◆誰そ彼あーるぴーじー◆


小話【奴隷志願者たちの恋】
5月11日 22:13


「きみはいつも、求めているから。だからだよ」
 僕は缶ビールを一口飲んで、ベンチの端に置き直した。
 炭酸が抜けたビールは正直なところ全く美味しくなかったが、喉がきゅっと締まることで出たがる言葉を押し戻してくれる。
「そう、私は欲張りなんだよね、きっと」
 彼女の両手の中では缶チューハイがくるくると踊っている。
「感謝してるの。心配してくれたり、ただ話を聞いてくれたりする友達の存在には、申し訳ないくらい感謝してる」
 薄い笑みは今にも泣き出しそうなほどいびつだ。
 心配されていること、幸せを願われていること。わかっているといいながら、欲張りな彼女は与えられる愛だけでは決して満足できない。
 欲しいものがたった1つ手に入らなければ、それは彼女にとっては不幸に他ならないのだ。
 僕から見れば彼女は完璧な幸せの中に居る。
 親が居て、仲の良い兄弟が居て、夜中に何時間でも電話に付き合ってくれる友人が居て、僕を筆頭に、どんな我が儘を言っても決して離れていかない異性も居る。
 そこそこ可愛くて、そこそこスタイルだって良くて、そこそこ頭もいいし、そこそこ器用で。
 欠けることなく与えられた環境は、彼女にとって、常にあって当たり前のものだ。だから彼女は手にしている幸せで幸せとは感じられない。
「恵まれているの。だけどつらいの。何がつらいかもわからないのに、生きているのが、もう嫌なの。きっと私は壊れているのね」
 そうだね、と僕は心の中で答えた。
 彼女はことあるごとに死にたいと言う。恋愛が上手くいっている時を除いて。
 だが、僕が彼女を壊れていると思うのは死に向かう意識ではなくて、当たり前にある幸せを蹴飛ばして、もっともっとと幸せをねだる欲深さだ。
 彼女の幸せを入れる箱には限界が無い。
 リミッターが壊れている故に、彼女は理想の幸せから妥協できない。
 彼女は確かに不幸なのだ。
「ただ一人。ただ一人でいいの。私を心から愛してくれる人が居てくれたなら、私は生きていられるかもしれない」
 その一人が、どうして僕ではいけないのだろう。
 彼女が埋めたがっている唯一欠けた場所に、どうして僕の居場所は無いのか。
「きみの心は……贅沢に慣れすぎたから貧しいんだよ」
 口から出たのは、選ばれない負け惜しみからくる、ちょっとした意地悪だったのかもしれない。
「貧しさから脱却するには、裕福になるか、貧しさを貧しいと思わないところまで自分を下げるしかないんだ。愛してくれないと言うだけでは豊かにはなれないし、失ってからしか気付けないきみはまだある幸せを知ろうともしない。そして今、きみはそんな綺麗事は聞きたくないって顔をしてる」
 指摘すると彼女はばつの悪そうな顔をした。
「きみはいつも欲しいものしか受け取らない。気持ちも、言葉も。そしてそれは、周りの人間の心を否定しているということだ。だってきみは、きみが望む通りの人間しか要らないのだから」
だからきみは僕を必要としない。未来永劫、必要とされることなどないのだろう。
 今、彼女が泣き言を言う相手は僕だけれど、本当は誰だっていいのだ。いや、むしろ僕じゃないほうがいい。物言わぬ壁のような人間のほうがまだ適任だ。それが、彼女の言う“申し訳ないくらい感謝している友達”達だ。
 広い目で彼女の幸せを願った心ある人間たちは皆、彼女の繰り出す「何がいけないの」「どうして愛してくれないの」という迷宮に愛想をつかし、いつの間にか離れていった。
「だけど残念ながらきみが望むような、都合良いだけの人なんて居ない。きみに都合が良い人は、きみのことをたいして愛していないから、きみのその傲慢さを放っておけるのさ」
 こんな言葉を彼女は欲していない。
 大丈夫だよ、きみはとても魅力的だ。相手に見る目がないのさ、きみはこんなにも一途に尽くしているんだから。
 耳に甘いそんな言葉で“愛されない私”を慰めて励まして欲しいだけだ。
 そして繰り返すのだ。「(私はこんなに魅力的なのに)何がいけないの」「(この私がこんなに好きだと言っているのに)どうして愛してくれないの」と。
 言葉に隠した傲慢な本音は彼女自身気付いていないものだ。
「きみは愛されたいんじゃなくて、思い通りに甘やかされたいだけだ。きみはお姫さまだから、手に入らないものがあるってことが我慢ならないんだ」
 誰からも羨まれるような恋愛を求める彼女は、いつも王子様を好きになる。
 そして、その王子様にお姫さま扱いされることを望む。
 それが高望みであることを、彼女はいい加減気付くべきだ。
(きみをお姫さまにしているのは、きみの奴隷志願者たちだ)
 同様に、王子様を王子様にしているのは、彼の言葉に一喜一憂して顔色をうかがう彼女のような奴隷志願者だ。
 そんな王子様が、彼女をお姫さま扱いするはずがない。
 理想の王子様が選ぶのは大抵、誇りを持って尽くしきれる女か、賢い女王様だ。
 ちょっと見た目がいいくらいの中途半端なお姫さまの気性を受け入れるほど、王子様は相手に困っていない。
 好きになればなるほど理想とはかけ離れていく恋愛を嘆く一方で、追いかけられるよりも追いかけたい派だと豪語する彼女は、視線の先以外からの好意を意識から排除する。
 奴隷志願者からの好意に「気持ち悪い」と後ろ足で砂をかけるような態度で応じ、そのくせ、常に誰かが自分を好いていないと駄目な彼女は、ありとあらゆる場所で男の気持ちを引っかけてくる。
 それもこれも、こんなにモテる私なのに一途、という健気女子の構図を守り続けるためだ。
 そして彼女はそんな緻密な計算をしている自分を認めない。
 ゆらゆらゆらゆら、中途半端な愛しい人。
 愚かで欲望に純粋な愛すべき馬鹿だ。
 そして、とても残酷。
 彼女はゆっくりと口を開く。
「たとえ、そうだとしても……」
 僕は今日も毒を浴びる覚悟をする。
「私はあの人に愛されたいの。それ以外じゃ何の意味もないの。むしろ、しんどくて死にたくなる。仕方ないじゃない。生きてても何が楽しいのかわからないんだもの」
 こうして僕は今日も密かに振られ続ける。
 奴隷志願者たちによってお姫さまに仕立てあげられた憐れな彼女が嘆く「愛されたい」に微かな怒りを覚えながら、この恋の可能性の無さを噛み締めるのだ。
 いいように振り回されても、僕はどうしても彼女を嫌いになれない。
 むしろ、こんな我が儘で不安定な彼女を幸せに出来るのは自分だけじゃないかと思っているのだ。
 そう思っている男が自分一人じゃないことも、こんな男一人で彼女が幸せを感じるはずがないことも、重々わかっているだけに手に負えない。
 ビールを飲み干して、僕は立ち上がる。
 さすがに今日はもう、これ以上はしんどい。
「だったら、愛されるまで努力するしかないじゃないか」
「どうしたら愛されるのかがわからないのよ。成功したことがないんだもの」
 すがるような眼差しに背を向ける。
「今までと同じじゃ駄目ということだよ。だけどそれを他人に聞くのは怠慢だ。僕はその人じゃないし、きみでもない」
 僕なら、そのままのきみがいい。
 他の人に向ける好意をそのまま僕に向けてくれたなら、どんな的外れな愛情表現も慈しむと誓える。
 けれど僕も、どうしたら彼女に愛されるのかがわからないのだ。きっと、求める未来に続く道が無いのだろう。
 それでも僕は泣き言ひとつ溢さずに彼女を想い続けている。
 堪え性の無い、彼女の恋を聞きながら。
 そして負け惜しみを込めて思うのだ。
 僕を好きになれないことが、きみの不幸だ、と。
 ――見上げれば薄汚れた外灯に、羽虫が集っているのが見えた。







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