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24/01/12 06:42 (:心理学的な話)
親子の理想と現実(前記事補足)
おはようございます☆
昨日書いた記事がかなりの長文過ぎて、タイムアウトを気にするあまり、操作ミスで全消ししてしまいました(泣)
気を取り直して、また書いてます(・・;)
本日は、またまたスピリチュアル多めの親子関係についての補足になります。
独特の視点で書いてるので、大丈夫でしたら、お付き合い下さると嬉しいですm(_ _)m
子供あるあるですが、『親の癖に』、『あんな親は親じゃない』といい、親を嫌う子供さんは、少なくはないのではないのでしょうか。
そういう気持ちがなぜ湧くのか、どうして親は『親らしい』行動がとれないのか。
私が教わった事を、お話したいと思います。
まず魂の親は、創造主(神様)になりまして、私達は、その欠片から生まれています。
神様の欠片なので、神様よりも、ずっとずっと小さな愛しか出せない、未成熟の欠片が、私達の魂の核になっています。
神様もその欠片である魂を、自分の子供だと思っていますし、魂もまた、神様を母親だと思っています。
神様は、無限の愛を与えてくれる聖母であり、完璧な母親のような存在であり、その子である魂にとっては、理想の母親であり、憧れの存在なのです。
実は、このときに親のイメージが出来上がっているのです。
その神様の欠片である魂が、人の親になるので、完璧で聖人のような親にはなれません。
でも、親の魂も神様の完璧な母親の姿に憧れているので、理想の親として振舞えない自分を、責めたりしています。
ここに、『親の癖に』や『親として振舞えない』
などの、すれ違いが起こっているように、感じています。
親も子供も、人である以上、神様のように振舞えないのです。
それに、個人差はありますが、人の本質は利己的で、自分がメリットがあることしかしません。
それは、親子であっても変わりません。
でも、愛してないわけではないので、お互いに身勝手な事をすれば、後悔するのです。
人は、自分にしてあげられることしか、人にも出来ないそうです。
自分を大切に出来ない親は、子供も大切できなかったりします。
どちらも同じ人だから、それは仕方がないことなのです。
そんな目線で、親子関係を見れたら、必要以上に腹も立てず、程よい距離感で付き合っていけるのではないかと思ってます。
あとは、小さな愛に気がついていくことの積み重ねのように感じました。
本日もお付き合い、ありがとうございましたm(_ _)m
また、隠居に戻ります☆
次は、いつになるかわかりませんが、愛の気付き方の話も出来たらと、思います☆
前記事に、拍手やコメントありがとうございましたm(_ _)m
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