フレユリ・体調を崩したユーリのお話。






頭が痛い。全身が怠くて重い。
思うように身体は動かせないし、身体中の関節が軋んで悲鳴を上げているようだ。

少し前から不調を感じてはいたものの、『まあ疲れてるんだろう』ぐらいにしか思っていなかったので放置していたらこのザマだ。倒れて下町の宿――箒星に担ぎ込まれ、医者からは呆れられた。渡された薬のあまりの不味さに余計気分が悪くなった…なんてことはさすがに言うわけにはいかない。子供ではないのだから。


「子供より質が悪いわね」

溜め息混じりの声は少し非難の色を含んで頭上から落とされ、憂鬱な気分を更に深くさせた。悪気は…多分にあるのだろう、それが彼女の性格だ。

「…もうちょっと優しい言葉をかけてくれてもいいんじゃねえの」

「さんざん手間を掛けさせておいて、何を言っているの?大変だったのよ、あなたをここまで運ぶのは」

「……わり」

「ジュ、ジュディス…もうそれぐらいにしてあげてよ。でもユーリ、心配したんだからね!あんまり無茶しないでよ!」

「わかったよ…。悪かったな、カロル」

一人の時でなかったのが幸いなのかどうかわからないなと思いつつ、それでもユーリは素直に礼を言った。迷惑を掛けたのは確かだからだ。同じギルドではあるが、3人揃って活動することはそれほど多くはない。今回はたまたま、このメンバーで依頼を受けていたのだ。その最中にユーリは体調を崩し、現在の状況に至るというわけだ。

「とにかく!依頼の方は報告するだけだし、治るまでちゃんと大人しくしててよね、ユーリ」

「はいはい…」

どうせここに戻って来た時点で体調のことについては下町の皆に知れ渡っているし、下手なことはできそうにない。特に抜け出す理由もないし、少しのんびりするのも悪くないとは思っていた。
薬が効いてきたのか、既に返事をするのも億劫になるほどの眠気が襲ってきて目を開けているのが辛い。カロルがユーリにゆっくり休んで、と言って毛布をかけ直し、ジュディスはそんな二人を見て口元に柔らかい笑みを浮かべていた。

「ほんと、うちの首領は優しくて頼りになるわね?ユーリ。…それじゃ私たちはこれで。行きましょ、カロル」

「うん。じゃあねユーリ!こっちに顔出すのは元気になってからでいいからね」

部屋を出て行くカロルに手を振るユーリの様子を窺うように振り返ったジュディスが、何やら思案顔をしていることには誰も気付いていなかった。




(……あつい……)

何度か目覚めては浅い眠りを繰り返していたような気がする。

薄く開けた瞳に映る天井は色彩がぼやけて滲み、元から明るいわけでもない部屋が余計にくすんで見えた。
熱で全く働いていない頭でぼんやりと『どれぐらい寝ていたのか』とか『汗が気持ち悪い』などと考えていると、何やらすぐ隣で物音がした。そちらを見たくても首すら動かせず、僅かに焦る。

(誰だ?箒星の女将さんか、それともテッドが様子でも見に来たか。でもそれならもっと騒がしいに違いない、下町の奴らはオレに容赦ないからな…)

と、なると一体誰なのか。ギルドの一員として仕事をするようになってからはここにはあまり戻ってくることがないが、それだけにいると知ればわざわざ顔を見に来るような知り合いもいる。だがその知り合いにしても寝込んでいるユーリの傍で大人しくしているような者は少ない、気がする。そもそも騒がしくするような連中はさすがに女将が部屋に行かせないだろう。
身体が不調のせいか、思考が悪い方へと傾いていく。
人様に恨まれるような生き方はしていない、などと言えるような人生とは言い難い自分の行いを思えば、文字通り寝首を掻こうと思っている人間だって――

「あ、起きたかい?」

「……」

「ユーリ?」

ユーリは一気に全身から力が抜けるのを感じていた。とても覚えのある、忘れようのない声。でも、その声の持ち主が今ここにいるのは不自然なのだ。何故、誰がこいつに…と考えたのも一瞬で、思い当たる可能性はそう多くもない。それでも一応確認をしようと、ゆっくりと顔をそちらへ向けると…

「やあ。気分はどうだい?」

手にしている本のページを繰る指を止め、ユーリに笑いかける表情はどこか不自然で、声も心なしか刺々しい。こいつもか、と思いつつ、ユーリは深々と息を吐いてその声に答えた。

「気分、いいように見えるか?フレン」

「全くもって見えないね。一応ノックはしたけど反応はないし、部屋に入ってもぴくりともしないしで…死んでるのかと思ったよ」

「そいつはどうも」

「で、なんでこんなことになってるんだ、ユーリ」

「こんなこと?そりゃどういう…」

フレンはユーリが目を覚ますまで読んでいたのであろう本をぱたりと閉じ、傍らのテーブルにそれを置くと殊更ゆっくりとした動きでユーリに向き直った。

「…たまに戻ってきたかと思えば…」

「え、おい…!?」

驚くユーリに構いもせず、フレンはベッドに自らの上半身を乗り上げるとユーリに覆い被さるようにして、その顔を真上から見下ろした。一応『病人』に対しての配慮のつもりなのか、身体を重ねて来ようとはしない。ユーリの両手をまとめて動きを封じることもせず、ただ顔の横に手をついてひたすらじっと視線を落とすだけの表情から感じるのは、静かな怒り。耳元でぎしりとベッドの軋む音を聞きながら、ついユーリはフレンから視線を逸らした。

何故怒っているのかなんて聞けない。

「いつから体調が悪かった?どうしてこんなに悪化するまで放っておいたんだ」

ほら、思ったとおりだ。
とてもではないが口には出せなかった。下町に帰ってきたのは失敗だったかとさえ思ってしまう。もし倒れたのが下町以外の他のところの近くでさえあれば、こんな状況にはなっていないだろう。

『誰か』がわざわざフレンを呼びに行ったとしても、そうそう来れるものではないはずなのだ。

(いや、待てよ…。もしかしたらそのまま連れて戻ってくる可能性もあるか…移動手段はあるんだからな)

空を飛ぶ大きな友人のことを思い出した。自分達のギルドの所属というのとは少し違うが。

「ユーリ?聞いているのか」

「聞いてるよ、病人相手に乱暴だな。…ジュディか?」

「…なに?」

「おまえにオレのこと伝えたの、ジュディじゃないのか?」

「ああ、その通りだ。驚いたよ、まさか君以外の人間があの窓から訪ねてくるなんて」

窓。フレンの私室の窓のことに違いない。日頃、自分がフレンに会いに行く時にどうしているかという話をジュディスにしたかどうかユーリはよく覚えてはいなかったが、聞かれて答えたことはあったかもしれない。何もユーリにしか使えない手段というわけでもないし、身の軽いジュディスなら同様に忍んでいくことなど造作もないだろう。

「ジュディも案外お節介だな」

「それだけ君のことを心配してるんだろう、彼女も。…いつまでたっても無茶をする君のことを、叱ってやってくれと言われたよ」

「なん…だ、それ」

「自分が言っても聞かないから、と」

「………」

言葉が出なかった。余計に熱が上がったような感覚に、思わずユーリは口元を抑えていた。呻き声が出てしまうほどの恥ずかしさがどこから来るのか、あまり考えたくない。フレンの両手が顔のすぐ横にあるせいでシーツに顔を埋めることも出来ず、ユーリはこれ以上は無理だというほど首を捻ってフレンの視線からひたすら逃れるしかなかった。

「だからと言う訳じゃないけど、本当に君は…動けなくなるまで無理をして、そのほうが周りに迷惑をかけるんだってことぐらいわかってるだろう」

「なんかいきなりだったんだよ…怠ぃな、って思ってたら急にこうなっちまったんだから仕方ねえだろ。ジュディと言いおまえと言い、ほんと容赦ねえな」

「それだけ疲労が溜まっていた、ということじゃないのか?ちゃんと食べて休んでるのか怪しいな」

「おかげさんで忙しいけど、休む間もないってほどでもねえよ。食事なんてむしろ今のほうがしっかり――」

「本当に?」

フレンの声が柔らかくなり、ユーリはつい視線を戻してフレンを見上げていた。その表情にはもう怒りの色はなく、ただ頼りなさそうに眉を寄せ、唇を引き結んでユーリをじっと見つめているだけだ。
心配は行き過ぎればそれを理解されないことへの怒りとなり、それすら通りすぎてしまうと最終的に残るものは『不安』でしかない。

(いつまでたっても無茶をするのは、お互い様じゃねえか…)

どうやって城を抜け出してきたのか考えると、それこそ呆れて溜め息の一つも吐きたくなる。こんなところで悠長にしている余裕などないはずなのに、ユーリのこととなると時折フレンは周囲を驚かせるような行動力を発揮してしまう。だいぶ落ち着いたかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
むしろ今のほうがその傾向が強いのかもしれない、とユーリは思う。それは間違いなく互いの関係がとある方向へと変化した時からだというのはわかっていたが、さてそれがいい事なのかどうかと考えると甚だ疑問だ。
特に、こんな状況の時はそれを強く思わずにはいられなかった。

「…ユーリ、何を考えてるんだ?」

「あ?別になんでもねえよ。わざわざ見舞いに来てくれてありがとよ。…悪かったな、心配かけて」

「なんだか伝わって来ないな…」

「どうしろってんだ。それとおまえ、いい加減どかねえ?一応病人なんだけど、オレ」

どうやら薬は完全に効果が切れたらしく、明らかに熱が上がって来ているのがわかる。気丈に振舞って会話を続けるのもそろそろ限界で、呼吸が乱れて苦しい。
説教なら快復した後でいくらでも聞くから、今は寝かせてほしい――。素直にそう思った。

「…すまない、調子に乗って意地悪を言いすぎた」

「いや別に…」

漸くフレンが身体を起こした。椅子に戻るのかと思いきや、汗で頬に貼り付いたユーリの髪を優しく払って首筋に手をやったまま動きを止めた。フレンの次の行動の予測は容易にできて、とりあえず逆らう気はなかったのでユーリは黙って目を瞑った。

ほんの少しの沈黙の後、唇に柔らかいものが触れる。
温かいそれははじめ遠慮がちに重ねられ、徐々に深く合わされてユーリの呼吸を更に不規則なものにさせた。苦しさだけではない、甘さを含んだ吐息が嫌になるほど自分の耳に響くのを感じながら、ユーリはフレンの頭を引き寄せて更に深い口付けを求めていた。

熱のせいだ。
身体が熱いのは当然で、荒い息遣いも何もかも熱があるから。
妙に人恋しくて、触れたら離し難くなってしまったのもそのせいだ。
心配されて嬉しいなんて思っていない、そんな面倒な感情は持ち合わせていない――

「ユーリ…ずるいよ」

「は…、なに、が…」

「これ以上は…わかるだろ、今はさすがに駄目、だ」

フレンの理性は、欲望との均衡がかなり危ういギリギリのラインで保たれているに違いない。箍を外すのは簡単そうだったが、それではさすがに自分自身も壊されかねないな、とユーリは思う。

「仕返しだよ」

「仕返し…?」

「みんなして病人に冷たくしやがって…心配するならもっと素直に優しくしてくれよな」

拗ねた子供のような物言いにフレンが目を瞬き、小さく吹き出した。

「なんだか…君のこんな姿が見られるなら、もう少しこのままでもいいかと思ってしまうな」

「鬼かおまえ…オレはごめんだ、なんか調子がおかしい」

「ふふ、そうだね。早く元気になってもらわないと僕も困る」

フレンは水差しからグラスに水を注ぐとそれをテーブルに置き、傍らから薬を取り出してユーリに手渡した。あの不味さが口の中に甦り、まだ飲んでもいないのに顔を顰めるユーリを見てまた笑う。

「ユーリが起きたら必ず飲ませてくれと言われていたんだ。とても嫌そうにしていたから、放っておいたらきっと飲まないだろうって」

「ほんとに余計なお世話だな…。ガキじゃあるまいし、薬ぐらい普通に飲むだろ」

「その割には動きが止まってるようだけど?まあ、どうしても嫌だと言うなら無理にでも飲ませるだけなんだけど」

ユーリは敢えてフレンの言葉を無視すると、のろのろと身体を起こしてテーブルの上のグラスを取った。薬を口に放り込み、そのまま一気に水で流し込む。出来るだけ味わわずに済むようにしたつもりだったが、やはり舌に残る後味の悪さといったらなかった。笑いながらその様子を見ているフレンを横目に、再びベッドへと身体を沈ませる。
もう動きたくない。動けない、と言ったほうが正しいか。

「はあ…。なんか余計な体力使ったせいで疲れたぜ…。もう寝させてくれよ、治るもんも治らねえ」

「僕のせいみたいな言い方はよしてくれ、自業自得だろう。ゆっくり寝て、早く元気になって欲しいと思ってるのは僕だって他の皆と同じだよ」

「それはいいんだが…おまえ、いつまでここにいるつもりだ」

「君が眠ったのを見届けたら戻らせてもらう。僕のことは心配しなくていい」

「ったく…好きにしろ」

瞳を閉じればすぐに眠気はやって来た。
意識が完全に夢の世界へと堕ちる直前、フレンの声が聞こえたような気がする。


(体調が元に戻ったら、好きなだけ甘えさせてあげるよ)


ぼやけた意識の片隅で聞いた言葉に、何を言ってるんだと胸の底で悪態をつくのが精一杯だった。




―――――
終わり