text:虚に徒花2



唸り声がした。
ルークより早くその気配に気が付いたのは、戦場での経験が豊富なジェイドだった。
魔物の唸り声というよりも純粋な獣の威嚇に近い。足を止めたジェイドに倣い、他の面々も何かの気配に気が付いたようだ。
簡易用のランタンを掲げ、ガイが先頭へ進み出る。
暗闇に浮かび上がったのは、何かを庇うようにして此方を威嚇する犬だった。

「ウー…グルル…」
「こんな所に犬…?」
「見たことの無い犬種ですね」

毛を逆立たせ唸る犬は、今にも飛びかかってきそうな程に警戒を強めている。
恐る恐ると言った様子でルークが進み出、それにアニスが危ないですよと声をかけた。言ったアニスも、好奇心からか足が前に出ていたが。

(何で近づいてるのに襲ってこないんだ?)

ルークは目を細め、注意深く犬の後ろを見やる。ぼんやりとした闇の中、横たわるものを見つけ、ふと気が付いた。

「こいつ、誰かを守ってるのか?」
「人が倒れていますわ!」

ガイがランタンを持って更に犬との距離をつめる。犬はまだ飛びかかっては来ない。
暗闇の中、男が倒れていた。見たこともない鮮やかな紫の衣服を身につけ、髪を無造作に結い上げている。
顔は蒼白で、荒い息を吐いているところを見るとどこか怪我を負っているのだろうか。左胸を抑えるようにして握りしめられた拳は、あまりの力に白くなっていた。
その苦しそうな様子に、ルークから「お節介」と評価されているナタリアが歩み寄ろうとする。
だが犬が吠えたててしまい、近付くことすらできそうもない。
どちらにせよこの道を進まなければ先は無く、選択肢は皆無な訳だが。
ジェイドが致し方ないとティアに視線をやる。犬を眠らせてその間に彼を助けるしか方法は無い。だが、ティアが動く前に横たわる男が口を開いた。

「ラピード……」

酷く嗄れた声で呟かれた、それは犬の名前だったのだろう。握っている拳とは反対の浅黒い腕が伸びて、男が犬の背を撫でる。犬には男の意思が伝わったらしい。犬が大人しくなったのを確認し、ジェイドは男の傍らにしゃがんで大丈夫ですかと聞いた。

「…死にたくない…」

蚊の鳴くような声がジェイドの鼓膜を揺する。今まで幾多もの死を見てきたジェイドだからこそわかるのは、この男は心底生を望んでいるということ。
大の大人が命ばかりはと泣き叫ぶより、憐れで真摯な願いだった。柄にでも無く、今治癒をかけますと、焦った声で答える。
目配せれば、すぐさまティアとナタリアが駆け寄り術を唱え始めた。
淡い光に包まれて男の呼吸が整っていくと同時に、急速に顔色も良くなっていく。

「なに、これ…!」

ティア声に視線をやり、ジェイドは彼女たちと同じように目を見張った。
下級譜術であるはずのものが、増幅され上級に近いものになっている。
譜眼で見れば、ジェイドにはよくわかった。男の身体を巡る譜術が心臓へ達したと同時に増幅し、効率よく回復を促している。
まるで生きる音機関だ。

「これは…一体…」
「んっ……」

よいしょ、と上体を起こした男は、確かめるように腕を振り、こき、と音を立てて首を曲げた。遠巻きにその様子を眺めていた犬が男に近付いて頬を舐める。その頭を撫で、男は照れ臭そうに笑いかけた。

「ありがとラピード。おっさんのこと、守ってくれて」
「わう」

男は視線をナタリアとティアに向けると人懐こそうな笑みを浮かべて、改めて頭を下げて礼を述べた。

「お嬢ちゃんたちもありがとう」
「お嬢っ…。…調子は大丈夫ですか?」
「お礼を言われる程のことではありませんわ、もう平気ですの?」

心配そうな二人に男は、大丈夫と笑った。
ジェイドは眼鏡を押し上げると、無事で何よりです、と当たり障りの無い言葉で話し掛ける。男は先程までの弱々しい様子を全く感じさせず、「そぉね、ご迷惑おかけしました」などと言って頭の後ろで腕を組み合わせた。
憎めぬ様子は天性のものか「眼鏡の旦那もありがとう」と屈託なく微笑まれる。先ほどの弱々しさはどこへやら、一転して飄々とした雰囲気にジェイドは少し呆れた。

「さて、さしあたって我々は急ぎこの先へ進まねばなりません。しかし貴方がここに倒れていた理由と素性諸々が気になります。軍人として見逃すわけにはいきません」
「はぁ…」
「旦那、まさか…」

ガイが慌てたように口を挟んだ。
ええ、そのまさかです。とジェイドは笑い男の肩に手を置くと、振り返って仲間たちに告げた。

「彼を拘束、捕虜といたします」
「え、ええっ?!」

驚きジェイドを見上げながら、男はわたわたと慌てる。誰か、と助けを求めて目があったのは、面白くなさそうに顔をしかめているルークだった。

「俺が親善大使だぞ!おいジェイド、何勝手に決めてンだよ!」
「おや、すみません大使殿。ですがこれはキムラスカにも関係することではないかと差し出がましくも思うんですが」

どういうことだよ、と大人しくルークが問えば、ジェイドは自分の顎に指を掛けて、いかにも楽しそうな顔で考えを告げる。

「ここからバチカルは目と鼻の先です。そんな場所に素性の知れない人間が潜んで、苦しむフリをし、我々を待ち構えていたら、どうです?」
「え、ええ〜…大佐、それはぁ…」
「旦那、それは言い過ぎだ。俺たちを襲うにしたって、これじゃお粗末すぎる」

ジェイドはふと静かになった男の顔を盗み見た。男は自分のことについて、けして穏やかではない会話がなされていると言うのに、その目はどこか上の空である。
この反応は確かに本当のものだ。
だが彼がいやに世界から浮いているというか、この場にいることが不可解極まりないものであることには違いないと、どこか遠くそう感じた。
ジェイドは軽く嘆息すると、男を此方に向かせるように声を掛ける。
ルークとよく似た碧眼が、ジェイドを見てかたちを取り戻した。

「とりあえず、お名前と出身を」
「…レ、イヴン…」

名乗ったと同時にレイヴンが肩を震わせ始めた。弾かれたように顔を上げると、どこなの、と叫びながら忙しなく辺りを見回し始める。足元に居たラピードが唸り吠えて、それがまるで「落ち着け」と叫んでいるようだった。
ジェイドがレイヴンの肩を抑え、ガイがティアたちの前に出て彼女らを庇う。
次にレイヴンが叫んだ台詞にジェイドは眉をしかめて、ルークは自分のことのように辛そうな表情を浮かべた。

「こんな場所…!知らないっ…!わかんないっ…!」

なんで、どうしてこんな知らない場所にいるの?リタっちは、ジュディスちゃんは、エステル嬢ちゃんは、カロルは、パティちゃんは何処にいるの。


…ユーリは?


レイヴンはまるで迷子の子供のように、俯き項垂れた。泣きわめくようなことは無かったが、それが出来たら楽なものもあったろうと、レイヴンはそう思う。
すっ、と差し伸べられたてのひらは、朱い髪の青年のものだった。明るい色がぱっと広がり、レイヴンは眩しげに眼を擦る。
まるで自分のことのように哀しげな顔をする彼が大切な黒いシルエットとだぶり、その彼がこの場所に居ないのが、苦しくて仕方無かった。




「レイヴン、じゃあキムラスカも知らないか?マルクトも、ダアトも聞いたこと」
「無いわねぇ…音素って言葉もわかんないし、その…すこあ?も知らない」
「この分だとぉ、この世の中で当たり前なこと全部覚えてなさそうですねぇ」

ひとまず落ち着いた様子のレイヴンにそれぞれ自己紹介をした。ルークはどうやらレイヴンの様子に自分を重ねたらしい。
随分とレイヴンになついていた。
ルークとアニスがレイヴンを挟み質問攻めにしているのを眺めながら、ジェイドは感じた違和感に頭を悩ませていた。
まずは彼を回復した時に増幅された譜術について。まるで音機関さながらに増幅されたそれが気になった。
このような状況に置かれたことがない上、前例もない。超振動ともまた違うのだ。
それも気になるのだが、もう一つ。
何も覚えていないなら、自分の名前を言えるわけがない。ならば、一時的な記憶混濁か喪失。しかし、情報を刷り込みすることで3歳でも人格者となれる。そういう技術に関して、自分はこの中の誰よりもそれが理解できるのだ。
もしや、彼も、と思ったところでラピードの唸り声がした。一拍遅れて気がついた、それは魔物の気配で、ジェイドは舌打ちと共にルークたちへ視線をやる。
既に応戦が始まっていた。

「ったく、ウザってぇ!!」
「レイヴンさんはあたしたちの後ろにいてくださいね!」

トクナガを見て眼を丸くしているところを見ると、人形師についての情報はそのくくりで無いらしい。
そこまで考えて、まだ決まったわけでもないのに事を急いては駄目だと、ジェイドは頭を振った。
ティアが唱えたフォースフィールドにレイヴンを呼び、戦えないなら足手まといだからここを動くな、ときつく言い放つ。

「まぁ、もし戦えるようでしたら自分の身は守ってくださいね」
「あ、うん…たぶん、いけるわ」

それはよかった、と笑い、ジェイドも詠唱を開始した。

「タービュランス!」

完成した術を力ある言葉に乗せ滑らせ、解放する。鉛色の質量を含む風が、魔物の身体を舐めて切り裂いた。
それを見届けたジェイドは次の標的を定めながら戦況を見渡す。魔物自体はそこまで強いものではない。
だが如何せん数が多かった。
ルークとアニス、それを援護しに行ったティアは前線に張り付いている。
ガイ、ナタリアは詠唱をするジェイドの援護に回っているが、正直レイヴンのことまで気が回りそうになかったのだ。
万事休すですか、と口内で呟いた瞬間に、激しい音素の奔流を感じた。
風を司る緑の流れが、ジェイドをすり抜け背後へと集っていく。

「っ…!これ、はっ…?!」
「いつも心はピンク色…くらえ恋心…!」

ふざけた詠唱に、思わず呆然とする。ジェイドの前に居たガイとナタリアも気づき魔物から距離を取ったが、やはりその聴いたこともない譜術の詠唱に呆然とした。
それでも冗談のように風は集い、桃色の花びらが吹き荒れる。

「アリーヴェデルチ!」

展開した術が地面に印を施し、巻き上がる風が魔物の身体を押し上げ切り刻む。
後には花弁だけが残った。

「なんか調子良いわ!わんこも行く?」
「ワン!」

止める間も無く、レイヴンの隣にちょこんと座っていたラピードが駆け出した。
全員が目を見張る中、今にもルークに襲いかかろうとしていた魔物に肉薄してゆく。
背中に付けたナイフは飾りでは無かったらしい。レイヴンにキセルを預け自由になった口でナイフの柄を銜えると、目が追い付かないほどの俊足で魔物の喉笛を切り裂いた。断末魔を上げる暇も無く倒れ伏す魔物を飛び台にし、次の魔物へ近付く。

「賢い犬だとは思っていましたが…」
「ラピードはね、犬でなくて人でもない。ラピードっていう生き物なのよ」

にこやかに言い放った草臥れた相貌の男に、真面目に毒を抜かれた気になる。
ジェイドはラピードの一撃で地に沈んだ魔物を見届けると、成る程、と顎に指を滑らせた。ルークがラピードに走り寄り、すげぇすげぇと両手を上げて喜んでいる。
歳のわりに幼いそのしぐさに、レイヴンも目を細めて和んでいた。
が、その刹那。
むくりと起き上がった魔物が、ティアの背後で鋭利な爪を閃かせる。それに気付いたのは、ガイとジェイドとレイヴンだった。

「ティア!!」

叫びはガイのもの。
だが遠い。気付いたルークが駆け寄るも、それまた遠かった。詠唱も間に合わない、とジェイドが盛大に悪態を吐いた瞬間、横切った紫の羽織がナタリアから弓矢をもぎ取っていた。

「キャア!」

素早く狙いが定められ、風を切った矢が魔物の片目に吸い込まれる。咆哮を上げて仰け反った魔物が闇雲に腕を振るうが当たらない。辿り着いたルークがティアを既に魔物から遠ざけていた。

「弾けろ!」

レイヴンの高らかな宣言の通り魔物の頭がパン、と弾けて音素に還って往く。
その魔物を最後に、戦闘は終了した。





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(2009/12/03 09:03 *text)



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