文句


・月謝を踏み倒したい。

・責任感とやさしさは似て非なる。

・空気読め文化、海外では絶対に通用しない、単なる人任せだろ、事を荒立てたくない自分可愛さ故だろ、他人任せにすんな自分の口から言えや。

・自分と他人との境界線が無い人は気持ち悪い、主観に頼りすぎ。

・お客様は神様なのよ厚顔、いつ腐敗する? 閉塞的な島国で大威張りの偏った民族、ニツポン ※ワタクシハ日本国民デス。

話題:ひとりごと

女生徒/太宰治、二階堂浩平


太宰治が書いた「女生徒」にて、すきな箇所がある。


一つの本を読んでは、パッとその本に夢中になり、信頼し、同化し、共鳴し、それに生活をくっつけてみるのだ。また、他の本を読むと、たちまち、クルッとかわって、すましている。人のものを盗んで来て自分のものにちゃんと作り直す才能は、そのずるさは、これは私の唯一の特技だ。


あとに続く文章も好きなのだけれど、これは正にわたしのことを指していて、でもこの文章を知るまで明確に意識したことはなかったから、当初よんだときは惚れ込んだ。なかなか胸に響く。未だに、なにかを得たあとでもこのフレーズをぼんやりと思い返す。

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カラ松の熱も冷め、数少ないグッズのひとつである限定版コースターをメルカリ経由で売却した。
わたしはグッズを集めない。覚めた(冷めた?)時に費やした金額に対して後悔してしまいそうだから。

アニメが終わると共に、リヴァイに対しての熱も急激に冷めた。懸命に顔を浮かべても、うんともすんとも心が動かされない。私の年齢設定や彼との馴初めまで妄想していたのに、もう関心が湧かない。恰好よくない。

今はゴールデンカムイに出てくる二階堂浩平に夢中だ。
高校生活の同級生として彼を登場させようと、夜な夜な妄想に勤しんでいるのだが、どうも現実世界の過去の荒れた高校生活が所所顔を出して邪魔をする、せっかく彼と良い雰囲気の場面でも過去の記憶と摩り替り、あーーーっと別の意味で悶えるのだ、だから過去の記憶を二階堂との青春に塗り替えることにした。わたしの高校生活は二階堂浩平と同じクラスであり、二人とも図書委員で、彼は弓道部にも所属しており、ついでに美術も得意なのだ。




話題:ひとりごと

ひろゆきさん


2ちゃんねる創始者のひろゆきさんの生放送の録画を観ることにハマっている。
ラジオ感覚で垂れ流しながら、眠る前に2時間ガッツリ聴いて朝を迎えたりしている。
それくらい面白いし吸収すべきことがわんさかある。

ややこしい話を分かり易い例えで簡潔に纏めるし、頭の切り替えしも速い、くそつまんねぇ話題を広げることもなんのその、しかも「酒のみのオッサンの言うことを百鵜呑みにするな」とブレーキも掛けてくる。無知であることを自覚しているところも好きだ。完全にファン。

ということで、くそみたいなニュースや人生のハプニング、他人の言動に対して、自身が怒ったり哀れんだりして受容するのではなく、論理的に肯定し且つ(心のなかでも可)論破してやれば勝ちなんだなとおもった。悩んだり迷ったり他人に対して怒るのは愚かであるなぁと。いやなにもかもスッパリ割り切れるのが必ずしも良いことだと推奨しているわけではないのだけれど、そんなものに引き摺られて泣いたり苦しんだりするくらいなら、「人生をたのしむ」という目標に向けて過程となる指針をぐるぐる方向転換していくほうがよっぽど精神面でも体力面でも金銭面でも負担が無くなるのでは? と思った。

ストレスで自身がぐちゃぐちゃになる経験は数回しているし、そういう人たちも見てきた、もう自分が誰かに侵食されることは御免だし、といいつつも、他人に同情することが苦手であることに罪悪感を抱くこともあったけれどそれもOKなのだよ、肯定して佳いのだよ。

昔、他人の話を聞いて、「そんなものに引っかかるほうが悪いよね」と素直に返したら、目を見開かれてびっくりされたことがあるので、私もびっくりした。だって本当のことじゃん、君が悪いんじゃん、これは言わなかったけれど。
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祖父祖母が同時にノックアウトした。祖父はどんどんボケて行く代わりに人間性が丸くなっている。学んだことは、

1.意識の正常な時に性格が丸くなっていれば周囲も苦労しなくて済んだのになー、今更遅いよね(わたしは彼のこと大好き)。だから今のうちに好きな人には優しく、嫌いな人間とは関わらない生活を送る。

2.流動食になった、だから咀嚼可能な今のうちに、食べたいものは遠慮せず躊躇せず食べておく。

3.身体が痛いのに死ねないという状況はかなりキツそうということ、医療費も掛かるしね。だから今のうちに「ぴんぴんころり」(健康体の年寄がある日突然老衰を迎えること)に向けて健康を創造すること。
でも個人的に長寿に憧れは無い、贅沢言うならば平均寿命よりちょい下の70後半〜80前半くらいでいい。

身体壊すくらいならストレスを溜めないこと。発散する必要性が無いように生きることって重要。

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働いている、という自覚が苦手だ。あと毎日同じ現場に同じ時刻に通うことも苦手だ。好きな様に生きていたい。社会に縛られないことが自由だと呼ばれるらしいけれど、社会に適応できたり楽しめる奴らが社会に溶け込めばいいとおもう、わたしは自由を奪われたり社会のルールに従うことができない、誰にも迷惑掛けずに好きな様に生きていければそれで佳いのだと思う。





話題:ひとりごと

道中記



何故、この世に生を受け、生き続けなければならないのか、そんなことを何十年間も自問し続ける日々が、漸くぼんやりと円満に纏まりそうである。


物心のついたときから、絶望に充ちた人生を悲観し、自暴自棄の現状を未来にも費やしてやるゾざまみろという復讐心の煮え滾るなかで、やはり諦めきれなかったのか身近な大人に助言を求めたこともありましたけれど、彼らからのanswerは「そんなの誰にも分からない。」。


この提示は世界の真実であり、また、誰にも分からない「からこそ、考える必要性は薄い」と、隠された意味も含まれている。

要するに、生きることへの問いに対し、絶対的真実を知る者は地球上に存在し得ない。
だから、解答の無いものを追い求める必要性は無く、苦悩するに値しないと断言されたのだ。
単なる気休めである(助言をくれたこと自体には勿論感謝はしている。)。


生きるべき理由を別の観点に置き換えると、何故死んではならないのか? と同等の扱いになる。
これに関しては解答が出易く、「国家が労働者を失うと滅びる」の上層階級の言い分や、個人にクローズアップすれば、「自害すれば(宗教上の理由で)地獄に落ち、死んでからも苦しみ続ける」というものである。

死ぬべきではない理由は深く考えなくとも、思い付く。でもこれ等は、上層階級がラクしたいが故の、また、個人にとっては死んでからも苦しみたくないが故の、結局は私利私欲の言い訳に過ぎないのだから、人生そのものに誠実に向き合っているのか、と姿勢を問われれば、怪しいものである。

個人が個人故に生存し存続するべき理由は如何なるものか?

大きくなって知ったことは、一部の哲学者達はこの解答を大昔から追究し続けてきたこと。
もちろん、時代背景によって思想も変わる。


話題:思考

カンジダは花の蜜を吸う



その昔カンジダは、花の蜜を啜って生きていたそうな。
なんてロマンティックなのだろう。
ところ変わって現在、彼らが女性の陰部に群がる理由は
そこから甘い蜜が垂れているからだろうか。


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この三カ月とある事情によりほぼ毎晩料理を作っていた。
こんなに料理をしたのは生まれてはじめてのことだ。

基本、蒸すことが好きらしく、フライパンに蓋をして何でも蒸す。
ハンバーグもにんじんもかぼちゃももやしも蒸す蒸す蒸しまくる。


焼くと焦げ目がつくのが嫌いだ。
食べ物の焦げは、まず見た目も味も悪いし躊躇する。
フライパンも汚したくない。

煮るのも、味付けが薄くなったりと調整が必要なので億劫。
そのせいで、肉じゃがや煮っ転がしのようなものはあまり作らない。
但しカレーやシチューや味噌汁等は別。

基本、そのまま蒸す or 和風のタレと一緒に蒸すのがすき。

だからわたしの料理の完成形は薄味だ。
野菜の甘味や魚・肉のジューシーさを堪能したい、求めている。
というか最近の野菜は甘すぎる。
生のキュウリが好きだ、あれは甘くないから。

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服を捨てるタイミングが判らない。
判らないから、いつまでもタンスやクローゼットには数年前の服が微笑み、着衣されることを待ち望んでいる。

……これでも数年前から頑張ってブックオフへ持ち込んだほうだ。
それでも全く金にならない。


そして今年から生まれて初めてフリマを始める。
数百円でANNA SUIのアクセサリーを買い取ったブックオフを許すな(許すけど)。


奇抜なTシャツも1・2度着たら、というか買って届いた時点で満足なのだ。
愚かな金の遣い方である。愚かな人間により経済の端くれは回っている。

今年こそはコートを売りたい。
数回しか着なかったホワイトのロングコートを。


そして下着もようやっと捨てることができた。
Mr.Google teacherにきいたら、半年に1度替えるのが世の平均らしい。
繊維業界のホラ吹きかもしれないが、半年というワードに、ひっくり返りそうになった。半年。
いつか履くだろう and 何年も履いとるブツをほかった。左様なら。

パジャマとして使っていたTシャツも雑巾へと化した。
というか、パジャマの価値観を一度破壊されたのがきっかけ。

某女優さんが、均整なシルエットのパジャマを着た写真をインターネッッツにアッップしており、私は「パジャマに均整なシルエッット?!?!」と、かなり困惑した。
インターネットは僕たちの味方だよ。


人間は、自覚していないだけで数多な未熟さを背負う生きものだ。
衣類を使用・破棄するプロセスに至るビジョンが、こんなにも曖昧だったなんて。
まだまだ成長のし甲斐がある。
ここ数年の目標は、風呂場を観葉植物でジャングル化させることだ。


話題:ひとりごと



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