風花・3

「随分とおとなしいね?」

フレンがわざとそんなことを言うと、ユーリは毛布の中で更に姿勢を崩して深々とため息を吐き出した。

「話があんなら聞いてやるから、さっさとしてくれ。何のためにオレを付き合わせた?何か言いたいことがあるんじゃねえのか」

「そうだね…」

言いたいこと。
それなら山のようにある。確かに、そのためにここまでユーリを引っ張って来たようなものだった。
黙ってフレンの言葉を待つユーリの横顔は依然として不機嫌そうなままで、その理由がフレンにはなんとなくわかる。寒空の下を連れ回され、今このように『誰かに見られたら』多少気まずい思いをするような状況だから…というだけではない、と。

「…ユーリ」

「なんだ」

「僕に対して、余計な気を回すのはやめてくれ」

静かに、だがはっきりとフレンが言う。ユーリは黙ったまま空を一度見上げ、瞳を閉じ、深呼吸をするかのようにゆっくりと息を吸い込み――

「…そうか」

同じだけ時間を掛けて吐ききった後、一言だけ、呟いた。
ふわりと流れる白い吐息と共に消えゆきそうな呟きすら聞き漏らしようのない距離にいて、触れる身体の温もりも確かに感じられるのに、自分達の間には見えない壁がある…。その壁はいつからかユーリが作り、壊そうとする度に逃げられる。フレンはそう思っていた。
久しぶりに会えたことに喜ぶ素振りはこれっぽっちも見せず、離れて行こうとするユーリに苛立ち、寂しい。何故そんな態度なのか、わからなくはない。だが納得しきれず、いつか伝えなければとずっと考えていた。今を逃したらまた当分その機会がない気がして、フレンは敢えてユーリを見ないままで話を続けた。

「自分の立場をきちんと理解して、公私のけじめをつけることは必要だ。でも君の態度は…それだけじゃないだろう」

「………」

「僕にとって、君が大切な友人であることは何一つ変わらない。変わってないんだ。立場も何も関係ないところで気を使われるのは…正直、つらい」

「今がそうだって言うのか?」

「そうだ」

きっぱりと言い切った強気な口調とは裏腹に、フレンはそっと瞳を伏せた。

「…僕は君に、こんなことを言わなきゃならないのがとても……嫌だ」

「ふうん…」

「…気のない返事だな」

「そりゃまあな。くだらないこと言ってんな、ぐらいにしか思ってねえから」

「くだらない…」

「オレはおまえに気を使ってるつもりはないぜ?別に避けてるわけでもない。用があれば会いに行くし、なけりゃ行かねえ。それだけだろうが」

「それは…そうだけど」

「それに…」

言葉を切って黙るユーリを見ると、薄紫の瞳が真っすぐにフレンを捉らえていた。

「……っ」

思いもよらず真剣な眼差しに、フレンが息を呑む。直後にユーリの目元がふっと緩み、いつもの挑戦的で人を食ったような笑みに変わった。見慣れた筈の表情にどこか戸惑いを覚えながらも、フレンはユーリを見つめて次の言葉を待った。
僅かな静寂がとても長く感じられる中、一瞬強い風が吹き抜けた。乱された長い髪を鬱陶しそうに払い、ユーリが首を竦める。いつしかユーリの肩を滑り落ち、右腕に触れる程度になっていたフレンの指先がぴくりと動いた。寒いのだろうともう一度肩を抱こうとしたら、ユーリに手首を掴まれそのまま床に下ろされてしまいフレンは苦笑する。いい加減にしろ、とでも言いたげにじろりと見上げるユーリの表情の幼さにまた戸惑い、フレンはそっと自らの胸を押さえた。

(…なんだろう、この気持ちは…どうしてこんなに心がざわつくんだ…?)

「…フレン?」

フレンの様子に何か感じたのか、ユーリが声を落として名前を呼ぶ。優しく耳に沁み入る声にすら落ち着かなくなる自分自身に更に困惑しながらも、フレンは努めて平静を装うとユーリに笑いかけた。

「何だい?」

「いや、何ってそりゃオレのセリフだろ。どうかしたか?…つかなんで笑ってんだ」

「なんでも…。それより、さっき言いかけた続きはまだかな。ずっと待ってるんだよ」

「さっき?…ああ…さっき、な…」

ふう、と一呼吸置いてフレンを見たユーリは、にやりと口角を上げた。

「それに、オレは常日頃おまえに会いたいと思って生きてるわけじゃねえからなあ」

(あれ…?なんだかさっきと感じが…)

真剣な眼差しで自分を見つめ、何かを言おうとしていたユーリ。『いつもの』表情に戻ってもフレンはその笑みに惑わされ、心の奥底を波立たせた先程とは違う。今、隣で意地悪く笑うユーリからは何かを感じることはなく、代わりにフレンはどうにも喩えようのない敗北感を味わっていた。強引にここまでの状況を作り、距離の近さにいちいち不満気な顔をするユーリの態度を楽しんですらいたのに、今はどうか。現状に慣れてしまったのかユーリはすっかり落ち着いていて、フレンは自分の余裕の無さがどこから来るものかわからずに居心地が悪い。

(…なんだって言うんだ)

むっつりと押し黙るフレンを、ユーリはにやにやしながら見ている。

「…その言い方だと、僕がしょっちゅう君に会いたがってるみたいじゃないか」

「その通りだろ?次はいつ会えるーだの、来るなら連絡くれーだの、たまに会うとそればっかじゃねえか。前からそんなだったか?最近酷くなった気がするのはオレだけか」

「たまにしか会えないから、その時間を大切にしたいんだよ。なのに君は…」

「なんでかわかるか」

「え?な、なに?何が」

「会わなくてもわかるからだよ」

唐突な問いかけに驚いて目を瞬かせるフレンに構うことなく、ユーリが続けた。視線を空に向け、独り言のように、自分で自分の言葉を確認するように静かに語るユーリからフレンは目を離せないでいた。

「オレがどこで何してようと、おまえには関係無い。誤解のないよう言っとくが、関係無いってのはおまえのやろうとしてることに何の影響もないって意味でだ。オレがギルドで依頼されて人捜ししたり失せ物探ししたり、どっかの町で井戸掘ったりして、それでおまえの何かが変わるわけじゃねえよな」

「…?すまない、言っている意味がよくわからないんだけど…」

「まあ聞けよ。で、おまえのほうはどうかって話だ」

「僕?」

「そう。騎士団長として、おまえが何かすればそれはすぐにこっちに伝わってくる。喜べよ、今んとこそんなに悪い話は聞いたことねえから。だからオレはおまえに会う必要はねえし、なんの心配もしてない。頑張ってんなとは思うが、それだけだ。おまえのほうにオレの話なんか伝わんねえだろうけど、そりゃ当然だろ?新興ギルドのメンバーが何してるかなんて、いちいち報告する奴はいない。…それが何か問題でない限りは、な」

そこまで言うとユーリは両手を上げて伸びをし、はだけた毛布を手繰り寄せて欠伸をした。涙の滲む瞳でぼんやりと眼下に広がる草原を眺めるユーリの姿を見つめながら、フレンは複雑な思いだった。
便りがないのは元気な証拠…とでも言いたいのか。確かに、ユーリの行動を把握する術を自分は持たないし、それでも何かあれば知らせてくれそうな人物に心当たりもある。ユーリは自分のことを信頼しているからこそ『会わなくてもいい』と言い、話すこともないと言う。
しかし、割り切れなかった。常々抱えていた思いを今日は全て吐き出すつもりでいたが、いざとなるとうまく伝えられないことばかりで困る。ユーリの態度に思いもよらないところで動揺する自分のこともよくわからない。ただ一つ、ユーリからこちらに関わって来ることが以前に比べ格段に減ったことだけが、フレンの胸の中に時折小さな痛みを生み出すのだ。

「なんだか…寂しいね」

「何が」

「君が言ってるのは、会う必要があるかどうかについてだろう?…確かに、言ってることはわかる。それでも、時には会いたいと思うし会えば話を聞きたいよ。そういうものだろう?君にはそういうのが全くないのか?随分と友達がいのない話だな、と思ってさ」

「いつまでもそういうこと言ってねえで、他に友達作れって言ってんだよオレは。オレが他のやつと飲んでたからって拗ねてねえで、そういう相手を見つけたらどうなんだよ」

「…やっぱりわかってるんじゃないか」

ユーリを引き留めて付き合わせた理由は何もそれだけではないが、大元の原因はそこにあるようなものだった。きっと気付いているだろうと思っていたから図星を指されて恥ずかしいとも思わないが、あまり気分がいいものでもない。

「だったらどうして…」

「おまえがオレとつるんでるの見て、よく思わないやつもいるんだって自覚しろ。それがおまえの道の妨げになるのが面倒だと思ってるだけなんだよ、オレは…。あーあ、こんなことまで言うつもりなかったんだがなあ…眠くて頭が働かねえや」

「そういうところ、僕よりも君のほうが気にしてるよね。君こそ、自覚があるなら素行を改めたらいいんじゃないのか?それで堂々と城に来ればいい」

「なんでそうなるんだよ…それに今さら生き方を変えるつもりもねえし」

「…そうだろうね」

「そうだ」

そう、わかっていた筈だった。避けられているのではない。気を遣うというのとも違う。立場の違いを理解しているのは、自分よりも寧ろユーリだ。道を妨げたくないというのは気遣いではなく、本心から思ってくれている、ということも本当はわかっている。
だからこそ、話がしたかった。ユーリの口から本音が聞きたくて、それを確認したかったのだ、と改めてフレンは思う。

「そうか…」

繰り返し呟いて空を見上げたフレンの隣で、ユーリも同じように星を眺めていた。

「…わかった。ありがとう、ユーリ」

「またいきなりだな。何に対しての礼だ?ああ、おまえの見回りに付き合ってやったことか?それだったらもういいからさ、そろそろ戻らせてくんねえかな…さすがに眠ぃわ」

ユーリの言葉にフレンは首を振り、笑った。

「悪いけど、もう少し付き合ってもらうよ。さっきの礼は本心を聞かせてくれたことに対して、かな。少しすっきりしたよ、うん」

「はあ。そりゃよかった。…で、これ以上何に付き合わすつもりなんだ」

両膝の間に顔を落としてげんなりとするユーリに毛布を掛け直し、フレンはわざと勢いをつけてユーリの肩を抱き寄せた。ユーリはもう驚きもしない。ゆっくりと顔を上げた先で微笑むフレンを見ると深々と溜め息を吐き、膝を抱え込んで何やら唸っている姿はきっとフレン以外の人間はそう見ることはないだろう。

「もちろん、今日の見回りについての話だよ。まだ何も聞いてないからね、君の意見。それと」

「それと?」

「前に会ってから今まで、どんなことがあったのか。なんでもいいから聞かせて欲しい。面白い話の一つや二つ、あるだろ?君が僕に会いに来る気がないのはよくわかったから、この機会に是非聞いておかないとね。ここには僕と君しかいないし、何も気にしなくていい。夜が明ける前に戻れさえすればいいんだろう?まだ時間はある」

「マジかよ…」

「君の気持ちはとても嬉しいけど、これは今までのツケだと思ってもらいたいな。…さあ、何から話そうか…」


肩を寄せ合い、星空の下でとつとつと語る。はじめはこの街のことや、フレンが受け取った手紙の内容やそれに対しての考えについて―――フレンの質問にユーリが答え、それに頷き、時に首を振り、互いの思いを交換する。そのうち話が互いの近況のこととなり、騎士団とギルド、それぞれの現状を憂いたり喜んだりした。会わない時間が長かったぶん、いざ話し始めれば話題は尽きなかった。

風花・2

一つ一つ、気になっていた場所を見て回る。
徐々に人が増えて来たこの街に足りないものは何か、またその優先順位とは?資源も資金も未だ潤沢とは言えない。不満の全てを一気に解消することは出来ないが、少しずつ前へ進むために今何が出来るのか、何をするべきなのか。
窓から漏れる明かりもまばらな家々の間を抜け、建築資材の積まれた一角を通り過ぎる。徐々に広がっていく開墾の様子を暫し眺め、宿屋や商店の立ち並ぶ地区をぐるりと周り、時折立ち止まって考えこむフレンの横顔を、ユーリは黙って見ていた。



「……やっと戻って来れたか……」

結局、最初にフレンが言った通り街のほぼ全地域を連れ回される羽目になったユーリが傍らの魔導器に手をつき、ぐったりとうなだれながら呟く。

「もう散歩ってレベルじゃねえだろこれ…今何時だ?」

「さあ…。でもまだ月は高いよ、夜明けまではだいぶありそうだ」

「…まさか、まだどっか行くつもりか」

「まだ行ってない場所があるだろう?」

フレンの指差す先を見て、ユーリがいよいよ嫌そうに顔を顰めた。何故ならその場所にあるのは物見櫓で、街外れにぽつりと建つそこに一体何の用があるのかと考えた時、思い付いた答が一つしかなかったからだ。

「あの場所で景色を眺めながら、少し考えをまとめたいんだ。君の意見も聞きたいし」

そう言ってにっこりと笑うフレンとは実に対照的に、ユーリは更に苦虫を噛み潰したよう顔でフレンを見る。やっぱり、と呟く声に不機嫌を隠そうともしないユーリだが、その反応も予想の範囲内だったのかフレンは一向に構う素振りを見せなかった。

「さ、行こう」

「え…あ、おい!?」

突如伸びてきたフレンの手がユーリの掌をしっかりと握り、そのまま力強く手を引いて歩き出す。転びかけたユーリが思わず声を上げるが、フレンは振り向かなかった。痛いほどの力で握られた手を見つめ、足をもつれさせながらユーリは歩く。この見回りを始める時もフレンはユーリの腕を掴んで離さず、今またその時以上の強引さで自分を連れて行こうとするフレンの真意は何なのか。
振りほどこうと思えば出来るはずだ。実際、先程はそうした。だが今はそんな気が起きない。誰かに見られたら気まずいのは、腕を『掴まれて』無理矢理歩かされているように見えたあの時よりもどちらかと言えば手を『繋いで』いる今のような気がするのに、何故――

「はあ…仕方ねえなあ…」

「何が?」

「何でもねーよ。それより、マジでこの上…って、誰かいるぞ?…フレン、もういいだろ…手」

魔導器のあるあたりからこの物見櫓まではそれほど距離がない。考え事をする間に到着した場所で上を見上げ、人影を確認したユーリは視線を戻すとフレンの隣で握られたままの手を無言で指差した。

「ああ、ごめん。大人しくついて来てくれそうになかったから」

そう言って笑うフレンの横で、漸く解放された左手をさすりながら再びユーリは櫓を見上げた。

「で、あれはどうすんだ」

「あれって…。見張りの騎士の事かい?ちょっと待っててくれ、話をしてくる」

そう言ってフレンは梯子を上って行き、てっぺんで何やら話している様子をユーリは傍らの木に寄り掛かってぼんやり眺めていた。寒いし眠たいし、正直なところもう帰って寝てしまいたい。今なら逃げることもできそうだが、何となく後が面倒そうでやめた。
程なくして騎士だけが降りて来て、ユーリの目の前を通り過ぎて行く。甲冑の下から視線を感じたような気もするが、フレンは何を言ったのか。櫓に顔を向ければ、フレンがこちらに背を向けて立っているのが見えた。

(オレが行くまで、ああやって待ってるつもりなんだろうなあ…)

はあ、と息を一つ吐き、ユーリはフレンのもとへと歩を進めた。吐き出した息は白く霞み、ユーリの耳元を流れてゆっくりと暗闇に溶けていった。



地上ではそれほど感じなかった風が、やや強く吹き付けて寒さを強調する。顔に纏わり付く髪を抑えることもせずしゃがみ込むユーリを、隣に腰を下ろしながらフレンが気遣わしげに覗き込んで声を掛けた。

「大丈夫か?さすがに少し冷えるね」

「おま…おまえなあ…!少しじゃねえよ寒いんだよ!!こんなとこいくらもいられねえぞ!?」

「大きな声を出さないでくれ、耳に響く」

「てめ…」

「大丈夫、ちゃんと防寒用にこういうものがあるんだ」

フレンが手に取って見せたのは大判で厚手の毛布だった。ここで見張りをする者のために置いてあるらしかったが、どう見てもそれは一枚しかない。たった一枚の毛布を使って二人で暖を取るにはどうするか…あまり深く考えなくてもわかる。ユーリは自らの膝を抱え込んだまま、じっとりした眼差しをフレンに向けた。

「…一応聞くが、それって普通は一人で使うんだよな?」

「まあ、そういう場合が殆どだろうね。同時に何人もここに立つこともそうないだろうし」

「で、おまえはそれをどうする気だ」

「こうするしかないんじゃないかな」

フレンは毛布を広げると、自分とユーリの身体を包んで端を手繰り寄せた。しかし、肩当てが邪魔をして長さが足りず、前を閉じることができない。するとフレンは肩当てと篭手を外し、それらを背後に置くと改めて毛布を自分達の身体に巻き付けた。今度はなんとか長さも足りそうだが、それでも端同士を合わせるのにはぎりぎり、といったところだ。

「ユーリ」

「…なんだ」

「もっとこっちに寄ってくれないかな」

「……………」

「ユーリ、聞こえてるか?」

「………聞こえてる」

フレンが一連の動作を行っている間、ユーリはひたすらその場でじっとしていた。寒くて動きたくないというのはもちろんだったが、何といっても今の自分達の状況を客観的に見つめるのが辛い。
つまり、『何が嬉しくてこいつと二人っきりでこんなことを』と頭の中でずっと考えていたわけで、隣で自分を見るフレンが恐らく最初からこうするつもりだったのだろうというのも微妙に腹立たしくもあり…。
口を開くのも面倒で黙っていると、不意にフレンが毛布を外して翻した。冷たい風が何倍にも増して感じられ、思わず声が漏れた。

「っ寒…!」

ユーリが顔を上げた直後、視界が何かに覆われて真っ暗になる。驚く間もないまま、続けざまに肩を強く引き寄せられてユーリは櫓の床に後ろ手をついた。

「うわっ!…おいフレン、いい加減にしろよ!」

ユーリが顔を上げると同時に頭から被せられた毛布がばさりとめくれ、すぐ目の前にフレンの顔が現れた。

(ち、近……)

暗闇でもはっきりと、その碧がわかるほど間近に迫った瞳にユーリが怯んだ隙に、フレンはユーリの肩を抱いたまま毛布を強く引いて二人の身体に巻き付けた。更に密着することになった体勢に、せめてもの抵抗なのかユーリはフレンから顔を遠ざけようと必死だ。

「…首、痛くないかい」

「おまえがもう少しあっちに行けば解決することなんだがな」

「これ以上離れたら毛布が足りない。それに、これなら暖かいだろ?」

「これ以上も何もくっつきすぎだろ!?身動き取れねえじゃねーか!!」

「こんなところで何をする気か知らないけど、動く必要なんかないだろう。座って話がしたいだけなのに」

「そうじゃなくて…!!…はぁ…もういいから、せめて腕どけろ」

居心地悪そうにもぞもぞと身体を揺するユーリを横目に、フレンは小さく笑う。腕を離すつもりはないが、少しだけ力を緩めた。引き寄せられてやや不自然だった体勢が落ち着かなかったのだろう、その場で座り直したユーリだったが特にそれ以上は動きがなく、毛布に顔を半分埋めてむっつりと眼前の景色を眺めていた。


―――――
続く

風花・1

ED後・互いの距離感についてあれこれな二人のお話。どちらかと言うとフレン寄りの視点です。




訪問者は、いつも突然やってくる。
約束が欲しいと思わなくもないが、最近ではあまり気にならなくなっていた。彼を縛ることはできない。自分もまた、常に一処に留まっているというわけでもない。拠点があってもそこにいるとは限らない、それはお互いがそうだった。
頼りない約束を心待ちにするのは不毛だ。それならば、『そのうち会えるだろう』程度に考えていたほうがいい。そのほうが、偶然会えた時の喜びも増すというものだ。

もっとも、こんなふうに思えるようになったのはつい最近のこと、なのだが。




「ふう…」

書類を繰る指を止め、フレンは軽く息をついた。
ここ、オルニオンの地を訪れるのも何度目のことだろう。定期的に街の様子を見に来ているが、その度に整っていく町並みや活気づく人々を見るのはとても嬉しかった。世間ではこの街がここまで発展したのはフレンのおかげだと言う者もいるが、そうではないことは誰よりもフレン自身がよく理解している。本当のことを言いたくても言えないので、忌憚のない褒め言葉にもいつも曖昧に笑い返すことしかできなかった。もし本当のことを言ったら、次に会った時に『彼』がどれだけ不機嫌そうに自分を見ることか。想像はあまりに容易で、フレンは頭に思い描いたその顔に思わず苦笑した。
 
天井を仰ぎ、目を閉じて伸びをする。
普段、執務をしている城に比べて薄暗い部屋の中で、長時間細かい文字を追っていたのでさすがに目が疲れた。今は城の自室にも照光魔導器はないが、それでもここよりは明かりの数が多い。もう少し明るければと思うのは正直な気持ちだが、贅沢は言っていられない。今までが恵まれていたのだと思うと同時に、貧しかった頃を思い出せば比べようもなく生活は楽になっている。そもそも自分達が暮らしていた下町には魔導器がなかったし、それが当然だと思っていた。

「どっちにしても、慣れの問題なんだろうけどな…」

天井を見つめたまま独りごちて再び息を吐く。そうして暫しの間、薄暗い部屋の中でぼんやりと木目を数えていた。だらしない、と叱る者は誰もいない。ひとしきり寛いで、フレンは再び書類の束に目を落とした。
 
書類の様式は一つではなく、内容は様々だった。駐屯している騎士の勤務記録に収支報告、住民から寄せられた要望や苦情。騎士団の関係者が作成したものも、そうでないものも全てまとめて見せてくれ、とフレンが言った時、管理担当の騎士は複雑な顔をした。

『騎士団長閣下が目を通す必要のないものも多いかと存じますが…』

構わないからと言うと、騎士は渋々といった様子で書類を取りに行った。戻って来た時も相変わらず表情は冴えない。
 
(見せたくないのはこの街の現状か、それとも自分達の至らなさか。それとも…)

フレンの頭の中であまりよくない考えが巡り、つい目つきが厳しくなる。しかし、それに気付いた騎士が書類を手渡しながら申し訳なさそうにフレンに言った言葉は意外なものだった。

『とんでもない量でしょう?捨てるに捨てられなくて色々と取っておいたら、この有り様でして』

改めて見ると確かに相当量の紙の山だった。随分かさばっているな、と思って適当に数枚をめくってみると、明らかに子供の字で書かれた手紙らしきものが目に入った。よく見れば上から半分ほどは正式な書類というわけではなさそうで、紙の質も大きさもばらばらだ。折りたたんであったものを重ねているからこの厚みか、と納得はしたが、それにしても多い。

『良い話ばかりではありません。ですが、帝都に比べて我々と住民の距離は近い。そのため、直接そのような手紙を渡されることが多いのです』

そう話す騎士の表情はどことなく嬉しそうで、フレンは先程までの考えを頭の中から追い出した。
騎士は単純に、量のことだけを言っているのだろう。自分に知られたくないことがあるとか、そういうことではないらしい。確かに全てに目を通すのは骨が折れそうだが、むしろこういったことこそフレンが最も知りたいと思っていることだ。城でも同様のことは言っているが、果たして全てが自分の元に届いているのかと考えると疑問が残ると言わざるを得ない。かと言ってそれを担当の者に伝えるのもどうか。部下を信じ切れない自分が情けなくもあり、現状を変えていくのは容易ではないと歯がゆい思いをすることもある。だからせめて、まだ出来たばかりのこの新しい街のことは少しでも多く知っておきたかった。

資料を持ってくるよう頼んだ騎士が渋い顔をした時、フレンは『ここもまだまだだな』と思った。だが、どうやらその考えは捨ててしまってもよさそうだ。少なくとも、彼のような者が住民との橋渡しをしてくれているのなら大丈夫だ、と。受け取った書類に目を通すのは確かに大変だったが、心は満たされていた。ここで知り得た声は、少なからず帝都や他の街にも当てはまるだろう。

(…来てよかった。ここには、僕が知らなければならなかったことがたくさんある)
 
ひと通り全てを読み、気付いたことを簡単にまとめてフレンは再び伸びをした。大きく吸い込んだ空気が思いの外冷たくて、鼻の奥がほんの少しだけ痛んだ。
仕事を始めたのは軽めの夕食を終えた後だったが、ふと時計を見れば既に時刻は真夜中近い。道理で冷えるはずだ、と思いながら立ち上がると造り付けの小さな暖炉に薪をくべ、火をつけた。
オルニオンは比較的温暖な気候で帝都からの移住を勧めるのに何の問題もないと思っているが、両側を山に挟まれた盆地であるからか時折強い風が吹き降ろすことがあり、そんな日はぐっと気温が下がる。積もるほどではないが雪も降るし、そういえば昼間に小雪がちらついていたことを思い出していた。

「雪…また降ってるのかな」

そう呟いて窓を見るが外は暗く、雪が降っているかどうかはわからない。このまま寝てしまうか、それとも少し街の様子を見て来ようか。暫しの逡巡の後、フレンは後者を選択した。住人の『声』を知った今、今までとは違うものが見えるかもしれない、と思ったのだ。日中は何かと用事もあるし、外を歩いていると声を掛けられることが多くて実はゆっくりと辺りの様子を見ることができていない。改めてそういう日を設けようと思いつつ、フレンの足は既にドアの方へと向いていた。


外は思った以上の寒さだった。
雪は降っていなかったが、吹く風の冷たさが頬に刺さる。部屋に篭りきりでややぼやけた頭をすっきりさせるのに丁度いいと強がってみても身体が小さく震えて、フレンは苦笑した。
さて、どこから見て来ようか…と視線を巡らせて、目についたものがあった。街の中央にある結界魔導器だ。もう役目を果たさないそれは、かつて自分達がこの街を建設する以前にもここに人々の営みがあったことを示していた。紆余曲折を経て今では街のシンボルになっていて、ここでこの魔導器を見る度に様々なことを思い出さずにはいられない。そばまで近づいて見上げ、そのまま静かに目を閉じれば、瞼の裏に皆で街を創りあげて行った時の様子が浮かんだ。

「みんなで…いや、僕は…」

自分は何もしていない。
しかしそう言えば『彼』は笑いながら決まってこう言った。そんなことはない、もっと胸を張れーーと。その言葉を、何度そのまま返したことだろう。そしてその度、最初に自分が言った言葉を『彼』が繰り返す。堂々巡りのやり取りを途中で終わらせてしまうのはいつだってフレンではなく、言いたいことを最後まで言えたことはなかった。

「…ユーリ」

久しく会っていない友の名を呟いて視線を落とす。
最後に会ったのはいつだったか…随分前のような気もするし、そうでもないような気もする。人づてに名前を耳にすることはあったが、あの旅以降ユーリと会ったのはほんの数回だった。偶然の出会いばかりでゆっくり話す暇もなく、改めて約束をしようとしてもはぐらかされた。ギルドという生き方を選んだユーリを信じてはいても、それでも不安や心配は拭い切れない。初めのうちは特にそうだった。最近になってやっと、ユーリが今どこで何をしているのかと考えることが少なくなったぐらいだ。
ユーリが…というより、彼のギルドの評判が耳に届けば安心する。もしそれが悪い方向の話であるなら、その時こそ彼に会いに行くべきなのだろうが。

「そんなことにはならないと思っているよ。…そうだろう、ユーリ」

やや俯き気味で呟いた時、背後の気配に気付いてフレンは顔を上げた。振り返らず、真っ直ぐ目の前の魔導器を見つめたままの口元が緩み、笑みが溢れる。

「…ユーリ」

もう一度その名前を口にし、フレンはゆっくりと振り返った。遮るもののほとんどない視界に映るのは満点の星を散りばめた漆黒の夜空。その星空を背にし、少し距離をおいて立つ人影の表情ははっきりとは見えない。しかしフレンにはユーリがどんな顔をしているのかわかってしまう。気配の中にほんの僅かな緊張を残し、小さくユーリが息を吐く。きっと、眉間に皺を寄せ、咎めるような眼差しで見ているに違いない。
何故なら―――

「こ…」
「こんな時間にどうした?ユーリ」

「…おまえな…」

今度こそ大きな溜め息を吐くとユーリが大股でフレンの前へと歩み寄る。その表情はまさしくフレンが想像していた通りで、更に付け加えるとややふて腐れ気味だ、先に声を掛けようとして邪魔されたことに対してなのだろう。

「それはオレの台詞だ。何やってんだ、一人で」

「ユーリこそ、いつここへ?来ているなんて知らなかった。顔ぐらい見せに来てくれてもいいんじゃないか?」

「今回は個人的な用なんだよ。こっち着いた時はもう日も暮れかかって腹も減ってたし、そもそもオレもおまえがいるって知らなかったしな」

「個人的な…」

「そこまで詮索される筋合いはねえぞ」

「…そうだね。それで、君は何をしにこんな時間にここにいるんだい?」

「単なる酔い覚ましだよ、久しぶりに会う相手だったんでつい飲み過ぎちまってさ。それで散歩でもしようかと思っ…なんだ、その顔…」

「僕の顔がどうかしたかい」

「……」

久しぶりに会うのは自分も同じだ。それに、今まで偶然どこかで出会った時にゆっくり酒を酌み交わしたことはない。今日ここにいることを知らなかったのはお互い様で、ユーリも自分もそれぞれ別に目的があってのことで、ユーリには先約があって…

わかっていても、少し寂しかった。それが顔に出てしまったのかもしれない。黙ってこちらを見ているユーリに、自分とは約束すらしないのに…と言いかけ、なんとかその言葉を飲み込む。
わかっている。ユーリはそういう性格だ。
個人的な用事とはなんなのだろう。何か頼みごとでもされたのだろうか。わざわざオルニオンまでその相手に会いに来て、そのついでにこんな夜更けまで飲んでいたなんて、ユーリにしては珍しいような気がする。そんなに親しい知り合いがこの街にいただろうか…。
考えれば考えるほど『用事』とやらが気になって来たが、詮索するなと釘を刺された手前何も聞けない。

「おい…」

黙り込む自分に向けられたユーリの声が苛立ちを含むのに気付き、フレンはひとまず先ほどまでの考えを忘れることにした。何より、せっかくこうして会えたのだ。ならもっと時間は有効に使いたい。

「ごめん、なんでもないんだ。会えて嬉しいよ、ユーリ」

「適当に散歩でもしてから寝るかと思って外に出たら、おまえがここにいるのが見えたんだよ。…こんな時間に一人で何やってんのかと思って様子見に来ただけだ」

最初に言いかけたのを遮られたのがよほどすっきりしなかったのか、わざわざ説明するユーリの仏頂面にフレンはつい吹き出してしまう。ユーリがますます不機嫌そうに唇を尖らせるとフレンは顎に手を当てて何かを考えるような素振りを見せたが、すぐに顔を上げた。

「…いやな顔だな」

「随分な言い草だね」

「他に表現のしようがないんだからしょうがねえだろ。…何企んでる?」

「企んでるなんて大げさな。ただ、そんなに僕のことを心配してくれるのなら見回りのお供をお願いしようかなと思って」

口を開きかけたユーリの手を素早く掴むとフレンが笑いながら言った。

「一人なのが心配なんだろう?なら一緒に行こう。君がいてくれれば心強いのは確かだしね」

「は?冗談じゃねえ。様子見に来ただけだっつったろ。なんでおまえの仕事に付き合わされなきゃならねえんだ…離せよ」

掴まれた腕を振り払おうとしたユーリだったが、一瞬驚きの表情を見せ半歩下がった。腕に感じる力が僅かに増し、思わずフレンを見返してしまう。フレンは柔らかな笑みを浮かべているが、何故かユーリは言葉に詰まって動けなかった。

「な…んだよ」

「仕事じゃないよ、寝る前に外の空気を吸いたくて。ついでに辺りを見て回ろうかと思ってたんだ。君も散歩のつもりで出て来たんだろ?丁度いいじゃないか」

「いや、酔いなら覚めた。冷え込んできたし、宿に戻って寝…」

「いいから。ほらユーリ、行こう」

「ちょ、おい…!!」

ぐい、と腕を引かれてたたらを踏むユーリを少しだけ振り返ったフレンだったが、すぐに前を向いてそのまま歩き出した。背後でユーリが何やらぶつぶつ言っているが、聞こえないフリをしてそのまま歩を進める。が、いくらもいかないうちにユーリが踏み止まって無言の抵抗をしたので仕方なしに振り返ると、ユーリは大げさに息を吐いて言った。

「…付き合ってやるから、手ぇ離せ」

「離したら逃げられそうだから」

「あのな…いくら夜中でも誰かに見られる可能性がないわけじゃないだろ!そんなのはごめんだ、何言われるかわかったもんじゃねえ」

「…例えば?」

「おまえがオレの腕引っ張って歩いてたら、オレが何かやったみたいじゃねえか。説明すんのが面倒くせぇ」

フレンがユーリの腕から手を離した。というより、ユーリが再び腕を振り払おうとしてフレンも今度はそれに逆らわなかった、といった感じだった。ユーリの正面に向き直ったフレンが首を傾げる。

「最初から本当のことを言えばいいだけじゃないか」

「だからそれがめんどくさいだって…もういいからさっさと行こうぜ」

そう言ってユーリが早足でフレンの横を通り過ぎて行く。振り返りもせずさっさと先をゆくユーリの後を追って、フレンも歩き始めた。
何はともあれ、ユーリを道連れにするという『企み』はひとまず成功した。久しぶりの再会に積もる話があるのは当然なのに、なかなか簡単にはいかなくなったな、とフレンは思う。現在の互いの立ち位置のせいなのか、ユーリが自分と積極的に関わろうとしていないとは感じていた。仕方がないと理解しているつもりでも、やはり少し寂しい。
だから引き留めた。
今を逃したら、今度はいつ会えるかわからない。人の目は宵闇が隠してくれる。またとない機会だと思った。

何を話そうか。
何を聞こうか。

街の様子を見るという当初の目的も忘れてはいない。それもユーリがいれば、きっと自分には気付かないものに気付かせてくれるだろう。

「どこから見て行こうか…」

「決めてないのか?」

独り言のつもりの呟きはユーリにも聞こえたようで、足を止めて振り向いたユーリはやや呆れ気味だ。

「特にここ、っていう場所があるわけじゃないんだ。とりあえず一通り全て、かな」

「マジで?朝までかかりそうだな…オレ、明日は早いんだけど」

「僕だってそうさ。外で夜を明かすつもりはないし、君が文句を言わずについて来てくれたら大丈夫なんじゃないかな」

「無理矢理付き合わせといてそれかよ!?そもそも、仕事でもないならなんだって見回りなんか…」

「歩きながら説明するよ。じゃあ…まずは最近住人が増えてきた地区に行こう」

「はいはい…もう好きにしてくれ」

投げやりに言いながらも大人しく後について来るユーリに笑いかけ、フレンは街の一角へと向かうことにした。


―――――
続く
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