「寒い」

「………」

「さ」

「少しは黙ってられないのか?」

「寒ぃんだっつってんだろ!?おまえコタツの使い方知らねえのかよ!!」


そんなわけないだろ、と返したフレンの表情はあくまでも涼しげで、むしろ暖房など必要ないのではないか、とさえ感じられる。

実際、部屋がそれほど寒いというわけではない。さほど広くもないアパートの一室にそこそこの体格の男子が二人いれば、体温だけで自然と室温も上がろうというものだ。
それがないにしても、今日は外の陽射しも穏やかで随分と過ごし易い陽気となっていた。さすがに夜になると冷えるので先日フレンも炬燵を出しはしたが、昼のうちから電源を入れることは滅多にない。

つまり、ユーリはそれが不満なのだった。

寒いのがあまり得意でないユーリにとっては、現状も『凍えるほどではない』だけであって『寒くない』ではないのだ。大袈裟だと言われても、こればかりはどうしようもなかった。


「コタツ出したってスイッチ入れなきゃ意味ないだろ!…コードどこやったんだよ」

「片付けたよ。だってユーリ、すぐ点けようとするじゃないか。まだ全然大丈……いたっっ!!」

ご、と鈍い音がすると同時にフレンが顔を顰め、ぱきん、と音を立てて手にしているシャープペンシルの芯が飛ぶ。

炬燵の中でユーリがフレンの足を蹴飛ばしたのだ。
痛みに思わず顔を歪めたフレンだったが、両手を炬燵布団に突っ込み、顎を台上に乗せた姿勢のまま上目遣いで睨みつけてくるユーリの姿に、思わず溜め息を吐かずにはいられないのだった。



期末試験を控えたこの時期、休日はフレンの部屋で共に勉強をするのが常となっている。それ自体は何も、今の関係になってからのことではない。入学後、最初の期末でユーリが赤点を取ってからはこうしてフレンがユーリの勉強を見てやるようになった。勿論、大切な幼馴染みが留年や落第などといった事にならないようにする為、だ。

ただ、あくまでもこれらは最悪の場合という意味であって、残念ながら力及ばず補習の憂き目にあったことは一度や二度ではない。

どちらの力が及ばなかったのかはまた別の話ではあるが。


フレンにとって、ユーリにこうして勉強を教える事に去年までは他意はなかった。だが、今年は違う。何せ、赤点の場合の補習は冬休みに入ると同時に始まるのだ。
教科や教師によって多少の違いはあっても、ほぼ毎日。カレンダー上の休日も関係ない場合すらある。

つまり平たく言うと、クリスマスを二人で過ごすことが出来なくなる可能性がある、ということだ。それは絶対に嫌だった。

だからいつも以上にフレンは気合いが入っていたし、ユーリもその事はちゃんとわかっている。二人でゆっくり過ごせるならそのほうがいいと思ったので、ユーリもそれなりに今回は勉強に身を入れるつもりだった。

が、この数日でめっきり冷え込んできたというのにフレンは暖房を入れようとしない。炬燵も出しはしたものの、初日にユーリが爆睡して以降こちらも勉強中は決してスイッチを入れず、コードそのものを片付けられてしまうという状況になったという訳だ。

おかげでユーリは縮こまって炬燵に入ったまま、広げたノートに顎を乗せ、両手を出す事もなくただひたすら『寒い』と繰り返していた。
当然の事ながら、勉強は全く進んでいない。
フレンがもう一度小さく息を吐いて言った。


「いい加減、手ぐらい出したらどうなんだ。それじゃ何もできないだろ」

「コタツ入れてくれたら出す」

「寝るから駄目だ」

「だったらエアコンの暖房入れろ」

「なおさら駄目だよ。絶対寝る。昔から言うだろ?『頭寒足熱』、って。暖かすぎても頭が働かなくなるし、足元を暖めるのがい…」

「だ・か・ら!!暖かくねえだろ!スイッチ入ってねえのに何言ってるんだよ!」

「うわ…っと!」

炬燵の中の気配を察知して、今度は蹴られる前にフレンが慌てて腰を引いた。ユーリの足先が覗く場所を見て、フレンの口元が引き攣る。
避けていなかったら、確実に『急所』に当たっていたと思われた。


「ちょっ…危ないな!当たったらどうするんだ!」

「ちっ…」

「舌打ちするな!君にだって理解できるだろ、どれだけ痛いかぐらい!!」

「そんな事より寒い」

「そんな事!?……全く…仕方ないな」

「お、コタツ点ける気になったか」

「ならない」

「……………………」

「でも、ほら」


炬燵からはみ出たユーリの両足先をまとめて自分の掌で包み、顔を上げてにっこりと微笑むフレンに今度はユーリが顔を顰める番だった。


「…ほら、って…何やってんだ」

「寒いって言うから、暖めてあげてるんだけど」

「ピンポイントでそこだけ、ってわけじゃ…」

「じゃあ全身を暖めて欲しい?」

「んなっ……普通に暖房つけろよ!!」

「陽が落ちて寒くなったらね。それより、少しは暖かくなったかい?」

「どっちかってーと冷たいのは手のほうなんだけ、ど…」


そこまで言って、ユーリがはたと口を噤んだ。足を暖めると言ってこれなのだから、手の場合なんてわかりきっている。
案の定、フレンは今までユーリの足を包んでいた手を離すと炬燵の上にその両掌を広げて見せた。


「……なんだよ」

「手、出して」

「い…いや、いやいやいや。そうじゃなくて根本的な解決をしろって言ってんだよ」

「手が冷たいから勉強に取り掛かれない、って言いたいんだろう?だから暖めてあげる、って言ってるんだけど」

「部屋を暖かくしてくれりゃ済む話だろ!?根本的ってのはそういう意味で言ってんだよオレは!」

「根本的って言うなら、そもそも何の為にここに来てるんだ君は。眠りこけて結局勉強にならないなら意味がないだろう」

「…そりゃあまあ、そうなんだけどさ…いやだから、足を暖めるって言うならコタツ」

「手。出して」


一見すると穏やかな微笑みと柔らかな口調なのに、何故か逆らい難い。これ以上問答を続けるのも不毛な気がして、ユーリは渋々ながら両手を炬燵の中から出すと目の前のフレンの掌にやや乱暴に重ねた。

軽く音を立てた掌が、ぎゅっと握り締められる。自分よりも高めに感じる体温に包まれてどことなく安心感を覚えてしまう事に心の中で少し呆れながら、ユーリはぼんやりと自分達の両手を眺めていた。






「――じゃあ、今日はこれぐらいにしておこうか」

「……おー…」

「疲れた?」

「寒いから余計な力が入るんだよなー」

「はいはい…ちょっと待ってて」


立ち上がったフレンの動きを、ユーリが首を巡らせて追う。再び両手を炬燵に突っ込んだスタイルに戻っているユーリにフレンは苦笑しつつ、押し入れの中からコードを持って来るとそれを取り付けてスイッチを入れた。エアコンも点けてやると程なくして暖かな風が流れ出し、振り向くと早くも瞳を閉じてうとうとしているユーリの姿が目に入った。


「ユーリ、寝るなってば」

「寝てねえよ。疲れただけ」

「寝るならベッドに行く?なんなら連れてってあげようか」


どこまでが冗談でどこからが本気なのか、と考えながら、ユーリがじっとりとした視線をフレンへと向ける。


「…寝ないって言ってんだろ。それより腹減ったんだけどなんかねえの、菓子とかさ」

「……眠いとか疲れたとか腹減った、とか…どこのおやじなんだ君は」

「こないだ来た時はなんかあった気がすんだけど?今日まだ何も食ってねえし。部屋は寒いわ腹は減るわ、おまえはやけに冷たいわでもうオレ帰りてえなー」

「暖かくして空腹が満たされたら寝る、なんて子供みたいな真似を君がするからだろ!…何度も言うけど、目的が別にあるんだからもう少し危機感を持ってくれないか」

「…わかってるって…それはそれとしてなんかくれってば」

「はあ…わかったよ」


そのままキッチンへ向かったフレンはすぐに戻って来て、手にしていた皿を炬燵の真ん中に置くと先程までと同じようにユーリの向かいに座った。


「お隣りさんに貰ったんだ」

「へー、ミカンか。…そういやオレ、今年初めてかも」

少し深めの皿に山盛りにされたミカンを見て、ユーリが少しだけ顔を上げた。


「昨日幾つか食べたけど、甘くて美味しかったよ。たくさん貰ったから好きなだけどうぞ」

山から一つを手に取って皮を剥くフレンの手つきをじっとユーリが見つめる。
一つずつ丁寧に白い筋を除いていくのを見て、『まあこいつはそういうやつだよな』と思う。
その反面、あの白い部分に栄養があるとか聞いたことがあるような、だったらそういうところは食べろと言いそうなのに、と考えていると、視線に気付いたフレンが手を止めた。


「何?食べたいの?」

「………へ?」

「じゃあ、はい」

「………………」


目の前に差し出された一粒を暫し凝視して、ユーリは仕方なしに口を開ける。どうせ、何か言っても切り返されてしまうだけだ。やっと暖まってきたばかりの両手を出すのも億劫だった。
何より、勝ち誇ったようにも見える笑顔が何となく気に入らない。
少し、からかってやろうと思った。

顔を傾けてフレンの指先に食いつき、わざと軽く舐めるとその指先が小さく震えたのがわかって思わず笑いが込み上げる。
口を離しながらちらりと見上げたフレンは、僅かに眉を寄せてどこか憮然とした様子だった。


「ん、確かに甘くてうまいな。…どうした?フレン」

「…別に」

一言だけ呟いて再び黙々と筋を取る姿を黙って見つめ、綺麗になったところを見計らって今度は自分から口を開けてみた。


「あ」

「……何やってるの」

「一つじゃ足りねえ」

「随分可愛らしいことをしてくれるね。まるで餌をねだる雛みたいだ」

「何とでも言え。…ほら、早くくれよ」

「…じゃあ、僕も親鳥の真似をしないとね」

「あ?」

言うが早いかフレンは手にしていた一粒を自らの口に放り込み、すかさずユーリの顔に両手を伸ばすとしっかりと掴んで上向かせ、驚くユーリの瞳を見据えたまま唇を重ねた。


慌ててユーリが両手を引き抜き、フレンの肩を押して逃れようとするが一層強い力で引き寄せられてしまう。
強く押し付けられたまま、更にフレンの舌先がユーリの唇をなぞる。擽ったくてほんの僅か開いた部分から一息に舌が侵入し、同時に口の中に押し込まれた柔らかいものの感触にユーリが眉を寄せた。

口の中いっぱいに広がる甘酸っぱい味も、フレンの舌で掻き回されて味わうどころではない。なかなか飲み込む事も出来ず、唇の端に薄い橙色が滲んでユーリから鼻にかかった苦しげな吐息が漏れた。


「んンっ……!!ん、ん――!!」

「…ふ…」

漸く唇が離れても、フレンは身を乗り出したままユーリを離そうとはしない。至近距離で見詰める蒼い瞳に、ユーリは僅かに背筋を震わせた。

恐怖などである筈もない。
『期待』を感じる自分に、少しだけ呆れていた。


「…普通に食わせろよ」

「餌付け、ってこうやるものだろう?…まだ足りない?」

「いや、もう充分」

「そう……ねえユーリ、人間の三大欲求って知ってる?」

「……何だよ、急に……食欲と…何だっけな、ッて!!」

向かい合ったまま顔に添えられていたフレンの両手がユーリの肩を掴み、力が込められたと思う間もなく横向きに引き倒されて反射的にユーリは固く目を閉じてしまった。

再び開いた先にはやはり視界いっぱいにフレンの顔が映し出され、ユーリは『やれやれ』といったふうに息を吐くしかない。


…口元が微かに笑みを浮かべていた。


「三大欲求はね、ユーリ」


耳元にかかる息にユーリが身じろぐ。


「食欲と、睡眠欲…あと、性欲だよ」

「…それで?」

「君の食欲は満たされたかもしれないけど、僕は何一つ満たされてないな」

「オレだって足りてねえよ」

「…誘ったの、君だから」




だから容赦しないよ、と囁けばゆっくりと閉じられた瞼にフレンが口付ける。


(…ちょっとからかうだけのつもりだったんだけどなあ…)


まあこいつに喰われるならいいか、と思ったユーリの身体に、心地好い暖かさが重なった。




ーーーーー
終わり