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流れる

どうしていいか分からない時はいつだって周りに任せていた。
どうしたいのか分からないのだから、なるようにしかならないと思っていた。
答えを導き出そうとはしなかった。
自分をよく解っていたり目標とする人がいたら、どの答えを選んだらどうなるのか多分予測付くんじゃないかな。
もちろん予想外なことも起きるだろう。
でもただ流されて答えを待つ人と自分から導き出そうとする人とじゃ、エネルギーの使い方が違うし、きっとそういった経験から学ぶことも差が出る。
後者のが理想的だけど、どうやったらそんな情熱を燃やせるのか謎。
流されることは悪いことだと脳みそが言う。
根拠はよく分からない、考えない。
みんなそうだと思うけど、善悪の判断は生まれてから脳に植え付けられた常識と経験からしてると思う、独自の理論で判断してる人は少ないと思う。
もう根拠なんて考えなくても不快なものは不快だし、て感じ。
私はきっと今までの経験から流されることに劣等感やら罪悪感を抱いてきたから悪いことだと思ってんだろう。
たまには悪くないよ、いいじゃん、とは思うけど、どうも胸を張れない。
じゃあ自分から解決してみる?と訊かれても困る。
そんな気力ないし、自分を信じた選択が出来る気がしない。
だって間違ってたら、後悔したらどうする?
あー、多分、責任逃れしたいから、自分で決めないんだ。
誰かに任せるのは、いざという時自分を守るためだね。
自分だけは自分の味方で居られるように。
優柔不断は、そういうとこからも来てるかもしれない。
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