螺旋状に突っ走って死にたい(
プロフィール)
2018/10/13
Sat
17:55
さようならにさようなら
話題:ひとりごと
日本のさようならはとても悲観的である
一つの区切りを示しており、言外に「あなたとはもう会うことはない」
というニュアンスを含んでいる
海外ではグッバイ、good bye
「明日もまた頑張ろうぜ」みたいなニュアンスを含んでる気がする
最近、その「さようなら」を使う機会が減ってしまったように感じる
その要因はやはりスマホとインターネットの台頭か
スマホのおかげで、いつでも連絡を取れるようになった私達には、「さようなら」をいう必要性が薄れた
そして、インターネット上のコミュニケーションも増えて、現実とネットの垣根は曖昧だ
そしてそのインターネット、SNSではブロックだのミュートだの、他者を一方的に断絶する機能が溢れている
着信拒否、着拒という言葉は昔よく使われていた
しかし、手続きが割とめんどくさい
それが今やボタン一つだ
「さようなら」が不必要になった要因のこの二つは、複雑に絡み合ってるように感じる
かたや、「さようならと言わなくていいくらいに誰かと繋がれる」
かたや、「さようならと言わなくても誰かとの繋がりを切れる」
なのに
私達はさようならにさようなら、と別れを告げてしまったのだろう
さようならはきっと寂しいそうな顔をして、さようならと言うのだ
だから、こう付け加えよう
たとえそれが叶わぬことでも、たとえそれが余計な期待をさせるだけだとしても
たとえそれが、本心でないとしても
「さようなら、またね」
さようなら、今日の私達
またね、明日会おう
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