続きです。








結局、あの後が大変だった。


オレは頭に怪我こそしてるが、別に動けないほどの重傷というわけじゃない。ついでに治療されたらしい右腕にも湿布が貼られていたが、こっちこそ大したことはない。

部屋に戻ると言うオレにフレンは頑として首を縦に振らず、じゃあソファで寝ると言えばそれも却下され、あげく『君が眠るまで傍にいる』とか言ってベッドの脇に椅子を持って来て張り付かれて、却って眠れる筈もない。

押し問答を繰り返していたらいつの間にか夜が明けてしまい、フレンの出勤時間になったために漸く解放、かと思いきや、そのままここにいるようきつく言われてしまった。

…軽く軟禁じゃねえの、これ。
出入り口には見張りの騎士までいるし。

昨日医務室に運び込まれた後で着替えさせられたらしく、オレは寝間着だ。夜ならともかく、陽が昇ってしまっては抜け出すこともできない。

昼に一旦戻る、と言い残してフレンが出て行ってから、仕方なしにベッドでごろごろしてるうちに眠ってしまった。…さすがに疲れていたらしい。

だから、情けないことにフレンが戻って来たのにも全く気付かなかった。

何やらガタガタ引き摺るような音と、続いて漂って来る美味そうな匂いにやっと目を覚ますと、フレンがベッド脇にサイドテーブルを移動させ、食事の用意をしているところだった。






「ああ…ごめん、起こしちゃったか」

「いや、別に…」

起き上がって一つ伸びをし、ベッドに腰掛ける。
病人じゃないんだから、いつまでもシーツに包まってる必要はない。

目の前に用意された食事を見てたら、急激に腹が減ってきた。
…よく考えたら、昨日の昼から何も食べてない。
一日二日ぐらい食わなくても平気だが、こうも近くから視覚と嗅覚に訴えられると、さすがに厳しいものがある。
部屋の隅で手甲を外しているフレンに声を掛けてみた。


「フレン、これ食っていいのか?」

「ああ、ちょっと待っててくれ。すぐ行くから」

「行くって…どこに」

「そこに」

言いながらオレの正面に椅子を持って来て座るフレンは、ここ何日かでは一番なんじゃないかという笑顔でオレを見ている。

…冷静に考えて、昨日の出来事なんかそんなに悠長に構えてられるようなもんじゃないと思うんだが……。

とりあえず、今は別の嫌な予感がする。
何故かと言うと、フレンの野郎がスプーンを自分で持ってるからだ。

食堂から持って来たんであろうトレーの上には、クリームシチューとロールパン、サラダとデザートの林檎が乗っている。
で、そのトレーは目の前に座るフレンの膝に乗っていて、一本しかないスプーンはフレンの手に握られている。

これでわざわざフレンが自分の食事をするってんなら凄まじい嫌がらせだが、恐らくそうじゃない。
そうじゃないが、今からフレンがやろうとしている事も相当だ。

案の定、フレンはシチューをスプーンで掬うと、それをオレの口元に突き付けた。

…突き付けた、って表現は正しくないかもしれないが、そんな事ははっきり言ってどうでもいい。オレにとっちゃそう見えるんだ。


「ユーリ、はい」

「………『はい』、…なに」

「何、って。早く食べなよ。冷めるよ?」

「…スプーンよこせ。自分で食う」

フレンに向かって掌を差し出すが、フレンはそれを見ようともしない。

「ほら、口あけて」

さらに近くに迫ったスプーンを避け、トレーのロールパンを取ろうと手を伸ばすが、フレンに手首を掴まれてしまう。

「何すんだ、離せよ!」

「動いたらスプーンからこぼれるだろ。早く食べてくれ」

「…おまえ馬鹿だろ。何が嬉しくてそんな真似、しなきゃなんねえんだよ」

「こういうの、恋人らしいと思うんだけど?」

「みんながみんなこんな事してるわけねえだろ!!自分で食うからスプーンよこせってんだよ!」


するとフレンはスプーンを暫し見つめ、……そのまま自分の口に入れてしまった。

「あ!てめっ!!」

抗議の声を上げた次の瞬間、掴まれていた手首を力一杯引かれ、前のめりになったところにフレンが顔を寄せた。
空いたスプーンを持ったままの右手に後頭部を押さえられ、そのまま唇が合わされる。


「んむぅっ!!?」

「ん……っ」


…最悪だ。フレンの口から、オレの口の中にシチューが押し出されてくる。
唇を閉じられないまま飲み下すのはかなり辛く、漸く唇が離れた時には息が上がっていた。
…ってか、恥ずかしいのと怒りとでどうにかなりそうで、フレンを怒鳴りつける。


「何しやがる、この野郎!!」

「ユーリが素直に食べてくれないからだろう?」

こんの……!マジで腹立つ!!

「ヘラヘラしてんじゃ……ねえ!!」


掴まれたままの手首を振りほどき、フレンの膝にあるトレーを素早く奪い取ると、オレは左手でフレンの横っ面を張り倒した。

先にトレーを取っとかねえと、せっかくの食事まで駄目になるからな、当然の措置だ。
反動で吹っ飛んでいった林檎が床に転がっている。後で拾っとくか。

……ああ、フレンも椅子から転げ落ちてるぞ、勿論。
利き手な上、割と本気だったからな。平手だったのを感謝してもらいたいぐらいだ。



「…いつも思うんだけど、もう少し手加減したらどうなんだ」

「いつも言ってるが、必要ないだろ。…つか、いつも殴られるようなことしてんじゃねえ!!」

椅子に座り直したフレンからスプーンを奪い取り、ぬるくなったシチューを口に運ぶ。
…全く、なんでメシ食うのにこんな苦労しなきゃなんねえんだよ…。

ふとフレンを見ると、張られた右頬を摩りながらも、何故か笑顔でオレを見ている。

「何笑ってんだ。気持ち悪ぃな」

「…本当に大丈夫みたいで、良かったと思って」

「怪我の心配してくれるんなら、余計な力を入れさせんな。結構響いて痛えんだぞ」

「ご、ごめん。…でも、やっぱり嬉しくて」

「しつこいな…。もう大丈夫だって言ってんだろ」

「違うよ。…いや、それもだけど…」

それまでとは違う、少しはにかむような笑顔で覗き込まれ、食事の手が止まる。…今度は何を言うつもりだ、こいつは。


「君が、僕の恋人だ、って言える事が嬉しいんだ」

「…………何だ、いきなり」

「仕事を始めて少したったころ、とりあえず仕事が終わっても恋人役は続けるけど、その前に結果次第で『役』じゃなくなるかも、って言ったよね」

「…言ったな」

「本当にそうなったんだな、って」

「…それはいいけどよ…頼むから、誰彼構わず言い振らしたりするなよ」

「…そこまで常識がないと思われてるのかな、僕は」

「割と思ってるぞ。大体、さっきの行動だって常識的とは言えねえだろ」

「そう?看病するといえばあれだと思うけどな」

「……もう、いい……」

早まったような気がする。これから先、ずっとこんな調子だったら……結構、キツいかもしれない…。


相変わらず笑顔のフレンと目を合わせられなくて、一人黙々と食事を続けた。

…味なんかろくにわからなかった。










「…で、とりあえずオレはどうすりゃいいんだ」

昨日、あれ以降の話が全くわからない。怪我したのは結果的にはオレだが、はっきり言ってあれはフレンの暗殺未遂のようなもんだ。割と大ごとな筈だよな。


「服は持って来てあるから、着替えて医務室に行ってくれ。後で経過を聞かせてもらうけど、その後は部屋に戻って休んでくれて構わないよ」

「訓練は?あいつら、どうしてんだ」

「昨日はあのまま自室待機だ。今日、明日で一人一人から話を聞かせてもらう予定だよ。君の怪我の具合にもよるけど、問題がなければ明後日ぐらいからは訓練を再開してもらいたい」

「オレは構わねえけど。…事情はどこまで説明するつもりなんだ?」

「例の彼女については、ある程度の説明はする。入団の経緯と君への行い、嘆願書を不正に利用しようとした件により除籍して身柄を確保した、といったところかな。それ以上の事はもし聞かれても答える必要はないから」

「…分かった。まあ取り調べやら何やらについては任せるしかないからな。頑張ってくれよ」

「人ごとだな…。本来なら君だって、取り調べというか、事情聴取の対象なんだぞ」

「こうやって話してんので充分事情聴取になってんだろ?そういう建前もあってここにいるんじゃねえのか、オレ。それにしたって私室に引っ張り込むのはどうかと思うがな」

「大丈夫だよ、今朝やっと意識が回復した、って言ってあるから。皆、君のことを心配してたよ。誰も何も疑問に思ってないから、安心していい」

…それもどうなんだ。特別扱いにもほどがある。
公私混同とか職権濫用とか、誰か一言、言ってやれっての。

「……まあいいわ。あの女にはまだ話を聞いてないのか」

「ああ、色々と手続きもあったからね。夕方から取り調べを予定してる」

「じゃあ、もう今夜はここに来る必要ないな」

オレの言葉に、フレンが表情を曇らせる。
何だよ…。だってそうだろ?
今日の取り調べにどれだけかけるのか知らないが、すんなり行くとは限らない。

「おまえ、全然寝てないだろ。今日はもう、仕事が終わったらさっさと寝ろよ。どうせ、遅くなりそうなんだろ?」

「そうだけど…」

「話なら明日の夜、聞かせてもらう。オレもまだ、色々と気になってる事とかあるしな」

「…わかった。それじゃ、僕はそろそろ戻るから。君も着替えて、医務室に行ってくれ。食器は僕が返しに行くよ。食堂には、あまり行きたくないだろう?」

「元凶作っといてよく言うぜ…」

「今更だね。ああ、ちゃんと怪我の経過報告には来てくれよ」

「へいへい。執務室か?」

「ああ。じゃあ、また」



フレンが出て行き、オレも着替えることにした。
……やっぱり、女騎士の格好なんだな。まあ…当然なんだが。




医務室で額の傷を診てもらってる最中、医者が新しいガーゼに取り替えながら話してくれた内容によると、もう少し弾道の角度が浅かったらヤバかったらしい。
あの女が座ったままだった為に、弾は低い位置からオレの額を掠めて上に抜けたんだろうという事だが、よくよく考えたらかなりギリギリだったんだな。
…フレンが怒るのも、無理はないか。

しかしそのフレンはと言えば、治療が終わった途端制止も聞かずにオレを抱きかかえると医務室を出てしまったらしく、医者としても経過が不安だったと文句を言われてしまった。なんせ頭の怪我だから、見た目以外に何か影響を受けてないとは限らない。

何かあったらどうする気だったんだ、全く。
しかも抱きかかえて、って……うわ、想像したくない。

まあ怪我そのものはひと月ほどで治るらしいし、多少傷跡が残ったとしても髪で隠れるから問題なさそうだ。

フレンに報告すると、意外にもそれだけであっさり帰された。オレがいる間も引っ切りなしに様々な報告やらなんやら入って来てたから、相当仕事が溜まってたんだろうな。



とにかく、これで厄介事が片付きそうだ。
まだ細かな疑問はいくつかあるが、それも明日になればある程度分かってくるだろう。

ここ数日で色々ありすぎだ。


明日は少しぐらいゆっくりしたいと思いながら、宿舎に戻ることにした。





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続く