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正岡子規が8月に作並の岩松旅館に…

坊主頭でカリエスの為、寝たきりで俳句やいろんな記事を新聞に発表してた文人かな!くらいしか知らなかったんですが、新聞社に入った若い時に芭蕉の足跡をたどり俳句の新境地を地方の俳人に教えたい!と、袴に下駄という正装で東京を出発!汽車の通っている場所は乗り塩釜までは元気いっぱいだったらしいが、若僧が何を言うと、歓迎されなかったみたいでした。逗留した岩松旅館で「果て知らずの記」を元に大変だった旅の彼が感じた陸奥を勉強する会に参加した。暑い夏の旅、それも下駄で、象潟でわらじに履き替えるまで大変だーと書き記している。当時の食事再現は親子丼とスベリヒユの浸し、煮物、のし梅(お菓子)と今も食べられてる物ばかりで感激しました。資料館では年譜や業績を知り「野球」の言葉を考えた野球青年だった事、本名からノボールと言う雅号があった事など、早すぎた生涯を岩風呂に浸かりながら偲んだ1日でした。近くにあるニッカウヰスキーの工場見学で知る、創始者の竹鶴夫婦の物語が次の朝ドラになる!奥様がウイスキーの勉強に行った先で出会った人とは!世の中知らない事だらけの私には感激の日々でした!
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