「…で、なんか役に立つのか?それ」


いくつか質問を繰り返し、ユーリの説明をメモしていた僕だったが、唐突なユーリの言葉にペンを走らせる手を止めて顔を上げた。


「それ?」

僕の問い掛けにユーリは答えず、顔だけを動かして顎で僕の手元を指し示すようにすると再びケーキのデコレーションをする作業に戻る。
僕が色々と聞いている間も、ユーリは作業の手を休めることはなかった。
今までユーリに聞いた事が箇条書きされたメモ帳を見る僕に、顔は向けないままユーリが改めて聞き返した。


「いや…色々聞くのは別に構わねえけど、それがおまえにとって何の役に立つのかな、って思ってさ。どうなんだ?」

「どう、って…今はまだ、何とも。ただ、知っておいて損はなさそうだし」

「んー…そうか?」

ちらりと僕を見たユーリだったが、またすぐに視線を手元に戻してデコレーションの続きを再開した。今は、ケーキの上に飾り用の生クリームを絞り出しているところだ。
一定のリズムで軽快に形作られていくクリームを見ていると、なんだかとても簡単そうに見える。でも多分、というか絶対、僕がやっても同じようにはならないんだろう。こんな間近でこういう作業を見るのは初めてのことだし、とても面白い。


ユーリが作っているのは、スタンダードなタイプの苺のショートケーキだ。今日が誕生日だと言うお客さん…正確には、お客さんの娘さん、か。その子はここのケーキが大好きで、中でもとりわけ、このショートケーキがお気に入りらしい。

僕も子供の頃に家で食べるケーキといえばこれだったな。…そういえば、まだこのお店のは食べたことがない。
こんな事を考えている間にもどんどんケーキは出来上がっていき、可愛らしくデコレーションされた生クリームの上に飾りの苺が乗せられていく様子を見ている僕に、やっと顔を上げたユーリが再び口を開いた。


「おまえ、個人的に興味があるみたいなこと言ってたよな。家で菓子作りなんかするのか?」

「個人的というか純粋に作業そのものをどうやってるのかな、って思って…一人暮らしだからある程度自炊はするけど、さすがにケーキを作ったりはしないかなあ」

「まあそうだろうな。そもそも、たいして甘いもんが好きって訳でもないんだし」

「ここのケーキは好きだけどね」

「はいはいそりゃどーも。で、役に立つのか、って話なんだけどな」

「知ってて損もないかなとは思うけど、どこで何が役に立つかわからないな。僕はこういうお店のことはよく知らなかったし、今後もし取材の仕事があるとしたら、その時にいちいち先方に聞き返す事はなくていいかもしれないけど」

「……………」

ユーリは何故か思案顔だ。
…僕、何か変な事言ったかな…。


「一応、言っとくが」


僕に向き直ると、ユーリが少し困ったように眉を寄せた。

「店のことを知らないやつの取材なんかお断りだ、って言ったのはそういう意味じゃないからな」

「……うん?何の話?」

「…あれ、違うのか?」


言われて少し考えて、すぐに思い出した。最初に取材を断られ、次にお詫びとお礼をしようと再びここへ来た時に、確かにユーリにそういう事を言われている。でも、それは……

「君の言ってる意味をちゃんと理解出来てるかどうかまだわからないけど、知識的な事だけを指してるんじゃないんだろうな、っていうのは、なんとなくわかってるよ」


本当は、それこそ取材させてもらったらはっきりわかるような気もするけど…今はまだ無理だろうな。いつか、機会があればいいんだけど。
ユーリの言ってるのは、多分『ユーリがどういう思いでこの店をやっているか』という事なんじゃないか、と思う。ユーリは自分の店を知ってもらおうとして、あんなに腹を立てながらも僕にケーキをくれたんだ。
それに、今日だって休日にも関わらず、わざわざこうしてたった一人のお客さんのために店に戻るくらいだし、ユーリがお客さんのことをとてもよく考えているのがわかる。

…僕はそういう事を全く考えずに、ただ『取材を受けて雑誌に載せれば集客効果がある』という話をしてたんだな、ということに今更ながら気付いていた。

だって、エステルさんが休んだら営業するのが厳しい、って言うぐらいなんだ。
スタッフの体制云々は僕が口を出す事じゃないし、他の従業員がまさかユーリだけということはないだろうけど、キャパを超えた集客があっても困るだけだろう。きっと、こんなふうに臨機応変な対応だって出来なくなるに違いない。

ユーリはそういうのを嫌がるんじゃないか?

今までに聞いたり、本人と話したりした感じで僕はそう思うようになっていた。
間違ってない自信はある。ユーリはお客さんをとても大切にしてるんだ。


「だから、大丈夫だよ」

「…ふうん?」

「何度も言うけど、君がどうやってあんな美味しいケーキを作ってるのか純粋に興味があるだけなんだ。あと、君のことをもっと知りたいって言っただろう?だから、いい機会だと思っ……」

「…………」

「…ユーリ?どうかした?」

「いや……」

ユーリが急に俯いてしまったので、不安になってその顔を覗き込んだ。不機嫌そうなその顔が、少し赤い…?
ところがユーリは更に顔を逸らし、さっきまでデコレーションをしていたケーキに視線を戻すと、何故か溜め息を吐いて作業を再開した。


よ…よくわからないけど、やっぱり何か変なことを言ったのかな、僕。後で聞けるようなら聞いておかないと、気になって仕方ない。今はユーリの邪魔をする訳にいかないしな…。


といっても、ケーキはもうすっかり出来上がっている。ユーリの手元にはチョコレートの小さなプレートがあって、多分それにこのケーキで誕生日を祝われる娘さんの名前を書き入れたら完成なんじゃないかと思うんだけど…
でも、どうやって名前やメッセージを書いたりしてるんだろう。もちろん、普通の筆記用具で書くわけじゃないことぐらいわかってる。ただ見た感じ、それっぽい道具のような物もない。

「…ちょっと、その棚の上の箱から中身取ってくれ」

「棚?中身って…」

ユーリの様子と作業への疑問で首を傾げる僕を見ないまま、ユーリはそれだけ言うとくるりと背を向けて作業場の奥へと行ってしまった。
それ程広くはない作業場だから、奥とは言ってもユーリの姿は見えている。…お湯を沸かしてるみたいだ。
とりあえず、ユーリに言われた棚に目をやった。僕のすぐ隣にあるステンレスのパイプラックには、様々な形をした焼き型が重ねて置かれていた。一見、何に使うのかわからない型に興味を引かれつつも視線を上げると、そこには確かに小さめの箱がある。

手に取って見ると、中には薄い紙のような、フィルムのような物が入っていた。ええと…ああ、パラフィン紙だ。ドーナツ買ったりすると中に入ってるような。それよりはだいぶしっかりした紙質だけど。
下敷きぐらいの大きさのその紙を一枚つまんで、ユーリに声を掛ける。

「ユーリ、これのこと?」

「ああ、サンキュ。一枚だけでいいぞ。箱は戻しといてくれ」

そう言いながら戻って来たユーリはすっかりいつもと変わらない様子で、手にはお湯の入った小さめのボウルを持っている。作業台に置いたそのボウルに更に一回り小さなボウルを浮かべて、そこへ小さな茶色の粒を入れた。

「今入れたの、チョコレート?最初から砕いてあるんだ…少ししか使わないんだね」

「ああ、今からこれに名前書くだけだからな。まあ、種類とか形状は時々で使い分けはするけど」

「かわいい形のプレートだね。そういうのも作ってるのかい?」

「まあな。今回は子供用だから特に」

プレートはよく見る長方形のものじゃなくて、あるキャラクターを象ってある。見たことあるんだけど…何だったかな、思い出せない。

「なるほど…ところで、その紙は何に使うんだ?」

「これか?パイピング用のコルネ作るんだよ」

「コルネ?そんな名前の菓子パンがなかったっけ」

「意味は同じだけど説明が面倒臭え」

「……後で調べてみるよ」


ユーリはその紙を斜めにカットすると、一点を指で固定したままくるくると巻いて三角錐を作り、縁を内側に折り込んで形を整えたものを僕に見せた。
もしかしたら、コルネっていうのはこの形を言うのかな。僕が知ってる菓子パンもこういう形で、中にクリームが入ってるし。

そうして出来たものに溶けたチョコレートを入れて、先端を少しだけカットするとユーリはその『コルネ』を使ってプレートに名前を書いていった。
なるほど、こうやって細い文字を書いたりするのか。
やっぱりこういうのを見る事が出来るのは面白いな。役に立つかどうかは別として。

プレートをケーキに乗せて、これで完成かと聞こうとした時にちょうどユーリが屈めていた体を起こし、軽く息を吐いた。


「おし、出来上がり!」

「お疲れ様、ユーリ」

「ん。悪かったな、付き合わせて」

「何言ってるんだ、とても興味深くて楽しかったよ。僕のほうこそ、邪魔じゃなかったかな」

「まあ多少はなー」

「………………」

出来上がったケーキを冷蔵庫にしまいながらユーリにそう言われて、思わず黙ってしまった。
…それはまあ、あれこれ質問攻めにしたかな、とは思うけどそうはっきり言われると……


「おまえ……ほんと冗談の通じない奴だな。邪魔とか迷惑だと思ったら追い出してるっつの!察しろよそれぐらい!」

「…タイミングとかあるだろう…ユーリの冗談は冗談に聞こえないよ」

「悪かったな!よっぽど冗談みたいなセリフは平気で言っといて何を…」

そこまで言って口篭るユーリは、しまった、というかのように一瞬だけ口元に手をやって慌てて僕から目を逸らすと、少し乱暴な足取りでさっさと作業場から出て行ってしまった。


え、何なんだ一体…!


「ちょっ…!ユーリ、待って!」

すぐに後を追って店内に出ると、ちょうどユーリが喫茶スペースの椅子に座ったところだった。むしり取るようにして頭に巻いたバンダナを外し、大きく溜め息を吐く姿からは苛立ちしか感じられない。

でも、何が原因でこんな態度を取られなきゃいけないのか、さっぱりわからない。さっきもちょっと様子がおかしかったし、やっぱり気になる。

聞くなら今しかなさそうだ、と思った。

頬杖をついてふて腐れているユーリの前に座りながら、僕もバンダナを外してテーブルに身を乗り出す。

少しそうしただけで、それほど大きくないテーブルの半分を僕の体が占領してしまう。
ユーリが視線だけを動かして僕を見ていた。



ーーーーー
続く