フレンの部屋を出て、オレは宿舎の自室へと急いでいた。

今までだって女性騎士はいたわけだから、何もわざわざ今回のために宿舎を建てたとか、そんな事はない。
宿舎は男女で棟が分かれていて、オレの部屋は当然の事ながら女子棟にある。
…仕方ないだろ、『女』なんだから。

毎日毎日、フレンの部屋へ行くより、実は帰りのほうが厄介だった。

オレの部屋は宿舎の最も奥のブロックにある。
普通、小隊長以上になれば城の中に個室を与えられるから、宿舎住まいをしてるのはそれ以下の階級や入団したばかりの新兵が殆どだ。
ここで寝食を共にして、集団生活のなんとやらを叩き込まれるわけだな。
オレが言っても何の説得力もないってか?放っとけよ。

本来ならオレも城の中に部屋がある部類なんだろうが、一応『臨時』であるのと、同期の新人女性騎士ばかりで訓練を行うという新しい試みのために、同じ宿舎で寝泊まりしているという状態だ。

城内で常に女騎士の姿を晒すより、この宿舎のほうがまだマシだ。知り合いに出会う可能性は、城より格段に低い。


何が厄介かと言うと、宿舎は広い練兵場を挟んだ向こうにあり、途中には遮るものがあまりないため、警備が厳しくなる夜間は忍び込むのになかなか苦労することになる、という事だ。

忍び込むと言うと誤解を招きそうだが、オレはフレンの部屋に行く前には普段の服に着替えている。
こんな時間にこんな場所で巡回の騎士に見つかりでもしたら、いくらフレンでも庇いきれるかわからない。

フレンはオレがわざわざ着替えて来ることが不安というか不満のようだったが、オレは『仕方なく』女の格好をしてるんであって、仕事が終わってからもずっとあの格好し続けるなんて御免だ。

そういうわけで、今も身を隠しながら自室に向かっている最中なんだが…





女子棟の傍までやって来たオレは、前方の植え込みに何やら動くものを確認した。

オレの部屋の窓側へはこの植え込みを抜けて行くんだが、部屋は建物の最奥で、植え込みの先にはオレの部屋しかない。
…逆に言えば、こんなところをうろついているような奴の目的として考えられるものはそう多くはない、ということだ。


少し距離を取ったまま、前方の影の様子を窺う。
…成人男性であるのは間違いない。鎧を身に着けている。騎士……?

騎士なら尚更、何故こんなところに。

正当な理由があるなら、堂々と宿舎入口から入ればいい。遊びに夢中で門限を過ぎた見習いが忍び込むにしたって、この場所は有り得ない。

気配を悟られないよう、少しずつ距離を詰めていく。徐々に輪郭がはっきりとしてくるその影は、オレの部屋の窓の下で動きを止め、上を窺っているようだ。


…そういえば今日、例の不正入団に関わっている騎士の男が不審な行動を取ったばかりだ。
もしかして、早くも第二の行動でも起こしたか。だとしたらこいつはなかなか侮れない相手かもしれない。
何せ、オレは今この考えに到るまで、その可能性を全く予想していなかった。
おそらくはフレンもそうだろう。


気配を消して身を屈め、ゆっくりとその『影』に近付いていく。

はっきりと顔が確認できる距離まで来て、オレは愕然とした。

やはりこの不審者をオレは知っている。向こうはまだこちらに気付いていないようだ。



手にした愛刀をゆっくりと鞘から引き抜く。

白刃が、月光を受けて鈍く煌めいた。


ある意味殺意すら覚えつつ、オレは『不審者』の背後に忍び寄り、音もなくその首筋に刃をひたりと押し当てる。
そうして低く、ゆっくりとそいつの名を呼んでやった。











「………何してやがる、シュヴァーン」

「……………あのー…」

「もう一度聞く。何してやがんだ、おっさん。返答次第では叩っ斬る」


今すぐぶん殴ってやりたい衝動をなんとか抑えながら、オレは目の前の男……今は『騎士団隊長首席、シュヴァーン・オルトレイン』という名のおっさんを見下ろしていた。






「ちょっ、待て待て待てって!!とりあえずその物騒なもんしまってちょうだいよ!!!」

「うるせぇ騒ぐな。誰か来たらどうすんだ」

「だからそれ、しまってってば……!」

本気で泣きそうな声を出して懇願するのがほんの少しだけ哀れになって、仕方なく刃を鞘に納めると、シュヴーンは大袈裟に息を吐き出してゆっくりとこちらに向き直り、胡座をかいてうなだれた。

「はあ〜……、心臓に悪いわ、ホント」

「シャレになってねえな」

「青年がいきなり人の首に刀なんか突き付けるからでしょ!?」

「騒ぐなっつってんだろ」

「…青年、コワいって…」

「言い訳があるなら聞いてやる」

「……とりあえず、お部屋にご招待頂けない…?」

「勝手に入る気満々だっただろうが」

「失礼ねー、そこまでするつもりなかったわよ!?ただ青年の、…」

しまった、という顔で言葉を切ったシュヴーンに、オレは再び刀の柄に手をやった。

「オレがどうした?」

「いやだから怖いって!!」

「さっさと言えよ」

柄を握る手に力を込めると、観念したのか消え入りそうな声で続きを話し始めた。

「えーと、せっかくだから、青年がどんな可愛らしい格好してるのかちょっと見てからにし」

全て言い終える前にオレは刃を薙ぎ払ったが、かろうじてそれを避けたシュヴァーンは植え込みから転がり出て宿舎の壁に張り付いた。
…腐っても実力者なだけはある。

「とととにかく!今からお邪魔させてもらうから!!」

それだけ言うとシュヴァーンは身を翻し、入口方向へと消えていった。
…途中で見つかったらどうする気なんだか知らないが、とりあえずオレは再び刀を鞘に納め、自室の窓へ手をかけた。

昼の疲れもあるっていうのに、勘弁してくれよな…








部屋に戻ってから、オレは再び着替えるハメになった。

何の用件だか知らないが、おそらくシュヴァーンはオレへの面会という形で部屋へやって来るんだろう。
多分付き添いで他の騎士も来るだろうから、いつもの服でいるところを見られるのはまずい。

かと言ってさっきの様子だと、オレが女騎士の姿をしてるのを見てやろうとしていたのは間違いないだろう。

真っ当な形で昼に会ってしまったなら仕方ないが、わざわざ恥を晒しておっさんを喜ばしてやる義理もない。

オレは適当な上着を引っつかむとそれを羽織り、いつもの服をクロゼットに放り込んで下も穿き替えた。
上下ともゆったりした部屋着みたいなもんだ。一応支給されたものだったが、あまり着たことはない。

髪の毛を高い位置で結い直したところで、部屋の扉がノックされた。



扉を開けると、思った通りシュヴァーンの前には付き添いの騎士がいた。
面会を了承してシュヴァーンを招き入れると、何故かその騎士はオレを見たまま動こうとしない。

「…何か?」

「あの…、失礼ですが、教官殿はシュヴァーン殿とは…」

「知り合いだけど」

「…本日は、何かお約束が…?」

「何でそんなことを聞く?」

「い、いえ、面会のご連絡を頂いていなかったものですから」

オレは小さく舌打ちした。
手間かけさせてくれんなよ、全く…

「すまないな、次から気をつける。…それでいいか?」

「…はい…。それでは失礼致します」

こちらをちらちらと窺いながら退室した騎士の態度に妙なものを感じるが、とりあえずシュヴァーンという人物の身元は確かだ。
ちゃんと面会を伝えて正面から来たんだから問題ないだろう。


扉を閉めて振り返ると、当の本人はさっさと椅子に腰掛けて寛いでいる。






…どうやら、ゆっくり休めるのはもう少し後になりそうだ。





ーーーーーー
続く