ハロウィンでフレユリです。






甘い、甘い

それは至福の瞬間






「………なんだ、こりゃ」

開口一番、辺りの様子に首を捻りながらユーリが呟く。見慣れている筈の街並みが、明らかに見慣れないものになっていた。


そろそろ陽も落ちようかという時間で、既に辺りは薄暗い。だが、あちこちに飾られた奇妙な形の置物の中から零れる柔らかな光が街路を照らし、一種独特の雰囲気を醸し出していた。

市民街に足を踏み入れた途端のこの光景に、ユーリは首を捻るばかりだ。もしかしたら、下町もこんな様子なのだろうか。


「とりっくおあとりーと!!」


きょろきょろと周囲を見渡していたユーリだったが、不意に声を掛けられて顔を下向ける。見れば、これまた見慣れない格好をした子供が二人、にこにこしながらユーリを見上げていた。

「とりっく・おあ・とりーと!!」

もう一人の子供が、同じ言葉を繰り返す。少し焦れたように言うその子供に小さなバスケットを突き出され、いよいよユーリは困惑した。
バスケットには色とりどりの菓子が詰まっている。溢れそうなほどのそれを更にこうして見せるということは、何か寄越せ、ということなのだろうか。まさか、自分にくれるという事か?と一瞬考え、すぐにそれを否定した。前者より、明らかに可能性が低いからだ。

「おにいちゃん、お菓子くれないの?」

やはり、と思うも、状況が理解出来ない。見ず知らずの、しかも奇妙な仮装をした子供にいきなり菓子をせびられる理由がわからなかったが、とりあえず渡せるようなものを何も持っていなかった。
荷物の中に食べかけのチョコレートがあったような気がするが、まさかそれをやるわけにもいかないだろう。

「…悪ぃな、今なんも持ってねえんだ。それより、こ…」

「お菓子、持ってないの?」

しゃがんで子供と目線を合わせ、『こりゃ一体何なんだ?』と聞こうとしたユーリだったが、逆に聞き返されて目を丸くする。思わず頷くと、二人は顔を見合わせて意地の悪そうな笑顔を見せた。

「「じゃあ、いたずらする!!!」」

「は!?え、おい……!?」

子供二人に飛び掛かられて石畳に尻餅を突いたユーリを、周りの大人達は誰も助けようとしない。笑いながら通り過ぎて行く彼らの中にもまた、奇妙な扮装の者は少なくなかった。全く以って、訳がわからない。

「ちょ、こらやめろって!いてて!!う、はははは!!」

「お菓子くれなかったからいたずらするのー!」

きゃいきゃいと纏わり付く子供らにあちこち引っ張られたり擽られたり、払いのけることも出来ず暫くの間好き放題され、漸く解放されてもまだ、ユーリは石畳の上で呆然と座り込むばかりだった。






「全く、えらい目にあったぜ…」

窓枠に腰掛けてむくれるユーリに、フレンが笑顔を向ける。近付いて長い髪を手櫛で梳いてやると、ユーリが鬱陶しそうな眼差しのまま顔を上げた。



あの後、下町に戻ろうと坂道を下ってみれば、そこは市民街以上の賑わいを見せていてユーリは唖然とした。やはり同様の置物が転がっていて、傍らの一つを手に取って見るとそれはカボチャをくり抜いて作ってあった。大きなものは中に蝋燭が仕込んであり、揺らめく光が幻想的と言えなくもない。

素直に感動できなかったのは、そのどれもが顔と思える形に穴を開けてあるからだ。奇妙な笑顔を浮かべたようなカボチャに、ユーリはまたしても首を捻る。こんなものを見たのは初めてだった。

見慣れない光景に、見慣れない格好をした人々。そして、訳のわからない仕打ち。下町でも全く同じ目にあったユーリは、結局噴水広場を抜ける事を諦めて荷物も置かないまま、フレンの元へと『避難』してきたのであるが。


「ユーリの事だから、お菓子の持ち合わせぐらいあるかと思ったけど」

「あったにしても、いきなり見ず知らずのガキにやるような理由がねえよ。何かと思ったじゃねえか、驚かすなよ全く…」

『事情』は既に説明された。エステルが書物で読んだとかいう祭りを実践したらしいが、わざわざ準備期間をを設けてまで、帝都がこのように文字通りの『お祭り騒ぎ』になっているとは知らなかった。


下町で容赦なく揉みくちゃにされたユーリの髪に指先を絡ませて、相変わらずフレンは笑っている。

「…何か嬉しそうだな、おまえ」

「ああ、だってこんな事が出来るくらいには余裕が出来たってことだから」

「ふうん…ま、いいんじゃねえの。菓子が貰いたい放題なんて、いいイベントだよなあ」

「ユーリも参加してくればよかったのに」

「はあ?何言ってんだ、ガキが大人に『いたずらか菓子か』ってやるんだ、ってさっきおまえが」

「トリック・オア・トリート!」

「………………」

「ユーリ、お菓子は?」


最初に出会った子供達よりも数倍タチの悪い笑顔で言うフレンを、ユーリはただ黙って見ていた。

いたずらか、お菓子か。

菓子を持っていなかった相手には『悪戯』をしていいのだ。ユーリは菓子を持っていないからいたずらをされ、この場所へとやって来た。それを知ってわざと聞いてくるフレンの考えなど、手に取るようにわかる。
素直に『悪戯』されてやるのも癪だし、さて、どうするか。


「ふふ、ユーリはお菓子を持ってないんだったね」

じっとりと睨みつけるユーリの視線さえ楽しげに受け止め、フレンがすっと顔を寄せた。唇が触れるか触れないか、ギリギリの距離で囁かれると、かかる吐息が擽ったい。

「…悪戯、してもいい?」

駄目だと言ってもするくせに、と思いながら、それでもユーリはフレンの肩を押した。少し身体を離したフレンが不満そうに唇を尖らせている。思わず笑ってしまうと、フレンはますます不愉快な様子だ。


「…ユーリ」

「まあ、待てって」

フレンを押しやり、窓枠から下りて荷物を探る。目当てのものを見つけ、それをフレンの目の前でひらひらと振ってみせた。

「…何だい、それ」

「チョコレート」

「なんだ…持ってるんじゃないか、やっぱり」

「こんなもん、人にやるわけにいかないだろ」

皺くちゃの薄紙に包まれた食べかけのチョコレートをさらに小さく割って、それをユーリは自らの口に放り込んだ。頬を緩ませてチョコレートを食べるユーリを、今度はフレンが睨みつける番だった。

「君が食べてどうするんだ…」

「んー?欲しいのか?」

「…僕の話、ちゃんと聞いてたのか?お菓子が貰えないんだったら、君に悪戯するだけだよ」

「仕方ねえなあ………」

ぱき、と耳に心地好い音と共に割られた一欠けらを摘んで、ユーリがフレンの口元にその指を伸ばした。今ひとつ納得いかないといった感じではあるもののフレンが口を開ける。
が、ユーリは素早く指を引っ込めると、またしてもそのチョコレートを自分の口に入れてしまった。


「…ユーリ、どういう…」

「ほら」

ユーリの指差す先に、チョコレートが覗いている。
薄く笑う唇には少し溶けたチョコレートが纏わり付いて、その部分だけつやつやと光って見えた。



「………ん…」

口の中いっぱいに広がる甘い味を、フレンの舌が舐め取ってゆく。全て覆うように深く合わせた唇はそのまま、しつこく口内で動き回られて次第に息が苦しくなった頃にやっと離れたフレンに、ユーリが笑顔を見せた。


「両方叶って、よかったな?」

「……足りないよ、どちらも」

「何贅沢言ってんだよ…そういうおまえはどうなんだ」

「何が…」

「トリック・オア・トリート!…お菓子くれなきゃ、イタズラするぜ?」


にやりと笑うユーリにフレンも笑顔を向け、傍らのテーブルに置かれた小さな皿を差し出した。
美しい模様の描かれた紙に包まれた丸い物体は、状況から考えれば菓子なのだろう。だが、ユーリには中身の想像がつかなかった。

「何だ、これ」

「チョコレートだよ」

「へえ…」

一つ摘んで包み紙を剥がし、口に入れた。自分が持っていたチョコレートとは比べものにならない味と口溶けに、ユーリが目を見張る。


「うま…!さすが、騎士団長ともなるといいもん食ってんだな」

「そんな事はないよ。それに、そのチョコレートは別に僕が食べるためのものじゃないし」

「ん?じゃあ他に誰が食うんだよ」

「……わからないのかい?」

それほど甘いものが好きな訳ではないフレンが、わざわざ部屋に菓子を置いておく理由。そんなものは、一つしかない。


「別に、今日が特別だからってわけじゃないよ?食べたければいつでも来てくれて構わない」

「………餌付けかよ」

「ユーリ、もう一つ食べないか?」



そう言って包みから取り出したチョコレートを唇から覗かせ、フレンがユーリを手招きする。


やれやれと肩を竦めたユーリが、フレンの口に噛み付いて瞳を閉じた。




甘い、甘い

それは、至福の瞬間



ーーーーー
終わり