続きですが、内容は「オンナノコは大変です・2」の続きになります。





その言葉をとうとう口に出してしまい、フレンは自分で自分の言った事に頭を抱えたい気分だった。

湯気の立つカップを見つめ、自分の台詞を反芻する。

女の子のままがいい。

そうすれば――――


二、三回軽く頭を振って、肩越しにちらりとユーリの様子を窺った。ベッドに横たわり、頭からシーツを被って丸くなっているために表情などは見えない。 だが、先程感じた気配から、起きているのは確実だった。


(…聞かれた、かな…)


全くの無意識だった。だからこそそれは『本音』なのかもしれないが、一足飛びにそこまで考える自分に冷や汗が出る。


どうやら、自分はユーリを女性として好きらしい。しかしフレンは、いつからそれを意識していたのかをはっきりと思い出すことが出来なかった。

共に育った幼馴染みで、背中を預け合うことのできる親友。フレンにとって、ユーリはとても大切な存在だ。二十数年という長い年月の大半を一緒に過ごしたと言えるユーリだが、当然の如く『男性』であった彼を、そのような対象として意識した事はなかった筈だ。

それが、ユーリが女性になってもさほど違和感を感じることなく受け入れ、あろう事かはっきりと、恋愛対象として意識している自分がいる。
それを自覚し、仲間にまで図星を指された今となっては否定するつもりもないが、それならそれで手順を踏むべきなのではないか。
何かにつけ、最終的な結末ともいうべき二文字が頭をよぎるのは何故なのか。

自分がそうしたいから、というのは確かにあるが、ユーリはよくこう言う。

『たった一ヶ月やそこらで、そんなに意識が変わるものなのか』

…と。
これは何もフレンだけに言っている訳ではなく、ユーリに関わる人間、特にあからさまな態度の変化を見せた者全てに対して向けられたものだ。

その言葉やこれまでの態度から察するに、ユーリのほうの『意識』は変わってはいないのだろう。だが、本当に一ヶ月という間だけのことなのか、というのがフレン自身には分からないのだ。

これはきっかけに過ぎない。

もしかしたら、自分はずっとユーリの事が好きだったのではないか。
だから、積み重ねた年月があると思っているから、とりあえず世間体を気にする必要のなくなった途端にこんな事を考えるようになったのではないか。

つまり、『ユーリと結婚できたらいい』と。


(…だからって、どうすればいい?大体、ユーリのほうは…)


キッチンに突っ立ったまま、悶々とする思考の渦に呑まれそうになっていると、不意に背後の気配が動くのを感じた。

「…フレン?何やってんだ、そんなとこでいつまでも…」

身体を起こしたユーリが、怪訝そうに眉を寄せてフレンを見ている。
自分が一体どれ程の時間そうしていたのかわからないが、手にしたカップからは既に湯気は消え、生温い温度が僅かに触れる指先に伝わるだけだった。







「何やってたんだよおまえ、ほんとに」

「…ごめん、ちょっと考え事」


温めなおしたココアのカップを手渡し、苦笑混じりに言うフレンを、ユーリは相変わらず疑わしげな視線のままで見上げていた。

ベッドサイドに立ったまま、フレンはユーリのことを見下ろしている。カップに口を付けようとしたユーリだったが、すぐ隣でいつまでも立ったままのフレンの事が気にならない筈はない。

「…で、今は何やってんだ」

「どうしようかな、と思って」

「?…何だよ、帰れって言ったの気にしてんのか?突っ立ってるぐらいなら座れよ、落ち着かねえから」

別に帰ってもいいけどな、と言いながらユーリがカップに口を付けようとして一瞬躊躇し、ふうふうと息を吹きかけて湯気を掻き消している。

もっと近くで見たい、と思ったら、自然と体が動いていた。


「……なんでこっち座るんだよ」

「何となく?」

「狭いだろ、あっち座れ」

ユーリが顎で指す先には、普段話をする時に座る小さなテーブルと椅子がある。
ユーリは起き上がってベッドに腰掛けているが、フレンはその隣に座ったのだ。しかも、少しでも動いたら肩が触れてしまいそうなその距離にユーリは居心地悪そうに身じろぎ、縮こまるようにしながら両手でカップを持っている。

ちらちらとこちらを窺うようにするユーリを、フレンは不思議な気分で見つめていた。




(……落ち着かねえ……)


一方、ユーリはどことなく、フレンの態度が今までと違うような気がしていた。

体調を気遣っているから、というのもあるのだろうが、自分と違って妙に落ち着いているのが気になる。

ユーリが女性になってからというもの、フレンは時に異常とも思える程の過保護っぷりを発揮している。
その行動は本人が無意識の時は大胆で、大いにユーリを慌てさせた。
いきなりユーリを横抱きにして家まで連れ帰ったり、今日のように半ば押し倒すような格好で下半身(正確には腹部だが)に触れたりと、第三者から見れば一体何事かと思われるようなことも少なくない。

そうかと思えば妙なところは純情で、ユーリの胸元を正視することも出来ない様子だ。うっかり裸を見られでもした日には、そのあまりの狼狽ぶりにユーリのほうが思わず謝りたくなる。

実際、無防備だ何だと言われ続けているにも関わらずユーリもあまり生活態度を改めないせいもあるが、とにかくフレンが自分の事を過剰に『意識』しているのは分かっていた。


『ユーリとフレンは、お似合いのカップルになると思うんです』


ハルルでエステルに言われた言葉が脳裏に甦る。

(なにがカップルだよ……)

それは恋仲の者に対してのみ、当て嵌まる表現ではないのか。なると思う、という事は、今後自分とフレンがそういった関係になり得るとでも言いたいのだろうか。

「…冗談じゃねえぞ…」

思わず声に出してしまって、慌てて隣のフレンを見る。
その途端に視線はばっちりと合い、フレンがずっとこちらを見ていたことに気付いてユーリは息を呑んだ。


「どうしたんだい、ユーリ」

「…は…」

「甘さ、足りなかった?」

「あ…いや、大丈夫だ」

「そう?良かった」

優しい微笑みは、昔から変わらない。
……変わらない筈なのに、何かがやはり違って見えた。
居心地の悪さは頂点を極めている。フレンといると落ち着く事のほうが多かったのに、今ではそれがすっかり逆になっていた。


「…ユーリ、僕の顔に何か付いてる?」

困ったように笑うフレンに言われて初めて、ユーリは自分がフレンの顔を凝視していた事に気が付いた。何が違うのだろうかと思っていたら、そのままジロジロと見続けていたらしい。

何でもない、と言ってカップを口元に運ぼうとするユーリだったが、フレンの言葉に手が止まった。


「で、なにが『冗談じゃない』んだ?」


「…聞こえてたのかよ」

再びゆっくりと顔を上げるユーリに、フレンはやれやれといった感じでわざとらしく息を吐いた。

「そりゃあね。この距離で聞こえないほうがおかしいよ」

「だったら最初に言えよ。何聞こえないフリしてんだ」

「聞こえないフリなんかしてないよ。ココアが不味いんじゃなければ何なのかな、と思ってね」

嘘をつけ、と思いながらユーリはそのココアを一気に煽ったが、予想外の熱さに小さく声を上げる。俯くユーリをフレンが覗き込む。

「あ……っち!」

「ちょっ、何やってるんだ!熱いに決まってるだろう!?」

「うるせえな、もう冷めてると思ったんだよ!」

湯気は消えている。掌に伝わる温度もそれ程ではない。
だが厚手で大振りのカップにたっぷり入っていた中身はまだ充分な熱さで、飲み干す前に口を離したものの舌先を火傷したらしい。

「大丈夫?水、持って来ようか」

「あー…いや、いい。大丈夫だよ、こんぐらい」

小さく舌先を出してしきりに痛む箇所を気にするユーリだったが、やがて手にしたカップに視線を落として黙り込む。溜め息を吐いて、ボソボソと話を始めた。


「…ハルルに寄って、エステルとリタに会って来た」

「え?あ、ああ。知ってる」

ハルルにユーリを迎えに行くジュディスに、一緒に帰るかと誘われた。だが都合が合わなかったのでフレンは同行せず、ユーリに二日ほど遅れて帝都に戻って来た。その足で、そのままユーリの元を訪れたのだ。
その辺りの話をユーリは何も聞いていないらしい。
軽く説明すると、少し驚いたようにフレンに聞き返してきた。

「なんだ、それでオレの体調知ってたのか」

「…今まで何の疑問も持ってなかったのか?」

「下町の誰かから聞いたかとも思ったが、まあどうせどっかから耳に入れて来たんだろう、ぐらいにしか」

「誰かに言ったのか?その、体調悪いって」

「女将さんには言った」

世話になっている手前、言わない訳にはいかない、とユーリは言う。

「…まあそれで、リタとも話をしたんだけどな」

「どうだった?何か手掛かりは…」

「ない。今のところ、解決策は見つかってないみたいだった」

「…………」

何と言っていいのか分からずに言葉に詰まるフレンにユーリが笑顔を向ける。

「そんな顔すんなよ、大して気にしてねえから」

フレンはユーリに女性のままでいて欲しい。だが、それはフレンの勝手な願望で、ユーリ自身は男性に戻りたいと思っている筈だ。だからフレンは『手掛かりがない』ことに安堵し、同時に自己嫌悪に陥っていた。何も言うことが出来なかったのは、そのどちらをもごまかしてくれる都合のいい言葉が咄嗟には出て来なかったからに過ぎない。

決してユーリの心情を慮ってのことではなかっただけに笑顔を向けられてさすがに心苦しい思いをしていたフレンだったが、続くユーリの言葉に耳を疑った。


「…もう、このままでもいいと思ってさ」

「なんだって!?」

掴みかからんばかりに身を乗り出して来たフレンに若干身を引くようにしながらユーリは話を続けた。

「リタにはもっと、優先しなけりゃならない事がある。オレの事をあれこれ考えてる余裕なんかねえ筈だ。だから、もう原因を探ろうとしなくていい、って言って来た」

「な…ユーリはそれでいいのか?リタは何て言ってるんだ」

「おまえと同じ事言われたよ、それでいいのか、ってな」

はあ、と一息ついてココアを啜る。僅かに表情が渋くなるのは、もう熱くはない筈だが火傷した舌先には染みるのか、それとも話の内容に依るものか。

「さっきも言ったが、リタには精霊魔術の研究やら新しい動力の開発やら、やる事がたくさんある。研究者は一人じゃないにしても、中心になるのはリタなんだ。おまえだって、とりあえず治癒術くらいは何とかしてもらわなけりゃ困るだろ」

「それはそうだけど、」

「それに」

フレンの言葉に被せるように、ユーリが語調を強くした。

「とりあえず何の問題もないってハッキリしちまったからな、誰かさんのおかげで」

「…どういう意味?」

「健康なんだろ、オレ。体調が悪いったって、これは女なんだから仕方ねえんだし。リタも言ってたよ、ある意味何の問題もない、ってさ」

「ある意味って、何のことなんだ」

「その…ちゃんと生理が来てる事が、らしいけどな」

言いにくそうに目を逸らすユーリの姿に、フレンはジュディスに言われた事を思い出す。


「…その気になれば、子供も作れる、か…」


隣に座るユーリが明らかに身体を強張らせるのが伝わった。これでもかと言うほど大きく見開かれた瞳がフレンを見据えている。

「その気って…おまえ…」

「生理っていうのは、妊娠の為の準備なわけだから」

「あ、まあ、そうなんだろうけど」

「…いつか、ユーリにも子供が出来たりするのかな」

「は!!!?」

ユーリがまだ飲みかけのカップを取り落とし、床にココアが散る。更に立ち上がったユーリの足に蹴られたカップが鈍い音と共に床を転がり、反対側の壁に当たって止まった。

フレンがユーリの右腕を掴んでいた。

「ちょ…!!」


激しく動揺するユーリに何故か胸が騒ぐ。
ユーリを見上げるフレンにも、自分が何をしたいのか分からなかった。



ーーーーー
続く