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余は如何にして合気道部員になりし乎 その2
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どうも
前回に引き続き、私が何故合気道部に入ったか?について徒然なるままに書いてゆきます。
いやー、、、、一回で十分かなあと思うし、皆もそう思うでしょうけど、合気道部は部員が全然いないんだ、シャレにならないんだ、という事情があって、
今からでも遅くはないから誰か入ってくれはしないかと、そういうことです。
しかし前回は、、、なんだかよく分からないことになってしまった。あの内容、本当のことを言ってるけど本当ではないので、
あんまり真に受けないでくださいね。
さて、余は如何にして合気道部員になりし乎。
話は高校一年生の頃に遡ります(そういや前回もそうだった。高校時代も案外バカにできませんね)。
課外講座で『グローバリゼーションとは何か 〜液状化する世界を読み解く〜』という新書に触れ、序章だけを丹念に読んでグローバル化とは世界の液状化であると悟った私は、でもそうは言ってもどうすりゃ良えの?と漠然としておりました。
川端康成はノーベル文学賞の講演で
「美しい日本の私」と語り、大江健三郎は
「あいまいな日本の私」と語ったのは周知のことです。16の私は自分のことを美しい日本の私と固く信じていましたが、同時に、内のあいまいさをかすかに感じては、見て見ぬふりをしていました。
・・・・・・本当だろうか?思ってない気もしないこともないけど、話を進めます。
そんな中、ドラゴン桜と教育関係者(?)の方々がタッグを組んだ本(なぜ学ぶか とかそんな書名だった気がしますが覚えてません。講談社の本です)を読んだ私は、奈良県で数学の塾を経営している方の話の、最後のおまけコーナーに目を引かれました。
その方はやっておけば良かったと後悔したことに、初段の手前で剣道を辞めたことを挙げていました。将来
海外に出た時、日本的なものを身に付けておくと良い、ということを言っていた気がします。
日本的なもの・・・・その言葉は私の心を捉え、そして高校3年間、手放すことはありませんでした。なんたって
クール・ジャパンという言葉を知ったのも丁度この頃(確かリーディングの教科書でした)。ちょっと
あやかりたいと思うのも
当然の成行きと言えましょう。
日本的なもの・・・・それは和食であったり、華道や茶道であったり、武道であったりするのだろうか?
そういう時に読んだのが、前回の三島です。
男は危機に備えて肉体の鍛錬!武道!!ほう!!!という感じになるのも
当然の成行きと言えましょう。そうそう、西洋人から見て武士の倫理の日本人は戦士であり野蛮であり、我々は野蛮であることをもっと誇りに思って良い、ということをエッセイの中で三島は言ってた気もしますが、もしかしたら違うかもしれません。記憶があやふやなもので。
そんなわけで武道に興味を持ったものの、武道なんて柔道を一年間授業でやったくらいなもので、全くの初心者、何ができるかね?と漠然と考えていました。
そこでふと思いだした。そう言えば小学生の時、
合気道やってた子がいたな、と。どんなのか良く分からないけど、彼を見れば少なくとも、合気道が柔道・剣道・空手・少林寺・・・のようにハードではないように思ったな、と。
合気道か・・・・合気道ねえ・・・・・合気道・・・・・・・
あとは前回の通り。
合気道部は部員募集中。いつでもお気軽に見学・ご相談ください。
練習見に来て話聞くだけでも結構です。
月水の
10時〜13時、
土の
15時〜18時に
武道場一階柔道場で練習してます。是非。