続きです


『五日目・本気の息抜き』




ひゅ、と軽い音を響かせてフレンが剣を振り下ろした。


「…遅いじゃないか。何をしてたんだ」

手にした剣はそのままに、オレに向き直って不機嫌そうに眉を顰めながらフレンが言う。怒られるほど遅れちゃいないが、午後を知らせる鐘が鳴ってから少しばかり経っていた。
午後、って言っただけではっきり時間を決めてた訳でもないのに、ほんと細かいやつだよ全く…。


「ユーリ?何か言いたい事でもあるのか?」

「あのな…オレだって仕事して来たんだぞ、おまえと違って別に午後から休みとかじゃなかったんだし」

「それで遅れたって言うのか?…しっかり着替える時間はあったみたいで、何よりだね」

「当たり前だろ…」

「さあ、君も早く準備してくれ。時間が勿体ないだろう?」

抜き身の剣を下げたまま、フレンがオレに笑顔を向ける。…全く、やる気満々だな。


別にフレンの部屋の掃除なんかどうでもよかったんだが、こいつはこういうとこうるさいからな。やらなきゃやらないで後から何か言うに決まってる。適当に済ませて、一張羅に着替えて来た。もちろん、自分の刀も持って来ている。

メイド服のまんまでこいつとやり合うとか自殺行為だ。第一、誰かに見られたらどうすんだよ。明らかに不自然だろうが。
前にここでフレンと模擬戦をやった時は、一応『騎士』の格好だったからまあ、まだなんとかなった。が、あんなひらひらした服のままでフレンと剣を交えて勝てる気なんかまるでしない。息抜きったって、『手』まで抜くつもりはないからな。


…そう、これがオレ達の『息抜き』だ。


まさかフレンのほうからお誘いがかかるとは思わなかったが、結局こいつもオレと同類なんだ。どいつもこいつも、見た目に騙されすぎだよな。

穏やかに笑う様子は確かに品があって、いかにも王子様顔ってやつなのかもしれない。だが、こいつが腹に一物抱えてる時はすぐにわかる。目が笑ってない。

今もそうだ。

何か企んでるのはわかっても、それが何かまではさすがにわからない。
…まあ、いいさ。

とにかく身体を動かしたい。そりゃあたまにはのんびりしたい時もあるが、城にいるとストレスばかり溜まってくからな。発散させるって言ったら、これだろ?


歩きながら鞘を弾き飛ばして刀を持ち直す。振り返ってフレンを見ると、やつもオレを正面に捉えて剣を構えた。


「…なんか、やけに嬉しそうだな」

「君と剣を交えるのは、随分と久しぶりのような気がする」

「そうだな」

「君しかいないんだ、全力で当たれる相手が」

「そうか?そんなんじゃ困るだろ、もっと人材育成に力を入れたらどうだ」

ちょっと前の仕事を思い出す。新人の女騎士の指導をやらされたんだが、確かに騎士団はまだまだ人手不足だ。だからオレが引っ張り出されるんだろうが、いい迷惑だよ。…あいつら、元気でやってんのかね。


「……僕の相手をするのが騎士団の仕事という訳じゃない。そんなのは一人いれば充分だよ」

意識をフレンに戻す。


「一人、ね…」

「そう、一人」

「しつこいやつは嫌われるって、オレ、言わなかったか?」

「へえ、自分の事だと分かってるんだね、嬉しいよ」

「うるせえ。…ほら、そろそろ始めんだろ?かかって来いよ」


ふん、ちょっと調子が戻るとすぐこれだ。実際、こうやって付き合ってやってるのに何で満足しないんだか。…まあ…こんな事言ったらすげえ勢いで嫌味が返ってきそうだが。


持ち直した刀をフレンに向けたまま、片方の手でくいくいと挑発してやる。


「ほらほら、時間がなくなるぜ!!」

「君のせいだと思うんだけどな………じゃあ、遠慮なく行くよ!!」


元から遠慮なんかするつもりないくせに、何言ってやがる。
言うと同時に踏み込んで来たフレンを迎え撃つべく、オレも体を開いて腰を落とした。






「はあああぁぁっ!!」

耳元を掠めた剣先が、低く唸るような音を残して振り抜かれる。…少しギリギリすぎたか、斬り落とされた髪が目の前で散って行った。

身体を捻り、一回転してフレンを躱すとその勢いを利用してそのまま刀を振り上げる。のけ反るような体勢で、フレンもまたギリギリのところでオレの攻撃を躱した。
払った切っ先から、金色の光が流れて行く。フレンの前髪に引っ掛けちまったが、まあ仕方ない。オレのほうはどうなってるんだかな。


既に幾度か、間合いを詰めては打ち合い、また離れては飛び込んで斬撃を繰り出す事を繰り返していた。


何でお互いこんなギリギリで攻撃を凌ぎあっているのかと言えば、それは実力がほぼ同じだからだ。間合いに入ったら畳み掛ける。だが、スタイルが違う。

フレンは一撃が重い。全て受け止めていたらそれだけでダメージが溜まっていくから、避けるか受け流すのが基本だ。そうやって躱しながら、タイミングを図る。
自分の攻撃が軽いなんて思ってないが、オレはどっちかって言えばスピードタイプだ。一撃を躱したら倍の攻撃を叩き込んでやる。初撃を避けられても次を受けさせられりゃいい。
さっき言ったろ?受け止め続けてもダメージは溜まるんだ。

まあ、フレン相手だとそう上手くはいかないんだけどな。鬱陶しい甲冑を着込んでるくせに、しっかり避けてくるから大したもんだぜ。…どうせ、フレンも考えてることは同じなんだろう。


今は盾こそ持ってないが、フレンは甲冑を身につけている。ヘタな攻撃じゃダメージにならないから、その隙間や甲冑のない部分、つまり身体の正面を狙うわけなんだが…

「普通、ガードするってんならまずはここ、だよなあ…!!」

「何だ?ガードがどうかしたかい…!?」

間合いを取り直して刀を繰り出すが、当然のように弾かれる。引き戻した刀を腰の後ろに下げた時、フレンの剣が再び振り下ろされた。

「っと……!」

僅かに右へ跳んでそれを避け、膝を折り腰を落とす。オレを追ってフレンの軸足………左足の爪先が動いた。そのままフレンが剣を払おうと、手首が反される。

――――今だ!


「ふッ……!!」

「!!?っっぐ、…!!」


息を吐いて脚に力を込め、踏み込んでフレンの胸に打撃を加えた。クリーンヒット!!…と言いたいところだが、そうはいかなかったようだ。咄嗟に上体を引いて衝撃を抑えたあたり、さすがの反応の良さと言うしかない。

それでもフレンは後方に跳び、胸元を押さえている。そこはかつて、フレンの魔導器があった場所だった。


「勝負あり、か?」

「…何言ってるんだ、まだだよ」

「そんな事言っておまえ、もし『逆』にしてなかったら大ケガしてんぞ?」

手にしていた刀をくるりと回して肩に担いだオレを、フレンは悔しそうに睨んでいた。


フレンの手首が反った瞬間、オレは後ろに回していた刀を右手に持ち替え、更に逆手に構えて『柄』をフレンの胸元に向けて突き上げた。僅かに腕が下がって空いた部分を狙ったんだが、実戦だったら当然刃のほうで攻撃を仕掛けてるんだから、一撃食らった時点でオレの勝ち、という訳だ。


「やっぱ腕、落ちたんじゃねえの?やる気満々だったくせに、大した事ねえじゃん」

「そっ……!!…いや、……!!」

…ほんと悔しそうだな…。
何か言い返したくても、言葉が出て来ないんだろう。

とは言え、恐らく鍛練にも身が入ってなかったであろう期間があった事と、オレがここに来てからは溜め込んだ仕事に追われてそんなヒマ、なかった筈だ。
それを思えばまあ、さすがと言うかなんて言うか。
…オレも悔しいから言ってやるつもりはないが。


「まー、また機会があったら相手してやんよ。オレもたまには体動かしたいしなあ」

「……ほんと、嬉しそうだな……」

「嬉しいからな、実際」

「………………」


オレとの距離を取ったまま、フレンは不満気に首を捻ったり剣を振ったりしている。そこまでされると何となくイラつくが……まあいい。


「いつまでふて腐れてんだよ!それよりこの後どうすんだ、まだ時間あるんだろ」

「そうだね……」

「…そんなに不満ならもう一戦いっとくか?」

担いでいた刀を下ろして切っ先を向けてやると、フレンはわざとらしい溜め息と共にやっと剣を鞘に納めた。

「今日はやめておくよ」

「別に、普通の鍛練でもいいんだぜ?『普通』の」

「いい加減その笑い、やめてくれないかな…君が相手じゃ、『普通の』鍛練は無理だね。どうしても力が入る」

「なんだ、つまらねえな」

どうやら、フレンはもう手合わせを続ける気がなさそうだった。結構ノリノリな感じで誘って来たくせに、やけにあっさりしてるな。何かあるんじゃないかと思ってたんだが、気のせいか…?
それなら仕方ない、オレは自分の鞘を拾おうと、少し離れた場所に転がっているそれに足を向けた。



かがんで鞘に手を伸ばした瞬間の事だった。


「ユーリ!!!」


鋭い声に顔を上げ、刀を握る掌に力を込めて立ち上がろうとしたオレに、もう一度、フレンの声が飛んだ。


「―――魔神剣!!!」



「なっ…………!!」

鋭い衝撃波がオレ目掛けて放たれる。上体を限界まで仰け反らせ、あっという間に眼前に迫ったそれを後ろに倒れ込みながらも寸でのところで躱したオレに、フレンが駆け寄って来るのが見えた。


「…っ、な、何しやがるフレン!?いやそれより、今の……!!」

「大丈夫か、ユーリ?」

「てめぇ……」

地べたに座り込むオレにフレンが手を伸ばす。が、その手を取らずに立ち上がるとオレはフレンをこれでもかという程睨みつけてやった。

「いきなり人に魔神剣ぶっ放しといて、大丈夫もくそもあるか!!」

「す、すまない…いや、君にじゃないんだ、向こうに不審な人影を見たものだから」

「人影?」

フレンの視線を追って背後を振り返るが、その先には既に何の気配も感じられない。衝撃波で散らされた木の葉が舞っているだけだ。

「…誰かいたのか?」

「ああ、間違いない。だけど、まだまだだな…届かなかったみたいだ」

届かなかった、ってのは攻撃が、って事だろう。確かに、かつて見慣れた技よりはだいぶ威力が劣っていた。でなきゃ、あんな至近距離で避けて無傷な筈がない。
て言うか、もし以前の威力だったらどうなってたか、わかってんのかこいつ……

「…威力のことはともかく、なんでおまえ、その技使えるんだ。新しい魔導器でも開発されたのか」

「いや、そういう訳じゃない。ほんとは、手合わせで君に見せて説明もしたかったんだけど…タイミングを逸してしまったから」

「だから自分からオレを『息抜き』に誘ったのか?何かあるだろうとは思ってたが、自慢したかっただけかよ」

「そうじゃない。君だって、この先こういった技が使えたほうがいいだろう?だから…」

フレンが話をやめ、じっとオレを見ている。…何だ、急に顔を顰めて…?

「…顎のところ、血が出てる」

「顎?」

言われて確かめると、確かに左顎の下に少しだけ痛みを感じる。指先にもちょっと血が付いた。さっき、魔神剣を避けた時だな。
でもまあ、言われなければ気付かなかった程だ。大した事はない……


「!?」

「じっとしてて」

フレンがオレの顎に手を伸ばす。傷のないほうを左手で固定して右手を傷口に翳すと、一瞬だけ白い光が現れてすぐに収束し、最後には霧散して消えた。

…これ、は…

「はい、治ったよ」

「…治癒術も使えるようになったのか?」

フレンは笑顔で頷いたが、オレは面白くなかった。

「おまえ、オレを実験台にしてんのか?」

「違うって言ってるだろ!手合わせでも掠り傷ぐらいするだろうし、そうなってもちゃんと治してあげられるって知って欲しかったんだ」

「怪我させる為に魔神剣使ったんだろうが」

「だから!本当はちゃんと手合わせの中で使うつもりだったんだ!それだって不意打ちする気はなかったんだよ」

「…いいけどよ…」



何だろうな、この微妙な敗北感は…。勝負に勝って、何かに負けた気がする…。
フレンが見たと言う不審な人影とやらも気になるし、とりあえず色々と聞きたい事がまた増えてオレはつい溜め息を零していた。

ーーーーー
続く