心の中は火の車

いつだったか病院の先生が言ってたな
葛藤しすぎて泣いたからだったかな
その言葉に救われたんだよね
救われたというか、自分が悩んでるようで実は悩んでないんじゃないかとか、はたから見たらこんなの葛藤でも何でもないんじゃないかと思ってたところに、先生が私の知ってる言葉の中でも割りとひどい状態を示す言葉をかけてくれたから、安心したのかな
心の中で望んでた言葉をくれたのだ
その言葉を言って欲しくてわざと先生の前で悔し涙流したわけじゃなかったから、唐突に言われて、不意をつかれて、なんていうか、ほんとに心に響いた
あ、この人精神科医だ
って変なこと思った
ちゃんと見てくれてるんだ、なんてね
私はみんながそれぞれ苦労してるのわかってるから、自分が特別な苦労をしたとか思わないけど、(現にンキたんのが壮絶な人生だしね)自分と似たような境遇の人の悲しみや苦しみは多少わかると思うんだ
今すごい幸せ
だから今苦労してる人も、いつかは幸せになれると思うよ
しぶとく生きてればね
間違って死んじゃったら、幸せもなにもない
苦痛からは逃れられるかもしれないけど
でもすごく苦しんでもがいてもがいて、もう死ぬしかない!って思ってたとしても、その苦しみは永遠じゃないと思う
1週間、1ヶ月、1年、期間は長いかもしれない
でもそれ乗り越えれば苦痛は終わり
永遠なんてないの
また違う苦難が待ち受けていると思うけど、幸せや苦労を繰り返して人間は育つ
今はそう思える
今だけはそう思える自分がいる
こういう考えができるだけで幸せだね
マイナスな考えしかできない人はきっと私の言葉なんて安安とひっくり返せるくらいの不安を抱えてて私はあっさり論破されるんだろうよ
マイナスで心が埋まってる時はどんな言葉も耳に入ってこないもん
そういう時は心の距離より体の距離を縮めるといいかも
せっくすしろとかじゃないよ
同性でも異性でも、黙って寄り添ってくれるだけで段々と自分に欲求が生まれてくるはず
そうしたらその欲求を叶えようとするのではなく、自分がして欲しいことを相手にすること
もしそれが当たりの人間であれば、相手は同じようにあなたの欲求を満たそうと努めてくれる
自論では、自分が何も与えてないのに誰かに与えられようなんて図々しいにも程がある、と考えてる
だからといって、自分はこれだけしたのだからあなたも同等な価値のものを私に与えてよ!っていうのも違う
だってお互い違う人間なんだから、求めてるものも満足感も違う
そうだなぁ
3与えたら1返ってくるかこないかくらいが現実じゃない?
10与えて1返ってくるとかだと、私的にはあまりに聖母すぎる
そうやってコミュニケーションとっていくうちに、人間との関わりや自分を取り戻していくんじゃないかなぁ
少しずつだけど
長い目で見ればいいんじゃない
ただ最初はいろんなことに感謝できないと思うんだよね
疑ったり、信じられなかったり
それは心が不健康で、感受性が低くなってて、プラスな感情に鈍くなってるから
マイナスが酷くなって傲慢さが出てくると、人を疎んだり、見下したり、余裕が全くといっていいほどなくなっちゃうし
そういう人は客観的に考えてみるといいんじゃないと思う
自分が今どんな状態でどんな環境に置かれてて、誰がどんな言葉をかけてきてどんな行動をとってくれてるか
これを考えてる時に自分の感情を全面に押し出してしまっては元も子もない
他者から見て、自分が感謝すべきことは何か
まぁ頭ではわかるけど心が追いつかない場合もあるし一概には言えませんな
んー思ったんだけど自分の傷を誰かに1度に押し付けようとしても上手くいくはずないよね
全て受け入れてくれる人なんていないもん
私は今までこれだけの苦しみを味わった!それをなんで分かってくれないの?!
なんてねぇ無理があるね
徐々に徐々に、ひとつずつ長い年月かけて本当の意味で理解してもらっていろんな人が自分の傷口を撫でてくれた時に、私もう大丈夫かも、と思ったりするんじゃないかなぁ
とても話が長くなった上に結局何が言いたいんだ!って感じだけど
なんていうか…私は自分を戒めてるだけかも
不幸な自分に泥酔して誰も分かってくれない私は死ぬしかない死んで今この苦しみから逃れたいって思い続けてた過去の自分に言ってやりたいんだよ
少しずつ顔を上げろと。