えろす
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「………っ、は…」
窓を叩きつける雨音は激しくて、まるで僕らの行為を外界から隠そうとしているようだった。僕の熱くて水っぽい吐息も、湿気でしっとりしたシーツが吸い込んでいく。
夕方なのに真っ暗な外とは違って、部屋の中は明るい。煌々と点いた真っ白な蛍光灯がたまに視界に入り込んできて、目がちかちかする。目を細めると、藍色の混じった黒髪が傍らで揺れた。
「……何を見ているのですか。よそ見をするなんて、随分と余裕があるようですね」
少し怒ったような声がしたと思ったら、首にちりりとした痛みが走った。
「……っ!」
ちゅ、態とらしく音を立てて、鎖骨や胸元にも同じような痛みを残していく。3回目くらいで僕は漸くその意味を理解し、彼の頭 ─── 頭頂の変な房を掴んで引き剥がした。
「……痕が残るだろ」
「残してるんですよ、態と」
いけしゃあしゃあと言ってのけた彼に、僕は舌打ちして嫌な性格、と呪詛を吐くような声を投げつけた。しかし彼は「それはお互い様です」と鼻であしらい、薄い唇を僕の胸に滑らせていく。
「んっ…」
擽ったさに仰向けのまま足を突っ張り、身体を上方に逃がそうとしたら、腰の下に腕を回され固定された。やめろと抗議しながらも、男に付いている意味が分からない胸の飾りに唇が当たった瞬間、脊椎に不可解な痺れが走った。
「ぁ…っ!」
思わず声を上げた僕に、彼はニヤリと笑う。
「クフフ、感じるのですか。嫌がるわりには身体は正直ですね」
「…、そんなわけ……っ」
「こんな戯れ方をするのは、素面では初めてだったでしょうか。元々素質があるとは思っていましたが……」
言いながら、彼はぱっくりとそれを口に含んだ。はく、と息を呑んだ僕に構わず、舌先をぐりぐりと押し付けてきた。
「ゃんっ…!」
ビクンと肩を震わせて、自分でもびっくりするような高い声が出たことに僕は目を見開いた。まさか、今のは僕の声だったのか?彼の声ではなくて?いや、彼の声だったとしたら余計に鳥肌ものだ。
胸を弄られてみっともない声を上げるなんて、まるで女ではないか。一拍遅れてカッと顔が熱くなる。それは残念ながら彼にも聞かれていたみたいで、おやおや、と面白そうな声が聞こえた。
「流石は "雲雀" ですね。好い声で囀ずるものではありませんか」
「─── ッだまれ、変態…っ」
「ふふ、可愛らしい」
少し余裕をなくした僕を追い込むかのように、彼の舌先の愛撫は続く。押し潰して、舐めねぶって、吸い付いて。断続的に襲い来る不思議な刺激に、僕は、あ、あ、と短い声を上げながら首を振った。
「ゃ、嫌だ、……、むくろ……っ」
一昨日の、あの時の感覚に似ている。
この曖昧な浮遊感、そろりと沸き上がる恐怖心。
そして、信じたくはないが、快感も。
屈辱だ。
この男に、六道骸に、こんな快楽を与えられるなど。
そもそもどうしてまたこんな事態になっているのだろう。
僕は白む意識に思考を委ね、記憶を辿った。
* * *
「──── タオルはこれを使って下さい。シャワーもお先にどうぞ。ああ、今回は一人で入れますよね?無理なら手伝って差し上げますが?」
そう言って振り向いた骸の顔は馬鹿にするように厭らしく笑っていた。雲雀は言葉の裏に含まれた意味を悟り、骸をギッと睨む。
「……っ余計な世話だよ」
差し出されたバスタオルをひったくり、教えられたバスルームに向かう。苛々しながら辿り着いたそこは慣れないユニットバスで、いつも湯船に浸かるのが習慣となっている雲雀は、面倒なシャワーの調節やバサバサと鬱陶しい防水カーテンに更に苛々した。バスルーム一面に水を撒き散らして出てやろうかとも思ったが、あまりに子どもっぽいのでやめておいた。
昼間まではあんなに欠伸が出そうな雰囲気だったのに、何故だか今は、雲雀も骸も刺々しい雰囲気を隠しもせず相手にぶつけている。第三者がいたら間違いなく八つ当たりでぐちゃぐちゃにしていただろう。くそ、何でこんな時に限ってあの草食動物は居ない。いつも不思議なくらいバッタリと出会すのに。
そう、先程のように。
それを思い出すと怒りが高まるばかりかと思ったが、沸いてきたのは意外にも侘しさや喪失感といった、無気力なものだった。
何でそんな気持ちになるのか。意味が分からない。雲雀は大きな溜め息を吐いた。
─── 僕はやっぱり君が嫌いだ、骸。
先程口をついて出た言葉を脳内で反芻する。
やっぱり、ってことは、あの時心の何処かで彼を受け入れかけていた、ということだ。
どうして?そんなの有り得ない。
彼は敵。たとえ一瞬でも赦してはいけない相手の筈だ。
僕は過去に一度アイツに負けた。それは永久不変の、耐え難い事実。清算するには、再びいがみ合い、戦って、殺し合って、僕が勝つしかないのだ。そうしてやっと、僕は彼と対等になる。
なのにどうして彼は僕と馴れ合おうとする。
何故僕に過去への妥協を迫る。
どこまで僕を貶めれば気が済むというのだ。
ぐるぐると考えながら雲雀がリビングに戻ると、骸は簡素な部屋着に着替えていた。雲雀の姿を見た骸は一瞬目を見開いたが、ああ、そう言えば着替えを用意していませんでしたね、と思い出したように呟く。
制服がぐっしょり濡れていたため着るものがない雲雀は、タオル一枚を腰に巻いただけの格好だった。
「まあ良いです、どうせ服は必要ないでしょう」
「…?」
「それより君、髪の毛濡れたままじゃないですか。また風邪をひきたいんですか?」
まったく世話の焼ける、と骸はクローゼットから新しいタオルを取りだし、手に広げて雲雀の頭に被せた。いきなりのことに雲雀は驚いて身を引こうとしたが、がっしりと頭を掴まれたためそれは叶わなかった。
「痛っ……ちょ、なに」
「じっとしていなさい」
苛立ったように短く告げると、そのままわしわしと雲雀の頭を拭く。幼い頃母親にこんなことをされた記憶は微かにあるものの、まさか同じ年頃の男にこんなことをされる羽目になるとは思わなかった。どうして臆面もなくこんなことが出来るのか不思議でならなかったが、いつも一緒にいる煩い子犬やメガネの事を思い出したら、何となく納得できた。
では自分は彼らと同列扱いを受けているのか。そう思うとまた腹が立ってきたが、だからといってどうして良いのかも分からず、パサパサと跳ねて顔にぶつかる髪の毛に、取り敢えずきゅっと目を瞑った。
そんな珍しく大人しい雲雀をちらりと見遣った骸は、内心本当に大丈夫ですかねこの子は、と何だか複雑な気持ちになっていた。
何度も襲って犯そうとした相手に、こんな無防備な姿を晒すなんて。しかも風呂上がりで上気した肌を惜しみなくさらけ出して、身体を覆うのは腰のタオル一枚。どうぞ食べて下さい、と言っているようなものだ。
─── よほど、僕の言っていることを信じていないみたいですね。
ああ、苛々する。
どうして伝わらない。
「まったく、困るんですよ」
「…何が」
「床やシーツを濡らされては迷惑ではありませんか」
そう言って、ふありとタオルを取り払った後現れたのは、怪訝そうに眉をひそめて上目遣いに首を傾げる雲雀だった。
─── ああ、どうして、きみは。
「床はともかく、何でシーツが濡れ……、っ!?」
不意をつかれた。腕を引かれるままよろけた先には、骸のベッドがある。仕舞ったと思った時には遅く、引き倒されたあと骸が覆い被さってきた。
斯くして、冒頭に至る。