再び訪れた沈黙に、しかし今度はユーリのほうが居た堪れない気持ちになっていた。

あまりにも予想外の答えに上手い切り返しが出来なかったのだ。
言葉を返すタイミングを逸してしまい、どうしたものか、と考えてフレンを見る。フレンの表情は真剣そのもので、真っすぐに自分を見つめ返す瞳を正視することが何故か辛かった。

何故か。

それは、ここが酒の席でもなく、かと言ってどちらかの部屋で寛いでいるという訳でもない、という状況のせいに他ならない。好いた相手がどうだなどという話が出るとは、想像だにしなかった。
気の置けない友人達と酒を酌み交わしながら話が艶っぽい方向に行くとか、何も考えずただ思い出話に花が咲いたとか、そういう流れで派生するのならまだ理解できた。揶揄うことも、興味がなければ聞き流すことも可能だ。だが、今はそのどちらもとても出来そうにない。

それでも、どうにも話の内容が場にそぐわないという感じしかしないからユーリは困惑しているのだった。

もしかして、騎士団の内部で問題でもあるのか。それとも、実は討伐に赴くにあたって何か気掛かりでもあるのか―――
聞いたところで、自分が解決出来ることではないかもしれない。むしろ、手助け出来ない可能性のほうが高いだろう。だが、話せば心が軽くなることだってある。自分にはわからずとも、フレンなりに解決の糸口を見つけ出すきっかけになればそれでいいと思った。

『立場』が邪魔をして、腹を割って話せる相手がいない――とまでは言わないが、愚痴というものは丸っきり違う場所にいる相手にだからこそ言えるものではないか。同じ枠組みの中にいる人間同士で愚痴を言い合ったところで、傷の舐め合いにしかならないと考えていた。
誰かに愚痴をこぼしたくともそれは出来ず、一人で溜め込むぐらいなら吐き出して気楽になって欲しい。そのほうが良い結果になると思ったからこそ、強引とも取れる勢いでフレンに迫った……のだったが。


(……失敗したかな、こりゃ……)


もう一度、上目遣いに見遣ったフレンはやはり真剣な眼差しのままだった。




「…どうしたんだい、ユーリ。話せと言ったのは君だろう。聞いてくれるんじゃなかったのか?」

「え、あ、ああ」

顔を上げたユーリが、曖昧に返事をした。
思ったよりも冷静に言うことができたのは、ユーリが自分の言葉を茶化さなかったからだろうか、とフレンは思っていた。

『はあ?』とか『何を言い出すかと思えば…』などと呆れ顔で言いながら肩を竦めるユーリを想像していたが、どうやらユーリは自分の『告白』を一応は真面目に聞いてくれるつもりらしい。軽口を叩いて来ないのは、困惑もあるのだろうが自分の真剣さが伝わったからだろう。

とは言え、ここからどうやって話を進めればいいのかわからないという意味では、フレンのほうもユーリと大して変わらない。話すとは言ったが、『どこまで』話したものかとまだ迷っていた。目の前のユーリが、落ち着かない様子でこちらを見る度に心が揺れる。もし本当に最後まで気持ちを伝えてしまったら、ユーリがどんな目で自分を見るのか。考えたら少し、怖くなった。


「好きな人、か。んで、なんだってそんなに悩んでんだ。何か問題でもあんのかよ」

不意に問われて、思わずフレンは眉を寄せた。問題ならある。大ありだ。明らかにフレンの表情が変わったのを見たユーリが、ばつが悪そうに頬を掻いた。


「ああ…その、悪かった。問題ありだから悩んでんだよな…あー…なんだ、何が問題なんだよ?」

「…何でそんな、歯切れが悪いんだ」

「いや、まさかおまえの口からそういう話が出るとは思わねえし、意外っつうか何つうか」

「意外?僕が誰かを好きになるのがそんなに意外だって言うのか」

「そうは言ってねえだろ。…何イラついてんだよ」

「……………」


自分を怪訝そうに見ているユーリから視線を外し、フレンは軽く唇を噛んだ。
ユーリは、想われているのがまさか自分だとは露ほども思っていない。当然の事だし、フレン自身ユーリに知られたいと思っていた訳ではなかった。だが、いざ話す気になってしまうと今度は『気付いてほしい』という思いが生まれてしまって、どうしようもない。


(…なんて我儘なんだ、僕は…)


膝の上で握り締めた掌がじっとりと汗ばんで不快だった。部屋を満たす重苦しい空気も、未だに核心を切り出す事の出来ない自分も、それを強要したユーリのことさえ、何もかもが。


「ユーリ…」

思わず呟いた名前に、ユーリ本人は返事をせずにフレンを見て、深々と息を吐いた。


「…で、好きな女がいるのはわかった。それの何がそんなに問題なんだ?今のおまえを蹴るような女もいないだろ」

「そんな事はないよ。それに…多分、迷惑だと…思う」

「立場の違いとかか?…相手、貴族かよ…まあ、それでもおまえが惚れるぐらいなら」

「違うよ。立場は…どうだろうな、わからない…」

「ん…?貴族じゃないのか?だったら尚更、気にする事なんかねえだろ。立場って、おまえより上っつったら」

言葉を切ったユーリが神妙な面持ちで身を乗り出し、何事かと首を傾げたフレンにやや硬い口調である人物の名前を告げた。
一瞬、意味が理解出来ずに硬直したフレンだったが、見る間にその顔を赤くすると勢いよく立ち上がり…


「違う!!!」

「うぉ」

全力で以ってユーリの言葉を否定した。
とんでもない。よりによって。どうして。
言いたい事は色々とあったがすぐに出て来ない。フレンが両手を叩きつけたテーブルの上で賑やかな音を立てた食器を慌てて押さえながら自分を見上げるユーリの表情が、何とも言えず気まずかった。


「な…なんで、そこで彼女の名前が出て来るんだ!!」

「いや、立場云々でぱっと出たのがエステルだってだけで」

「それにしたって彼女じゃないだろう!!」

「他に思い付かなかったんだから仕方ねぇだろ!何ムキになってんだよ!わかったから座れ!」

「全く……」

「こっちのセリフだろ…」


やや乱暴に座り直したフレンがグラスの水を呷り、ユーリはもう何度目か知れない溜め息を零す。
遅々として進まない『本題』に焦れているのは、二人とも同じだった。


「ったく…エステルじゃないなら誰なんだよ?ていうか、もしかしてそもそもオレの知ってる奴なんじゃないのか」

「エステリーゼ様は……!」

「…エステルがどうした」

「何でも、ない」

「………」


自分ではなくて、むしろ。

言いかけてフレンはその言葉を飲み込み、『先』を考えないようにした。考えてしまえば、何も言えなくなってしまう。

「…それより」

「あ?」

「どうして、君が知ってる相手だと思うんだ」

「オレの知らないやつなら、そんなに言いにくそうにしないんじゃないかって思ったんだが…違うか?」

「……なるほどね。確かに、君が『よく知っている』人ではあるかな…」

「はあ…やっぱそうなのか。だったら話は別だ。言いたくなきゃ無理に相手のことまで聞かねえよ」

「…え?」

ユーリの言葉にフレンは少しばかり間の抜けた返事をしてしまった。
あれだけ話せと言っておいて、なぜ今更そんなことを。
フレンの表情から、言いたい事を察したのだろう。ユーリが腕を組み直し、やや疲れたように答えた。


「誰か、ってことまで言わなくていいって意味だ。聞いたところで多分、どうしようもねえし」

「さんざん話せって言っておいて、その言い草はどうなんだ」

「だから!何で悩んでんのかだけ言えっての!話が進まねえだろ!!」

「……言ったらどうにかしてくれるのか」

ユーリの瞳が微かに揺れる。
それはフレン自身も驚くほど、低い声だった。


話が進まずに苛立っているのは、やはりフレンのほうなのかも知れない。
そもそも話すつもりではなかった。
それでも決意した以上、どうやって想いを伝えればいいかと真剣に考えていたのに、どうも話が横道に逸れてばかりで調子が狂いっぱなしだ。
ユーリが色恋沙汰の話を敢えて避けているようにすら感じられる。実際、好んでするような話でもないのだろう。

ふと、ユーリには誰か、想う相手はいないのかと思った。

よくよく考えてみれば、今までユーリとそういった話をしたことはなかったように思う。特にフレンがユーリへの、単なる友情を越えた『想い』を自覚してからはとにかくそれを隠す事に必死で、普通ならまず気になるであろう相手――ユーリの気持ちを確かめようなどとは思いもしなかった。

だが一度気になってしまうと、もう駄目だった。
ユーリへの想いを自覚した時と同様、今度はユーリが自分をどう思うか、その事が一気にフレンの思考を侵食してゆく。いや、自分をどう思うかはとりあえず置いておくとして、まずはユーリにこそ『想い人』がいるのかどうか、それが知りたい。
自分の気持ちを伝えるのはそれからでいい。
もし、ユーリに誰か好きな人がいるなら、その時は…


(その時は、この想いはずっと、秘めたままで)


余計な事を言って関係が気まずくなるより、そのほうが耐えられる気がした。




ーーーーー
続く