スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

決意の歌

ふーさん、諸々のプランと報告の巻。




























・ずいぶんお久しぶりのふーさんだよ。なんで更新しなかったかっていうとただ単に書くことがなかったから。んで今回はあるんだよ。











・ふーさん、来年度をもって今の仕事を辞めようと思いますまる。なぜかっちゅうと東京行きたいから。東京で自分の音楽やりたいから。ふぐすまいるの飽きたから。一人暮らししたいから。ってとこかね。具体的に言えば、都内で働きながらバンドマンとして上の写メみたいな感じでがんばるよーってことね。





・甘くてぬるい毒にいつのまにか骨まで侵って、ほんとうにやりたかったことはやれないでいて。見えないアンテナも錆び付いて大人として一人で生きる術すらもない、そんなどっちつかずな日々に危機感を感じたわけで。同年代達の後ろ姿を口を開けて眺めてたら、あっという間に地獄行きなわけで。


例え実らないとしてもその経験は必ず糧になるだろう。将来的に一人で生きることにならなくとも、一人立ちの経験は必要だろう。そのためにはふーさん自身を多少強引に甘い底なし沼から引っ張り出してやらなければいけないわけで。






・人間は不思議ないきもので、縛りという檻(タイムリミット)を設けると、その檻の中に自由を見出だそうとするものらしい。仕事を辞めて引っ越すわけだから約一ヶ月ほどの猶予ができることになる。ならばそれ=休暇を活かして海外へ行こう、自分の知らない、自分を知らない世界を知ろう。ちなみに今のところ候補としてはフランスかイタリアかアイルランド、もしくはタイあたりで迷ってる。

















そんなわけで来年3月までは、ふぐすまのふーさんをどうぞよろしくね。



借金の歌

ふーさん、お友達に会いに行って来たのよの巻。

















・というわけで22日、夜勤明けの体に鞭打って3年来のお友達に会いに行って来たぜ in 盛岡。到着から小一時間後、画像は早速地ビールで杯を交わす2人の図である。疲れたふーさんは五臓六腑フル稼働式ビール吸飲器と化する。そして互いの創作やファッション、些細な話に花が咲く。そう、我々はジャンルは違えど創作をする者同士なのだ。







・地ビールの後は軽く買い出しに向かい、今夜の宿へ。鉈屋町なる古い町並みにある、町屋暮らしを体験できる素敵施設ね。なにかとオールドスクールなものに目がないふーさんにはこれ以上ないうってつけの宿だ。吹き抜けになってるのは「神棚の上に部屋を作らない=神様を踏まないため」だとか。




そしてこんな風に金田一チックでレトロな寝室にて宅飲み。画像は朝の様子だが、夜のそれは障気というか、ホラーなオーラで満ちてるのよ。「(´;ω;) 1人で泊まるのこわいよう」と駄々をこねてみるも案の定流されて凹む。スリリングな思いも凹んだ思いもまた思い出。






・2日目、盛岡の街をぶらり撮り歩きの巻。小さな雑貨屋さんを巡っては舶来モノのピンバッジを漁ったり、はたまたフォトジェニックな小路の風景に2人して通行人を忘れたり。ちゃんと撮れていれば次記事にて写真をお見せしたいところだ。

しかし盛岡はおされピープルが多い。たまたまその日の市内でロックフェスや学祭が催されてたことも大きいだろうけど。そのおされマインドを育むは市内至るところに点在するおされショップ、そして古いものと新しいものがカオスながらに共存する盛岡の町並みだろう。日本中みんなこんなんならいいのに。






・そして何を隠そう今回の旅の最大の目的、お友達への誕生日プレゼントタイムである。「長い付き合いだから、ふーさんだからこそあげられるものってなんだろう?」と考えた結果、ふーさん作詞作曲のオリジナルソングを弾き語りで贈ることに。うまく伝わったかしら。ちなみに画像はギターを持たせたお友達、オーラだけはいっちょまえのシンガーソングライターである。






・そしてなんやかんや理由をつけて出発ギリギリまで粘り、バス乗り場まで送ってもらっては互いに手を降る。遠くなるその影は、面妖なことにバスが走る距離と比例して胸の奥で濃くなっていた。

ところで今回の旅には大きな誤算がある。それは贈り物をしに来たはずなのに、逆にもらったものがありすぎることだ。全く、いつになったら返し終わるのだろう。













そんなこんなで誕生日おめでとう。



センスの歌

ふーさん、またまた思考の迷路なうの巻。


















・普段履くスニーカーが糞以下のボロい奴しかなかったから買った。「カジュアルなのがカジュアル過ぎなくまとまり、きれいなかっこに合わせるとハズシになるんってなんだろな」と考えた結果がこれである。わかりにくいが裏地チェックとスウェード地、レザー使いがお気に入り。買ったはいいがどうしようかしらマジで。






・音楽にもファッションにも言える話なんだけど、センスって一体なんなんだろう。かっこいいだのダサいだのってなんなんだろう。椎名林檎の月に負け犬の歌詞に「好きな人やものが多すぎて見放されてしまいそうだ」とあるが、まさにその心境だ。好きなものはたくさんあれど、なら自分の芯ってなんだろう?との問いの前では、どこまでもすっからからっぽな自分が裸にされてはうなだれている。それらを気にせずに様になるほど才能がないことは知っている。


「人のことなんか気にすんな」「失敗を恐れるな」とは言えども、人のことを気にしてるのとはニュアンスが違う。自他共にサムイと思うことをしてるのに蒙昧な自分自身を許せないのだ。それに残念ながらふーさんは失敗が許される歳ではない。そもそも音楽もファッションもなんのためにやってるんだろう。ほんとうにただ楽しいからじゃダメなのか。




・いっそのこと怪獣かなにかが現れて、世のセンスも価値観も全てぶち壊して真っ平らに平均値化してしまえばいい。100の統制と100の自由は反対なようでよく似ている。どちらも思考を放棄したいからっぽな小市民には過ごしやすい環境だ。




・そしてこんなくだらないことにうじうじと悩むこと自体がダサいことも、ダサいだのなんだの気にしてること自体がダサいことも確かだろう。しかし生きてるだけで沸いてくるこいつは誰にも見えないところに閉じ込めて、むごく小さく慎ましく生きていくしかないのだろうか。













いつからこんなつまらないことばかり気にするようになってしまったんだろう。


後悔の歌

ふーさん、久々のライブだよの巻。
















・こないだふーさんのバンドでMレボなる、福島の若いバンドが集まるコンテスト的なライブに出てきた。んでこんな感じでステージ上がりましたよっていう。左がふーさんで右はバンドのベースね。ちなみにその曲の録音したけど、いかんせんファイルを変換できなくて載せられないのが辛いぜ。メールなら送れるぜ。

結果としては優秀賞、奨励賞、オーディエンス賞と3つの賞のどれにもかすらなかったっていう。審査員の先生いわく、「曲や個々の演奏の完成度は高いがアンサンブルとしては今一つ、ボーカルは曲に沿った表現を考えるとよい」だそうな。






・そして昨日、久々のショートヘアにした。耳が隠れるヘアスタイルに飽きて、衝動的にバッサリいてもうた結果がこれである。外人女のやるような刈り上げショートを目指したら、鏡の中にはなぜかインドネシアからの留学生がいた。顔があらわになるって怖いことなのね。




Before







After











こんなんだけどライブも髪型も後悔しちゃいないぜ、ボーカルのチョイス以外は。


厨二の歌

ふーさん、たまには不謹慎なことも書くよの巻。





















・突然だけど葬式に行きたい。正確には行かなければならない気がしてる。なぜってふーさんは産まれて一度も葬式に行ったことがないから、どこかで死をスクリーン上の舞台装置と思ってる節があるから。なるべく若いうちに身近な人の死に向き合う体験をせず、音楽を作る者としても人としてもなにかを欠落したままずるずると大人になるのは非常にまずい気がする。でも死んでほしくない矛盾。
ちなみに犬ならあるけどさ。目の前で冷たくなったあの体温は、きっと水銀の満ち引きなんかじゃ計れなかった。






・純粋なんかじゃなくて、世間知らずなだけ。正直者なんかじゃなくて、嘘をつける知恵が回らないだけ。






・やはりドヤ顔で辛気臭いことだけ書くのは向いてない。最近は組みもしないバンド名を考えて妄想するのがマイブーム。きっとThe CitronsはUK産おされポップバンド、Nuiは一昔前に流行った北欧系ロック、Paperbag Boysは国籍もジャンルもごちゃまぜなユニットなイメージ。

















やっぱ厨二って楽しい。
<<prev next>>