沈黙が痛い、というのはこういう状況なんだろうか。


ユーリと二人で部屋にいる、ただそれだけの事が落ち着かず、話題を探しては口に出すのをやめる。フレンは先程からそんなことを繰り返していた。



帰ろうとしたユーリを思わず引き留めてしまったが、実際のところ討伐の話に関しては現段階で話せることは話してしまっている。ダングレストへ赴いて細かな調整を詰める必要はあるが、その許可が下りるのは早くて明日だ。日程等についてもそれからの話になる。

依頼の話にしても、ユーリのギルドの首領はカロルだ。彼には改めて話をしなければ、とは思うが、これもまた詳しいことはダングレストへ行った時に、という事になるだろう。

つまり、はっきりと言える事が見つからないのだ。
あまり憶測で話をしては、余計な先入観のせいで現場での動きに迷いが生じる。それが騎士団を率いる立場としての、フレンの考えだった。

加えて、ジュディスの言葉に少なからず動揺していた。深い意味はなかったのかもしれないが、どうしても勘繰ってしまう。
ユーリに対する気持ちがもしジュディスにばれていたところで、彼女がそれをユーリに言いはしないだろう。からかわれることはあるかもしれないが、取り繕う自信はある。

問題は、何故それがジュディスに伝わってしまったのか、という事だった。
ジュディスはユーリとはまた別の意味で他人の心の機微に聡い。ユーリ達に比べれば彼女と共に過ごした時間は短いフレンだったが、それを思わせる事は旅の最中にも度々見受けられた。
主には気遣いといった意味での事が多かったが、知られたくない本心までをも見透かされているかのように思える事もなかったわけではない。

そこで、今回の発言だ。

何の気無しに言った、とはどうしても思えない。
だがフレンはユーリ達と違い、そう頻繁にジュディスとは会っていない。殆どが城での公務で、たまに他の街へ行ったとしてもそこに凛々の明星がいた、などという幸運には残念ながら巡り会えた事はなかった。

今回、ユーリも含めメンバーと会うのは本当に久しぶりだったのだ。
だというのに、ほんの数時間で自分の心を見抜かれてしまったのか。
そんなにわかりやすい何かが出ていたとでも言うのか?

考え出したら止まらなくなっていた。


だから、目の前のユーリがいい加減本気で切れそうになっている事にすら気付かなかった。


「……そろそろ、我慢の限界なんだが……」


低い声に、冷たい空気を感じて漸くフレンは顔を上げた。見ると、ユーリはソファーに踏ん反り返って腕組みをし、フレンに鋭い視線を向けている。
己が考え込んでいる間、ずっとユーリを無視したままだった事に今更ながら気付く。

もっと言えば、その前から会話は途切れていたのだ。


食事を始めた直後はまだ何か適当に話をしていた。

『おまえ、いいもん食ってるなあ』だの『普段の部屋、ただの寝室にしちゃ広いと思ってたけどこっちも相当だな』といった他愛のない話をユーリが振り、それにフレンが『そんな事ない』などと答えるだけだったが、それがフレンに本題を促す為のユーリの気遣いだという事は充分に分かっていた。

だからこそ『本題』を話す訳にはいかず、かといって他にユーリを納得させる話題も見つけられず、フレンが一人で延々と悩み続けている間、完全にユーリの事は放ったらかしで、ユーリが怒るのも当然の事だった。


「おまえ、オレに何か話があったんじゃないのか?」

「え…と、まあ…」

「さっさと話せ、って何べん言わす気だよ!?…いや、それよりオレの言葉、ちゃんと聞こえてたか?」

「す…すまない、考え事を、していて…」

「そんなのは見りゃ分かる。でも、そんな悩むような話なのか?大体、その為にオレの事引き留めたんじゃねえのかよ」

「…そう、なんだけど」


歯切れの悪いフレンの返答に、ユーリが益々苛立ちを募らせる。
食事は半分程残っている。どうやら、途中から手をつけていないようだ。その事にすら気付いていなかった。

「はぁ………ったく」

渋い表情のまま、ユーリがフレンを見据えて言った。

「今回の魔物に関係してる事なんだと思ってたんだが…違うのか?」

フレンの肩が僅かに動いたのを、ユーリが見逃す筈もない。
やっぱりな、と小さく呟く声が聴こえて、フレンはユーリから思わず目を逸らしていた。



『本当に話したい事』の内容など、伝えられる筈がない。

だが、時々無性にそれが辛くて、いっそ言ってしまおうかという衝動に襲われる。言った後でどうなるか、ということは勿論日頃考えてはいるが、そこで抑制している反動なのかユーリ本人を前にすると理性とは裏腹に体が動いてしまう。
今日もまさにそれだった。

「…まただんまりかよ」


再び黙り込んだフレンに、半ば呆れたような口調でユーリが言った。


「オレにしか聞かせられないような話だったんじゃないのか?あんまりにも言いにくそうにしてっから様子見ようかと思ってりゃ、マジでいつまで経っても話し始める気配もねぇし」

「…話そうかと思ったけど、いざとなったら色々と考えてしまったんだ」

「どうして」

「………今言うのはやめたほうがいいかな、と思ったから」


嘘ではなかった。
明日、ヨーデルからの許可が下りればすぐにでも準備を整え、ユーリやジュディスと共にダングレストへと向かうつもりだ。エステリーゼも同行するだろう。

今ユーリに想いを告白したところで、どう考えても良い状況にはならない気がしていた。
受け入れてもらえても、断られても、ユーリの前で平静でいられるかわからない。それをまたジュディスに悟られるのも嫌だし、エステリーゼから質問攻めに遭うのも遠慮したいところだ。
特に後者の場合、本人は心から心配しての態度な上、フレンとしては立場上強く出られないのが厄介だった。

このような事で仲間同士の空気を悪くする訳にはいかないし、後にはもっと重要な話し合いの予定が控えている。仕事に個人の感情を持ち込むつもりはないが、こと今回に関しては自制できる自信が全くもってない、というのが本当のところだった。


ユーリは相変わらず怪訝そうな顔でフレンを見ている。
ややあって、ユーリが口を開いた。


「…今、ってのはどういう意味だ」

「今は今、だよ。もう少し落ち着いたら言える…かもしれない」

「よく分からねえけど、急を要するような事じゃないんだな?」

「…そうだね」

「何なんだよ、一体……!」

身を乗り出すようにしてフレンに質問を重ねていたユーリだったが、どうやらこれ以上は無駄だ、と判断したようだった。
ソファーに勢いよく座り直すとぐったりと手足を投げ出し、わざとらしく溜め息を吐くと恨めしげな視線をフレンに投げかけている。
以前ならだらしない、と叱ったその姿さえ魅力的に見え、相当重症だ、とフレンは思っていた。


ユーリもギルドの仕事から戻ったばかりで疲れている筈なのに、こちらの話に付き合ってもらっている。討伐の話もそうだが、今もそうだ。文句を言える立場ではない、という事もあったが、ユーリが自分の前でだけ見せる姿、というものにこれ程の愛しさを感じるようになるとは思いもしなかった。


フレンもユーリも、互いの前では良くも悪くも気が緩む。仲間の前以上にリラックスした姿を見せる事のあるユーリをフレンはよく嗜めていたが、フレンもユーリと一緒だと普段からは想像し難い幼さを見せた。


フレンにとって、ユーリのそのような姿を見るのはある意味当たり前の事でこれまで意識した事はなかった筈だったのに、一度自覚してしまうと丸っきり見方が変わってしまっていた。

相変わらず大きく広げた胸元は、ユーリがソファーに深く腰掛けて身体を前方にくの字に曲げるようにしているせいで布地が弛み、素肌がいつもより奥まで見えてしまっている。

ちらちらと視界の端に映る薄紅の小さな突起に慌てて顔を逸らすと、俯いていたユーリがゆっくり身体を起こすのが分かった。


「…何やってんだ、おまえ」

「何も…してない」

「いや、そうじゃなくて。何でそんな、明後日のほう向いてんだよ」

身体はユーリに向けたまま、首だけを真横に向けている姿は何とも不自然極まりない。誰でも不審に思うだろう。

理由など言える筈もないので、フレンは黙るしかない。

「……………」

「おい…大丈夫か?顔も赤いし、どっか具合でも…」

「っ…な、なんでもない!!こっちに来ないでくれ!!」


立ち上がってフレンに近付こうとしたユーリが動きを止めた。
フレンの制止の声が思った以上に強かったのか、片足を踏み出したまま固まっている。

「フレン…?」

「あ、ご、ごめん!こんな事言うつもりじゃ」

「…………」

無言のままユーリはゆっくりとフレンに近付くと、困ったような、怒ったような表情でじっとフレンを見下ろした。


「ゆ、ユーリ?」

「やっぱり話せ」

「…何を」

「何、じゃねえだろ!おまえ、挙動不審過ぎるんだよ。夕方、話が終わった時もなんかおかしいとは思ったが…、どうしたってんだ一体!」

「だから、どうもしな」

「いい加減にしろ!!」


ユーリの左手がフレンの胸倉へ伸び、そのまま無理矢理立ち上がらせるとこれでもかという至近距離に顔が近付けられて、思わずフレンは息を呑んだ。

力一杯締め上げられた首元が苦しい。だがそれ以上に、怒りに満ちたユーリの眼差しが苦しかった。


「何するんだ……!離してくれ!!」

「うるせえ!言いたい事があんならさっさと言えってんだよ!!」

「だから、今は……!」

「何悩んでんだか知らねえが、そうやって一人でうじうじされたら気になるだろうが!」

「話せるようになったら話す、って言っただろう!!」

「そもそもオレに話すつもりでここに呼んだんだろうが!今更何言ってんだ」


ユーリの手から、僅かに力が抜ける。声も若干落ち着いたものへと変わっていた。

「…もっと頼れ、って言ったよな」

「ユーリ、これは」

「オレだってな、一応おまえの事が心配なんだよ」

「……ユーリ……」

「ヨーデルもソディアもいるかも知れねぇが、あいつらに言えない事だってあんだろ」

「…………」

「それがオレ…達にまで話せなくなったら、おまえはどうするんだ?今もそうみてえだけど、そうやって一人で煮詰まって、良いことなんか一つもないだろうが!!」

「そう…だけど…」


真っすぐに見つめるユーリの瞳を受け止めるのが辛い。
ユーリにしか話せない、だがユーリにだけは話せない事でもあるのだ。


しかし、ここまで来てしまってはもう黙ったままでいるのは不可能だった。例えこの場で頑なに拒んでも、余計ユーリに気を回させるだけだろう。ぶっきらぼうでぞんざいな態度から誤解される事も多いが、ユーリは人一倍『仲間』の様子を気に掛ける性質だ。

『仲間』よりも近い存在であるフレンに対してなら、尚更だ。
自惚れでも何でもない。それが真実であるという事は、誰よりフレン自身が理解していた。


今からユーリに伝えようとしていることは、もしかしたら長い年月をかけて培ってきた信頼関係を粉々に打ち砕くものかもしれない。

だが、話さないままで気まずくなるぐらいなら、話してしまったほうがいいのかもしれない。



相反する気持ちを抱えて自問自答を繰り返し、とうとうフレンは覚悟を決めた。



「わかった、話すよ」



だから君も座って、と言うと、ユーリはやや乱暴にフレンの胸倉から手を離し、再び向かいのソファーに腰を下ろした。

腕と脚を組み、『さあ話せ』と言わんばかりのユーリの表情に苦笑しながら、フレンはゆっくり、しかしはっきりと、『本題』へと向かう為の言葉を口にした。



「好きなひとが、いるんだ」


ユーリの双眸が見開かれ、息を呑む様子を見つめながら、もう戻る事は出来ないのだ、とフレンは心の中で呟いていた。




ーーーーー
続く