あの奇妙な体験からそのまま一夜が明けた。
まだ朝焼けがにじむ早朝の時間、私はここに泊まっているどの客よりも早くチェックアウトを済ませてホテルを出た。からからと、さほど荷物の入っていないスーツケースを転がして、帰る前に実家に顔でも出そうかと考えたのだ。
今回帰国したのも妹から手紙をもらってのことだったのだが、あれから音沙汰がない。それの様子見も含めてのことだった。
新幹線の手続きを済ませ、三時間ほどかけて京都まで向かう。
久しぶりに訪れた故郷は記憶のそれとは違うものの、身体は慣れ親しんだこの空気を覚えているのかやはり懐かしさというものを感じさせるには十分だ。
そこからまたいくつかの駅を過ぎ、ようやく地元へと辿り着く。足は自然と己の生家へと向き、やがて古くも立派な門が見えてくる。
表札には己の名字が黒墨で書かれている。少し掠れた文字のそれは年代を感じさせて、柄にもなく、家に帰った来たんだなと思った。
「おや、そこにお見えになられますは義兄上様で?」
背後から聞き覚えのある声がし、そちらへと顔を向ける。
今どき見かけない、書生服に身を包み、刀袋を背負った青年がそこに立っている。数回も顔を合わせたことのない、義理の弟がそこに立っていた。義弟は私の顔を見ると目を細め、口角を吊りあげるようにして笑うと「ああ、やはり義兄上様でいらっしゃる。お久しぶりでございます、本日は一体どういう風の吹き回しで」と言った。
「妹に会いにきた。手紙をよこしただろう」
「義姉上様でございますか?」
彼はきょとんとした表情の後、納得したように声をあげる。
「義姉上様でしたら、つい先日お亡くなりになられました」
そう私に返した。
流石に空気が変化したことに気が付いたのか、目の前の義弟はくすくすと笑うと「申し訳ございません、ご連絡が遅くなってしまいまして」という。
正直、連絡が遅れたとかそんなことはどうでもいいのだが。にわかには信じがたいことだった。一瞬こいつが私を驚かせようと不謹慎極まりない嘘をついたのかもしれない、そう思ったほどだ。
しかし義弟は目を吊り上げるようにして不気味な笑みを浮かべて私を見据えている。
「そう警戒なされずに。私はただ、事実をお伝えしたまでにございます。義兄上様」
「意味がわからない」
「なんと! 義兄上様ほどのお方が私のおっしゃられている言葉の意味をご理解なされないとは!」
つくづく腹が立つ奴だと、そう強く睨み付けたところで、目の前の性悪は喜ぶだけだった。
義弟は袖で口元を押さえながら、心底おかしいといった風に笑ってみせるが、それは逆に私の神経を逆なでする。
「嗚呼、可哀想な義兄上様……最愛の妹君の死に目に逢うことも叶わず、こうして傷心なされておられる」
「そろそろその不愉快な口を閉じたらどうだ」
「おお怖い怖い……ですが、せっかくここまで来ていただいたのです。このまま米国にとんぼ返りなどしたくないでしょう?」
「…………」
確かにこいつの言う通りだった。このままこいつを放って今すぐにでも帰ってしまいたい衝動には駆られたが、それではこいつの思うつぼなのだと思うと、それだけはしたくないのもある。
私の心中を察してか否か、義弟は形だけの笑みを浮かべると、背中に背負っていた刀袋を私へと差し出す。
「義姉上様の形見にございます」
「……?」
「打ち刀、とはいってもただの刀剣ですが」
「生前、義姉上様が使っていたものです。それはそれは大事に手入れのほどをされていたようですよ?」
刀袋を開けば、そこからは一振りの日本刀が顔を覗かせる。鞘から抜けば刃こぼれひとつない美しい刃文を浮かばせる刀身がその姿を見せる。
そういえば、随分と前の手紙で刀を嗜んでいると言っていたような気もした。
それを目の前の義弟を交互に見やれば、先ほどまでの邪悪さはどこへやら、驚くほど穏やかな表情をした彼の姿がある。
その表情は私を憐れむでも、面白おかしく思っているとも取れず、むしろ一仕事終えたかのような安心しきったような表情にも見て取れた。
「……何を言わずともよいのです。義姉上様も、きっとそれを望んでいたでしょうから」
「綴は」
「死因のほどは私もよく存じておりません。ただ、死体の損傷はそれはもう、ひどい有様でした」
「……そうか」
「私はまだ“そういったもの”に強く関わっておりませんので、これはただの推測に過ぎませぬが……義兄上様でしたら大方察しがつくのでは?」
「そうだな」
突然死、なんてそうそうあるものじゃない。ましてや死体が見れたものでないとなるとなおさらだ。
「ゆめゆめお忘れなきよう……明日は我が身でございますよ、義兄上様」
「どうか、義姉上様の分まで生きてくださいまし」
義弟は最後にまっすぐ私を見据え、そう言った。
「…………言われなくとも」
元よりそのつもりだ。そう返せば、それに呼応するかのように刀身がきらめいてみせた。