自分と対話していて急にピンっと来たんだけど『怒って良いラインが分からない』って言うのがもしかして悲しみにも適応されてたりする?

昔から誰かに憐れまれたいって願望があるんだけど、これは『悲しんで良い・弱音を吐いて良い・誰かに頼っても良いライン』が自分では分からないから、誰かのリアクションに応じて悲しもうとしている…??
単なる被害妄想野郎なんだと思ってた…

そっか…分からないのか、自分が何をどれくらいやれば良くてどれくらいなら許されるのか。
100%誰から見ても悲しい状態じゃなければ悲しんでる自分を肯定できないんだ。
これってつまり主体性が死んでるってこと?
根幹部分がすっぽり抜け落ちてるってこと?

なんてこった、どうすれば良いんだこれ。
ここ数年は大分自分のことを許せるようになってきたなぁ〜って思っていたのに全然許してないやんけ