予定調和に惜しみなき愛を

たとえばディズニー映画とか、そういう子供向けのお約束の詰まった物語の何が素晴らしいって、なんとなく『ここは絶対こうなる』ってわかってるのに、それでも面白いと思える何かがあるからだと思います。

それは映像美だとか俳優の演技の素晴らしさだとか演出のあれこれどれがスゴイとか色々あると思うのですが、やっぱりなんといっても子供向けの作品は『愛すべきマンネリ』の宝庫だからだと思います。時には普通とは一線を画する尖ったものに惹かれることもあるでしょう。バイオレンスに血湧き肉踊ることもあるでしょう。でもふと思い出した時に、なんとなくそこへ戻ってきてしまう。それが予定調和の魅力。子供向けの作品は優しい予定調和に満ちています。


どんなに嫌な悪役でもそこまで残酷な死に方はしないし(高い所から落ちて『ウワァー!!』とか、あっさり跡形もなく消滅とか、捕らえられて後は偉い人に裁かれるんだろうなーと匂わせて終わることすらある。基本、いい人達が受けた仕打ちに対して、報いがあっさりとしているような気がします)主人公もしくはその恋人が死んでしまったとみせかけて、予定調和もとい愛の力的な謎の奇跡で蘇ったりとか、最後は結婚してめでたしめでたしとかザラですよね。『自立した女性像』みたいなのを意識してるんだろうなって感じの作品でも、最後は恋人とのキスで締めたりとかね。子供向けの作品の世界では、愛の力はしばしば万能な力ですよね。子供向けの作品が脳みそお花畑と言いたいんじゃなくて、いわゆる『愛が全て』みたいな作品が、私はなんだかんだで結構好きです。というか、なんだかんだでみんなそういうのが好きなんじゃないでしょうか。


たとえば私の好きなBLというジャンルも、作家の作風によって味付けの違いはあれど『愛が全て』の最たるものだと思うし(二次BLはともかく商業BLの場合、キャラクターの行動理念は基本全て『愛の為』ですから)熱烈なファンの多い宝塚歌劇も、喜劇だろうと悲劇だろうと『愛』『愛』『愛』、音楽のヒットチャートはだいたいラブソングだし、今に限らず昔だって、歌舞伎とか苛烈すぎる愛に生き死にしてるキャラクターがもりもりいるし、泉鏡花の書くヒロインだって、かつて一目視線を交わしただけの執刀医への愛を守りたいが為に、麻酔なしの手術で死んでゆくという『それ手術受けない方がよかったんじゃ……?』なぶっとびロマンスを展開して……話が逸れました。

とにかく愛の物語というのは、それだけでもう見る人に愛される要素の一つですよね。私このブログだけでもう十年分くらいの『愛』という言葉を使ったような気がします。


子供向けの作品は表現の縛りとか色々あると思うし、それゆえにいい年の大人が観るとだいたいの展開が想像できてしまうわけなのですが、それでも『まあこうなると思ったよ』じゃなくて『よかったね!死なんでよかったね主人公の恋人!!おめでとう!結婚おめでとう!!』と、ティッシュ片手に思えるのは、それが愛されるいいマンネリだから。


過去に素晴らしい作品が既にたくさんあってみんな目が肥えちゃって、シンプルでいい話なだけの物語じゃあ、もうあんまり受けなくなっちゃって、 時代背景もだんだん複雑になってきちゃってやりたことや表現したいこともやりづらくなっちゃって、だから観ている人に面白いと思ってもらえるように、子供向けの作品ですらキャラの設定や背景やとにかく世界観に複雑な趣向を凝らした作品がどんどん生み出されているじゃないですか。今。

でも一見複雑っぽく見える作品でも、子供向けの作品のストーリーを支える骨組みはシンプルそのものです。愛、勇気、友情、予定調和に基づく勝利、全ては愛すべきマンネリズム。うーん、素晴らしい。だって見ていてホッコリかつスカッとするじゃないですか。

今ふっと思ったんですけど、子供向けの作品って痛快娯楽作品なんですよね。最近は漫画も小説もTVも『そういうのって、なんかリアルじゃないから冷める』という風潮がなんとなしにあるじゃないですか。架空の世界にいかにリアルを融合させられるか、みたいな。そのおかげで大人でも楽しめる漫画やアニメが増えた一方で、痛快娯楽な作品ってあんまりみかけなくなったような……。

簡単には願いは叶わないし、叶ったら叶ったで激鬱なリスクが待ち受けているし、死んだ人は蘇らないし、天才には勝てないし、あの日アイツを救えなかった僕だけど、今こうして別の誰かを助けることができた。僕の人生はこれからもさして何も変わらないけれど、次のステージへ向かおう、……みたいなリアルな作品はもちろん好きです。でも時には現実なんぞファイルごとゴミ箱クリックしてやりたいこともあるじゃないですか、生きてたら。心がそういう状態な時に、現実を感じる作品って、とても楽しめたものではないじゃないですか。チクチクとそこかしこで現実がちらついて集中できなかったとか珍しくないことですよね。そんなやさぐれハートも、子供向けの作品はいい感じに受け入れてくれるのです。

つまり何が言いたいかっていうと、ベイマックス観たい。そしてジャック・フロストとか歯の妖精とかイースターバニーとかイギリス妖精がいっぱい出てくるDVD(既にタイトルを忘れているけど、アイス・エイジとか作ってる所の作品です)をポチッたので届くのが非常に楽しみです。いつも通り長い独り言だったなー。

真っ赤っ赤だぜ!

紅葉を見てきました。

見よ!真っ赤っ赤!

どこもかしこも綺麗だったけど、沈みかけた夕日に照り映えた葉が、水面に鮮やかに映る光景が特に印象的でした。

ゴールの滝の近くの料理屋で、紅葉を見ながらお蕎麦と鮎と鹿肉料理を味わうという贅沢も楽しみました。いい行楽日だった。

若は猛禽かわいいし、狼谷は困り眉かわいいし、新刊は読みたいし…


よしとおさま!の綿貫鷹郎は猛禽かわいい。

すごくどうでもいい話、自分の中で若がかわいいと思う瞬間ベスト3っていうのがあるんですけど、恥ずかしながらそれを発表させていただくと、第三位が『なんか必死な時』 第二位が『天竺に腕を掴まれてる時や、百舌におバスト的なものを押し付けられている時のかわいい生き物的なあの感じ』 そして堂々の第一位が『全部』 っていう。

一位が全部の時点でランキングいっさいかんけいねえ!あと二位から即効局所的かつキモい方向に転んでる所が自分でも相当キモいと思うのですが、でも好きだからしょうがない。

今日のブログは若萌えと狼谷&大虎萌えをこじらせた感じの内容なので、全面的にいつもの三倍キモい感じです。


はー、若かわいいなあ。若かわいい。ちょうど秋だし『若、世界一猛禽かわいいよ!』って声援を浴びながら『世界一猛禽かわいい綿貫鷹郎君が乗ってます注意』ステッカーを貼った御輿に乗せられて、ものすごく迷惑そうな顔で町内を引き回されている若を偶然目撃したい。

暗殺集団の一族の跡取りで、小さな頃から命を狙われたり跡目を継ぐこと意識してて、そんな真っ黒な家業に関してやたらと意識高い系幼児が成長したら、普通なんかこう、中学二年生のハートを忘れない人たち(私です)の心にキュンと訴えかけるような、心の闇的なアレを持つ一筋縄でいかないキャラに育っててもおかしくないはずですよね。漫画的に。

でも実際の若はお育ちのよさが全面的に伺える感じの、全然すれてない奇跡のDKじゃないですか。かっこいいときはかっこいいけど、やっぱり坊ちゃん坊ちゃんしてる。 

周囲の環境が若に肯定的だったのと(小さな頃から家業の跡取りを目指す長子と、それを自分自身の夢のように応援してくれる従僕って、家業があんなどブラックでさえなければすごくいい構図ですよね)大事に育てられてきたっていうのが背景にあるんだろうな……健全なのか不健全なのかよくわからない家庭環境だ。 

そういう周囲が自分を肯定して、大事にしてくれる環境に恵まれなかったら、かつての黒彦とか狼谷みたいな感じになるんだろうか。

ちなみにあの巻末の狼谷先生と大虎君の、おそらく永遠に終わらない追いかけっこ漫画が素敵すぎて、先生あれだけで別のお話描いて下さいとか未だに全力で思ってます。

あれって、大虎は狼谷を殺さないと自分の組織に帰れないし、狼谷はもう死ぬ気などさらさらないし、大虎はあれは俺んだろうが!とか言ってる時点で、やっぱり狼谷を殺す気ないですよね。一気に問題解決ハッピーエンドと見せかけて、現状は問題先送りな状態なわけで。でもそれがいい。

ゆるゆると幸せモラトリアム状態で狼谷との島暮らしに馴染んでゆく大虎。なんかもう組織とか、狼谷は俺が始末するだとかそういうのどうでもよくなってきたなー……って所まで日和った所で、いつまでちんたらやってるんだとばかりに突如やってくる組織からの追っ手。大虎には狼谷を始末して組織に戻るか、狼谷と一緒に逃げるかの二択の道を選ばなくてはならないわけですが、そこは手に手を取って大逃避行していただきたい。ついでに世界中見て回るのもいいかもねって笑う狼谷をぶん殴りつつ、元はといえばてめえのせいだろとか言いながら楽しく逃げていただきい。いつものごとく妄想野郎で申し訳ない。


ところでよしとおさまは今年はもう新刊出ない感じなんでしょうか……秋ごろに11巻出るだろうと勝手に予想していただけに、綿貫不足がさらに深刻化の兆しを見せる私、コミックス派です。

『バカメロ』って『カリメロ』に似てる

伯母の口癖に『バカメロ』っていうのがあるんですけど、小さな頃はこの『バカメロ』っていうのが今一つよくわからなかったんです。

『バカ』ってのはどう考えても『馬鹿』しかないと思うので、なんか怒られたり呆れられたり笑われたりされているのは確かであろうなって感じの、ごくゆるい認識だったんですけど『メロ』ってのは、あれは『女郎』のことだったんだなと最近ふと思い至りました。

『めろう』つまり若い女の子のこと、あるいは若い女性を卑しめて言う言葉ですね。辞書には『野郎』から類推で作られた言葉って書いてあったな。

『馬鹿野郎』の『野郎』の部分が女だから『女郎』になり『めろう』の『う』が省略されて『めろ』要は『馬鹿女』ってことかあ。いい言葉ではないんだけど、時代がかった言い方で何やら素敵だ。さらっと使うからあんまり嫌な感じがしないのかもしれない。

カリメロは関係ない。本文といっさい関係ない。

やたらおしゃれな100均に勇壮なるシャレオツっぷりを余すことなく見せつけられるの巻



以前、地元がダイソーに占拠されし土地であり、ダイソー以外の百円均一ブランドのいっさいが寄り付かぬ(商店の片隅に存在してる系の個人経営っぽい店を除く)大不毛地帯であるという話を書きました。


そこで新たにやってきたニューカマー(大事なことなので二回言いました)セリアのシャレオツぶりに驚愕しつつもカモ※となりかけた私ですが

(※メモや掃除用品などの本来購入する予定だったものではなく、ムダにおしゃれなフェルトの塊的なサムシングやら、使い道はないけどなんとなくかわいい謎のヒモやら、気付いてみればとにかくそういういらないものしか買っていなかった……という百円均一特有の恐るべき現象の体現者のこと)


そのセリアを遥かに凌ぐレベルでシャレオツい100均を、ショッピングモールとか呼ばれる感じのあの施設で発見しました。


おしゃれな100均というか、むしろおしゃれが全部百円で売ってるよ的なノリのなんとかキッチン(もう既に名前を忘れている)は、セリアの登場に騒いでいた私にその勇壮なるシャレオツっぷりを余すことなく見せつけてくれました。

セリアがおしゃれな商品『も』たくさん置いてる100均だとしたら、そこはおしゃれな商品『しか』置かない100均……というか、100均じゃなくて雑貨屋って呼んで下さい的な感じのオーラすら漂っている始末。


そこが我が心のホームグラウンド、ダイソーと比べてどのぐらいシャレオツいのかというと、置いてる商品がいちいち本当にかわいくて、これはカモと化すもやむなしっていう、ひたすらその一点が大きいのですが、他にもシャレオツ待ったなし感を煽る何かがひしひしと感じられました。


たとえば休日でお客さんがごった返してる店舗――スペース自体が小さいことも原因ながら、人気コーナーでは移動すらままならない上に、レジが基本長蛇の列――の中に、トレンチコートでスタバのコーヒー片手に颯爽と乗り込んでくる人がいたりしたくらいには、トレンディーでした。混み混みの店内にコーヒーとか凡庸なる非オシャレの私にはよくわからない世界でした。


あとそれから、百円の商品をきちんと梱包までしてくれる所とか普通の100均にはまずないプレミア感を煽りますね。凡庸なるガサツ野郎の私には到底及びもつかぬセンシティブな心遣いだと感じつつも、だからレジが混むんだなとかそういういらぬことを考えたりもしました。ちなみに梱包用の紙は英字新聞でした。

ただの新聞ではない所がまたダイソーとは違いますね。これがナチュラルかわいいという世界なのでしょうか。


さて、そんなシャレオツい(今日のブログだけでこの言葉を一生分使ったような気がします)100均にてコースターを買って帰った私ですが、どうせだからと母にも一枚、シャレオツいコースターを進呈しました。


すると翌日何が起こったのか?


そこには居間の壁に画鋲できっちり留められたコースターの姿が……!


『シャレオツ過ぎてなんなのかよくわからなかったからとりあえず壁に貼った。まさかコースターとか思わなかった』


のちに母はそう語りました。 この雑な対応、これが親子の血か……


結論:ダイソーの空気って落ち着きますね!
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