようとして青年はギリギリその言葉を飲みこんだ。
青年自身、自分が神の末裔であることを知ったのはつい最近のことだ。その上、神の力を行使できるわけでもない。深淵の叡智を手に入れたのだってそう昔のことでもなく、結局青年が自身を人でないものだと認めたのはごくごく最近の話であった。
それでも青年は自身を人だと認識している。それもその筈で、自分に比べればそこにいる二人は遥かに化け物じみた能力を持っているからだ。
「…………」
「それでも、この世界は私たちにとっては息苦しい場所でしかないよ」
「わかるけどさ」
「あんなんばっかだとそりゃ引きこもりたくもなるよね」
「翔子さん元から引きこもりじゃん」
「うるさい。……だから私はなんとも思ってないよ」
この世界はなんも変わりやしない、それこそ女性が人の身を捨て去る前からわかりきっていたことだった。
青年はそんな女性を見て、少し哀れむような感情を覚える。
彼女は自分と違って誰かの愛というものに少し鈍感だ。家族、友人、それらすべてを彼女は否定する。自分自身の存在と共に。誰かに自分を認められなければ生きることも難しいというのに、彼女はそれをするくらいならと容易に怪物であることを選んだ。人嫌いの彼女らしい選択であるといえばそうなのだが。
「元々期待もしてないしね、こんな世界」
「滅亡と救済だったら滅亡選びそうだもんな」
「もちろん。どうだっていいよ。こんな世界も、……人間も」
「九さんが聞いたら怒るぞそれ」
「元々ぱぱの敵対神性なんだから仲良くするつもりもないけど」
「それもそうかー」
ここに件の人物がいなくてよかった、と心底安心した。もっとも、あの人は自分たちと違って純正の人間だからどっちにしたってこんな会話聞かせられないのだが。
そういえば、もう一人新しく来た彼女もまた人間だったような気はする。
思考を巡らせていると、ようやく机のほうで動きがあった。
男性が顔をあげ、寝ぼけた様子でその目をこすっている。
「……またここか」
「またって失礼だなぁ、おはよう煽利さん」
「おはよう」
あくびをひとつしながら男性はまだ眠気が取れないのかふらふらと頭を揺らしている。
少ししてやっと目が覚めてきたのか、二人の姿を視界に収めて男性は椅子の背もたれへとその背を預けた。
風によって日除けのパラソルが少し音を立てる。もう秋だというのにここは何一つ変わらず、陽光を浴びて白く輝いていた。
「こうしてここにいると、穏やかに思うんだけどさ。なんていうんだろうな」
青年の呟きに女性が返す。
「生きることも死ぬこともできない、っていうのはあいつの言うこともそうだけどさ、私たちからしたらそのままの意味だからだよ」
「だってそうでしょ、私たちは人間じゃないんだから。人より寿命だって長いだろうし、そもそも不死である可能性もある」
「だけど、人間社会では生きられない、か?」
「…………ここは、息のできない私たちが唯一、呼吸できる場所みたいなもんだよ」
女性は白い海から視線を逸らさず、そう言った。
ここでなら自分の存在が許されるのだと、その言葉にはほんの少しの希望が込められていたかのようだった。