SWEET&BITTER
LIFE
第六話







「…早く、来すぎたかな…」

待ち合わせ場所の駅の改札口で、僕は少しだけ捲った袖口から覗く腕時計を見ながら呟いていた。

今日、僕は仕事が休みだ。たまたまユーリの店も休みで、ユーリから『行きたい場所があるから付き合ってくれ』と言われ、僕はそれを承諾した。

昨日ユーリの店に行った時にそういう話になって、待ち合わせ場所や時間を決めたのはいいんだけど、思った以上に早く着いてしまって僕は少しだけ困っていた。

普段あまり利用しない路線だから念のために早めに家を出たせいではあるんだけど、待ち合わせの時間まではまだ三十分以上ある。さすがに一人で突っ立っているにはちょっとつらい。
かと言ってどこか店に入って時間を潰そうにも、そうしにくい理由があった。

僕は、ユーリの携帯番号を知らない。

昨日教えてもらえばよかったんだろうけど……とにかくユーリも僕の番号を知らないし、もしユーリが来た時に僕の姿がなかったら探させてしまうかもしれない。
そう思うとあまりうろうろできなくて、近くの自販機で缶コーヒーを買ってまた改札口に戻り、大人しくそこで彼を待つ事にした。


メールチェックでもしようかと思って開いた携帯電話の受信覧には、仕事関係の件名しかない。

…なんか、空しい。
友達いない人みたいだな、僕…。

実際、今の仕事に就いてからは取引先の店に付き合いで行くばかりで、個人的な友人とどこかへ出掛ける事なんてなくなって久しい。
たまに友人からお誘いがあっても、僕は休日の曜日が固定じゃないから都合が合わなくて断ったりしていたものだから、最近ではあまり誘ってもらえなくなってしまった。

そういうこともあって、休日に仕事絡みではなく誰かとどこかへ出掛ける、というのは本当に久しぶりの事なんだ。

しかも、相手はユーリ。

個人的な用事に誘ってくれたという事は、友人だと思ってもらえてる、って考えてもいいんだろうか。
…知り合い程度なんだとしても、ユーリの僕に対する第一印象は最悪だっただろうから、それを考えたら進歩したほうだよな。
できれば、もっと親しくなりたい。

…親しく、か。

この間から、僕はやたらとユーリの事が気になって仕方なかった。
昨日は殆ど衝動的とも言える勢いでユーリに会いに行ってしまったし、帰宅してからも考えるのは何故ユーリは僕を誘ったのかとか、そんな事ばかりだった。


その時、気付いたんだ。

僕は、ユーリに惹かれてる。

多分、初めて会った時からずっと、だ。

そう思ったら不思議と気持ちが落ち着いた。
ただ、ユーリのどの部分に対して、どのように、というのははっきりとは言えなかった。それも、これから分かってくるんだろうか。

…そんな事を考えていたら、手にしたままぼんやりと見つめていた携帯電話の画面に影が落とされた。

顔を上げた先には、同じ高さから僕を見る薄紫の瞳。


「……ユーリ」

「よ、待たせたか?」


でも遅刻じゃねえよな、と言って僕の携帯電話に表示された時計を覗き込む彼の顔が、近い。

後頭部の真ん中辺りで結われた、ポニーテールには少し低い位置の長い髪が、視界の端に揺れている。
伏し目がちの瞳には長い睫毛が、頬には耳元から垂れた髪が一房かかって、携帯電話を持つ僕の手に触れた。

…やっぱり、綺麗だ。

僕はそれをうっかり口に出したせいで彼を怒らせたし、そう言われたりするのは本意じゃないんだろうけど。
それとも、こんなふうに思うのは僕だけなのか……?


「フレン?何ボケっとしてんだよ。またトリップか?」

「…違うよ」

「そうか?おまえ時々、そうやって一人で固まってるからさ。…まあいいや、それじゃ行こうぜ」

「あの、ユーリ?僕はまだ、どこに何しに行くとか全く聞いてないんだけど」

「行きゃ分かるって。ここからそんな遠くないし、すぐだからさ」

手にしていた携帯電話を折り畳んで肩からかけている鞄にしまい、さっさと歩き出したユーリの後を追う。

…後で番号、聞かないとな。

隣に並んで歩きながら、僕はそんな事を考えていた。





暫くしてユーリの目的の場所に着いた僕は、その入り口の前で足が完全に止まっていた。
膝から下が、固まってしまったと言ってもいい。それぐらい、僕はその店に入るのを躊躇していた。


「……あの……ユーリ、ほんとに入るのか…?」

「ん?当たり前だろ。ほら早く入ろうぜ!」

「……えー……」


ユーリが行きたかった場所。
それは最近話題の、スイーツが食べ放題の店だった。

僕のところの雑誌で紹介した事もあるし、よく知ってる。知ってはいるけど、まさか自分が来る事になるなんて。

別に、甘いものがそれ程好きではないから、というわけじゃない。
何といってもこの店のメインターゲットは、女性。それはもう、お客さんの九割が女性だ。残る一割も、まあ殆どがデートで連れて来られた……もとい、来ている、カップルのうちの男性、と言っても過言ではない。

…何が言いたいかっていうと、男二人で来るような客はあまりいない、ってこと。
別に駄目なわけじゃないけど、さすがにちょっと…嫌だなあ…。


「フレン、何やってんだよ!」

入り口でユーリが呼んでいる。僕は仕方なく、その後ろについて店に入って行った。



従業員の女の子に案内された席は、広い店内の割と端のほうだった。…もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。ユーリは全く気にしていないみたいだけど、席に着くまでの間、他の女性客の視線が痛すぎる程に突き刺さっていて、僕は何だかいたたまれない気持ちでいっぱいだった。

恥ずかしすぎる。
僕らは結構背が高いし、何よりユーリの容姿は人目を引く。
だからケーキやドリンクを選んでいる間も無駄に目立ちまくりでとにかく落ち着かなくて、僕は逃げるようにして席に戻り、まだケーキを選んでいるユーリの背中を眺めていた。

一人では行きづらい、みたいな事を言ってたけど、とてもそんなふうには見えない。目を輝かせながらケーキを取り分ける様子は、周りの女子高生達と大差ないように思うんだけど…。

そうしてやっと戻って来たユーリが持つトレーを見て、僕はもう、どうリアクションしていいのか分からなかった。

トレーの下が見えないぐらい、きっちり隙間なく詰められた何種類ものケーキ。

「……ユーリ、何、それ…」

「何って、ケーキだろ」

「見たら分かるよ!それより、それ全部食べるつもりか?」

「何言ってんだよ、まだ半分だぜ。いっぺんに全種類、乗らねえんだよ」

「…………」

「いつもはエステルと半分ずつ乗っけてくるんだけどな。さすがにおまえにそれを頼むのは可哀相だからさ、おまえは自分の好きなように食えよな」

「…はは…ありがとう」

「無理してケーキ食うことないぞ。普通にパスタとかあったろ…って、取って来てるし」

「うん。ユーリこそ、僕の事は気にしなくていいよ」

「気にしてたら連れて来ねえよ。じゃ、いただきます、っと」

「……いただきます……」

…何だか泣きたくなってきた。
そりゃあ確かに、今日ここに付き合ってるのは今までユーリにかけた迷惑に対する『お詫び』なんだけど。

それにしても、目の前でケーキを食べるユーリは、本当に幸せそうだ。
自分自身もパティシエをしていて毎日ケーキを作ってるのに、それでもこうしてわざわざ休日に他の店でまで食べたいものなんだろうか。
もしかして、他に理由があるとか?

「ユーリ、ひょっとしてこういうのも自分の店の為のリサーチとか?」

「は?リサーチ?…何が?」

「…何でもない」

どうやら違ったみたいだ。
純粋に甘いものが好きらしい。

「それにしたって、すごい量だよな…」

「だからまだ半分だって」

「…いつも全種類制覇するのか?エステルさんも?」

「あいつはそこまで食わねえよ。普段からうちのケーキ、食ってるしな」

「ユーリだって、自分で作ってるんじゃないか。試食だってするんだろう?」

「自分とこのをオレが大量に食ってどうすんだよ。ここは種類も多いし安上がりだし、何よりなかなか美味いしな」

「へえ。なかなか、か」

「そ。今まであったこのテの店の中じゃ、かなりいいと思うぜ」

「…やっぱり、同業者としては気になる?」

するとユーリは僕の質問に少し考える素振りを見せた後、再びケーキを口に運びながら話を続けた。

「気になる、ってのとは少し違うな。業態が全く違うから、そういう意味ではまあ、別に。ただ、色々と参考になる部分はある」

「例えば?」

「んー…。こういう仕事って、『旬』が大事だろ」

目の前のトレーから、レモンの乗ったケーキをフォークで指す。

「食材のこと?」

「それもあるし、単に流行り、って意味もある。食材の旬は把握してても、じゃあ実際に今、人気があるのかってのはずっと自分の店だけでやってると分からなくなったりするからな」

「…それでこういう所に来るのか?」

「自分のスタイルに自信があって、作ってる奴の名前で客が来るようなとこならいいんだけどな。オレ、まだそこまでじゃねえし」

「肩書きみたいなもの?…確か、色々と大会とかあるんだよね」

「ああ。まあオレはあんま興味ないけどな、そういうの。でもそれがある意味じゃ店の信頼に繋がって、客が呼べたりはする」

「…でもユーリはそうじゃないから、色んな事を知っておきたい、ってとこ?勉強熱心なんだね」

無意識なんだろうけど、結局それはリサーチ以外の何物でもない。
素直に褒めたら、ユーリは照れたのか少しだけ顔を赤くしてさっきのケーキを口に放り込んだ。

「……単に趣味と実益を兼ねてるだけだ。考え方なんてそれぞれだしな」

「ふうん?」

拗ねたように目を逸らす姿がなんだか可愛くて笑ってしまうと、ユーリはますます不機嫌さを増して椅子に踏ん反り返り、腕組みをしながら僕を睨みつけてきた。

「な、なに?」

「オレ、もうおまえと仕事の話はしない、って言ったよな」

「……そうだね」

「じゃあ今までのこれは?何かの取材か?」

「そんなつもりはないよ。職業柄、気にならないと言ったら嘘になるけど…」

「ほんとかあ?なんか、まんま取材みたいな聞き方だったぞ」

「違うってば。でも…そうだな、強いて言うなら…」

「何だよ」

「…僕は個人的に、ユーリの取材をしたい」

「……………は?」

「だって僕、君の事をまだ何も知らない。甘いものが好きで、意外に勉強熱心なんだ、っていうのは分かったけど」

「意外って…。おまえ、オレをどんなふうに思ってんだよ」

「だから、知らないんだ。その為の個人取材。受けてくれないかな?」

「なっ……はあ!?何だ、そりゃ」

「僕は、もっと君と親しくなりたい。君の事が、知りたいんだ」


そうすれば、どうしてユーリに惹かれるのか分かる。そう思って聞いたんだけど、ユーリは何故か顔を真っ赤にして俯いた。肩が小刻みに震えてる。
……え、なんで?

「…ユーリ、もしかして笑ってる?僕、何かおかしなこと…」

「ぶふっっ…!!」

「ユーリ!?」

「おま……っ、それ、ナンパ……!!ナンパする時に言う、セリフ……っっ!」

「…はあ!?ち、違うよ!!そんなつもりじゃ…あ、あれ?でもユーリ、じゃあ何で怒らないんだ?」

「だ…って、おまえ、真面目…っ、すぎ……!!」


…何だか誤解されたみたいだ。
周りの迷惑も顧みず、テーブルをバンバン叩きながらそれでも声は抑えて笑い続けるユーリを見ていたら、少しだけ腹が立ってきた。

「……とりあえず、携帯の番号教えてよ。あとアドレス」


投げ遣り気味に言った僕に、ユーリは『やっぱナンパじゃねーか!』と言って笑い続けていた。



「もう笑うな!周りのお客さんに迷惑だろ!!」

「は、腹いてぇ…!おまえ、ほんっと面白いなあ」

「腹が痛いのはケーキの食べ過ぎじゃないのか」

「まだ半分だっての!!」



…ああもう。
少し親しくなれた気はするんだけど、僕はとにかく早いとこ他の場所に行きたい気分だった。


ーーーーー
続く