「随分とおとなしいね?」
フレンがわざとそんなことを言うと、ユーリは毛布の中で更に姿勢を崩して深々とため息を吐き出した。
「話があんなら聞いてやるから、さっさとしてくれ。何のためにオレを付き合わせた?何か言いたいことがあるんじゃねえのか」
「そうだね…」
言いたいこと。
それなら山のようにある。確かに、そのためにここまでユーリを引っ張って来たようなものだった。
黙ってフレンの言葉を待つユーリの横顔は依然として不機嫌そうなままで、その理由がフレンにはなんとなくわかる。寒空の下を連れ回され、今このように『誰かに見られたら』多少気まずい思いをするような状況だから…というだけではない、と。
「…ユーリ」
「なんだ」
「僕に対して、余計な気を回すのはやめてくれ」
静かに、だがはっきりとフレンが言う。ユーリは黙ったまま空を一度見上げ、瞳を閉じ、深呼吸をするかのようにゆっくりと息を吸い込み――
「…そうか」
同じだけ時間を掛けて吐ききった後、一言だけ、呟いた。
ふわりと流れる白い吐息と共に消えゆきそうな呟きすら聞き漏らしようのない距離にいて、触れる身体の温もりも確かに感じられるのに、自分達の間には見えない壁がある…。その壁はいつからかユーリが作り、壊そうとする度に逃げられる。フレンはそう思っていた。
久しぶりに会えたことに喜ぶ素振りはこれっぽっちも見せず、離れて行こうとするユーリに苛立ち、寂しい。何故そんな態度なのか、わからなくはない。だが納得しきれず、いつか伝えなければとずっと考えていた。今を逃したらまた当分その機会がない気がして、フレンは敢えてユーリを見ないままで話を続けた。
「自分の立場をきちんと理解して、公私のけじめをつけることは必要だ。でも君の態度は…それだけじゃないだろう」
「………」
「僕にとって、君が大切な友人であることは何一つ変わらない。変わってないんだ。立場も何も関係ないところで気を使われるのは…正直、つらい」
「今がそうだって言うのか?」
「そうだ」
きっぱりと言い切った強気な口調とは裏腹に、フレンはそっと瞳を伏せた。
「…僕は君に、こんなことを言わなきゃならないのがとても……嫌だ」
「ふうん…」
「…気のない返事だな」
「そりゃまあな。くだらないこと言ってんな、ぐらいにしか思ってねえから」
「くだらない…」
「オレはおまえに気を使ってるつもりはないぜ?別に避けてるわけでもない。用があれば会いに行くし、なけりゃ行かねえ。それだけだろうが」
「それは…そうだけど」
「それに…」
言葉を切って黙るユーリを見ると、薄紫の瞳が真っすぐにフレンを捉らえていた。
「……っ」
思いもよらず真剣な眼差しに、フレンが息を呑む。直後にユーリの目元がふっと緩み、いつもの挑戦的で人を食ったような笑みに変わった。見慣れた筈の表情にどこか戸惑いを覚えながらも、フレンはユーリを見つめて次の言葉を待った。
僅かな静寂がとても長く感じられる中、一瞬強い風が吹き抜けた。乱された長い髪を鬱陶しそうに払い、ユーリが首を竦める。いつしかユーリの肩を滑り落ち、右腕に触れる程度になっていたフレンの指先がぴくりと動いた。寒いのだろうともう一度肩を抱こうとしたら、ユーリに手首を掴まれそのまま床に下ろされてしまいフレンは苦笑する。いい加減にしろ、とでも言いたげにじろりと見上げるユーリの表情の幼さにまた戸惑い、フレンはそっと自らの胸を押さえた。
(…なんだろう、この気持ちは…どうしてこんなに心がざわつくんだ…?)
「…フレン?」
フレンの様子に何か感じたのか、ユーリが声を落として名前を呼ぶ。優しく耳に沁み入る声にすら落ち着かなくなる自分自身に更に困惑しながらも、フレンは努めて平静を装うとユーリに笑いかけた。
「何だい?」
「いや、何ってそりゃオレのセリフだろ。どうかしたか?…つかなんで笑ってんだ」
「なんでも…。それより、さっき言いかけた続きはまだかな。ずっと待ってるんだよ」
「さっき?…ああ…さっき、な…」
ふう、と一呼吸置いてフレンを見たユーリは、にやりと口角を上げた。
「それに、オレは常日頃おまえに会いたいと思って生きてるわけじゃねえからなあ」
(あれ…?なんだかさっきと感じが…)
真剣な眼差しで自分を見つめ、何かを言おうとしていたユーリ。『いつもの』表情に戻ってもフレンはその笑みに惑わされ、心の奥底を波立たせた先程とは違う。今、隣で意地悪く笑うユーリからは何かを感じることはなく、代わりにフレンはどうにも喩えようのない敗北感を味わっていた。強引にここまでの状況を作り、距離の近さにいちいち不満気な顔をするユーリの態度を楽しんですらいたのに、今はどうか。現状に慣れてしまったのかユーリはすっかり落ち着いていて、フレンは自分の余裕の無さがどこから来るものかわからずに居心地が悪い。
(…なんだって言うんだ)
むっつりと押し黙るフレンを、ユーリはにやにやしながら見ている。
「…その言い方だと、僕がしょっちゅう君に会いたがってるみたいじゃないか」
「その通りだろ?次はいつ会えるーだの、来るなら連絡くれーだの、たまに会うとそればっかじゃねえか。前からそんなだったか?最近酷くなった気がするのはオレだけか」
「たまにしか会えないから、その時間を大切にしたいんだよ。なのに君は…」
「なんでかわかるか」
「え?な、なに?何が」
「会わなくてもわかるからだよ」
唐突な問いかけに驚いて目を瞬かせるフレンに構うことなく、ユーリが続けた。視線を空に向け、独り言のように、自分で自分の言葉を確認するように静かに語るユーリからフレンは目を離せないでいた。
「オレがどこで何してようと、おまえには関係無い。誤解のないよう言っとくが、関係無いってのはおまえのやろうとしてることに何の影響もないって意味でだ。オレがギルドで依頼されて人捜ししたり失せ物探ししたり、どっかの町で井戸掘ったりして、それでおまえの何かが変わるわけじゃねえよな」
「…?すまない、言っている意味がよくわからないんだけど…」
「まあ聞けよ。で、おまえのほうはどうかって話だ」
「僕?」
「そう。騎士団長として、おまえが何かすればそれはすぐにこっちに伝わってくる。喜べよ、今んとこそんなに悪い話は聞いたことねえから。だからオレはおまえに会う必要はねえし、なんの心配もしてない。頑張ってんなとは思うが、それだけだ。おまえのほうにオレの話なんか伝わんねえだろうけど、そりゃ当然だろ?新興ギルドのメンバーが何してるかなんて、いちいち報告する奴はいない。…それが何か問題でない限りは、な」
そこまで言うとユーリは両手を上げて伸びをし、はだけた毛布を手繰り寄せて欠伸をした。涙の滲む瞳でぼんやりと眼下に広がる草原を眺めるユーリの姿を見つめながら、フレンは複雑な思いだった。
便りがないのは元気な証拠…とでも言いたいのか。確かに、ユーリの行動を把握する術を自分は持たないし、それでも何かあれば知らせてくれそうな人物に心当たりもある。ユーリは自分のことを信頼しているからこそ『会わなくてもいい』と言い、話すこともないと言う。
しかし、割り切れなかった。常々抱えていた思いを今日は全て吐き出すつもりでいたが、いざとなるとうまく伝えられないことばかりで困る。ユーリの態度に思いもよらないところで動揺する自分のこともよくわからない。ただ一つ、ユーリからこちらに関わって来ることが以前に比べ格段に減ったことだけが、フレンの胸の中に時折小さな痛みを生み出すのだ。
「なんだか…寂しいね」
「何が」
「君が言ってるのは、会う必要があるかどうかについてだろう?…確かに、言ってることはわかる。それでも、時には会いたいと思うし会えば話を聞きたいよ。そういうものだろう?君にはそういうのが全くないのか?随分と友達がいのない話だな、と思ってさ」
「いつまでもそういうこと言ってねえで、他に友達作れって言ってんだよオレは。オレが他のやつと飲んでたからって拗ねてねえで、そういう相手を見つけたらどうなんだよ」
「…やっぱりわかってるんじゃないか」
ユーリを引き留めて付き合わせた理由は何もそれだけではないが、大元の原因はそこにあるようなものだった。きっと気付いているだろうと思っていたから図星を指されて恥ずかしいとも思わないが、あまり気分がいいものでもない。
「だったらどうして…」
「おまえがオレとつるんでるの見て、よく思わないやつもいるんだって自覚しろ。それがおまえの道の妨げになるのが面倒だと思ってるだけなんだよ、オレは…。あーあ、こんなことまで言うつもりなかったんだがなあ…眠くて頭が働かねえや」
「そういうところ、僕よりも君のほうが気にしてるよね。君こそ、自覚があるなら素行を改めたらいいんじゃないのか?それで堂々と城に来ればいい」
「なんでそうなるんだよ…それに今さら生き方を変えるつもりもねえし」
「…そうだろうね」
「そうだ」
そう、わかっていた筈だった。避けられているのではない。気を遣うというのとも違う。立場の違いを理解しているのは、自分よりも寧ろユーリだ。道を妨げたくないというのは気遣いではなく、本心から思ってくれている、ということも本当はわかっている。
だからこそ、話がしたかった。ユーリの口から本音が聞きたくて、それを確認したかったのだ、と改めてフレンは思う。
「そうか…」
繰り返し呟いて空を見上げたフレンの隣で、ユーリも同じように星を眺めていた。
「…わかった。ありがとう、ユーリ」
「またいきなりだな。何に対しての礼だ?ああ、おまえの見回りに付き合ってやったことか?それだったらもういいからさ、そろそろ戻らせてくんねえかな…さすがに眠ぃわ」
ユーリの言葉にフレンは首を振り、笑った。
「悪いけど、もう少し付き合ってもらうよ。さっきの礼は本心を聞かせてくれたことに対して、かな。少しすっきりしたよ、うん」
「はあ。そりゃよかった。…で、これ以上何に付き合わすつもりなんだ」
両膝の間に顔を落としてげんなりとするユーリに毛布を掛け直し、フレンはわざと勢いをつけてユーリの肩を抱き寄せた。ユーリはもう驚きもしない。ゆっくりと顔を上げた先で微笑むフレンを見ると深々と溜め息を吐き、膝を抱え込んで何やら唸っている姿はきっとフレン以外の人間はそう見ることはないだろう。
「もちろん、今日の見回りについての話だよ。まだ何も聞いてないからね、君の意見。それと」
「それと?」
「前に会ってから今まで、どんなことがあったのか。なんでもいいから聞かせて欲しい。面白い話の一つや二つ、あるだろ?君が僕に会いに来る気がないのはよくわかったから、この機会に是非聞いておかないとね。ここには僕と君しかいないし、何も気にしなくていい。夜が明ける前に戻れさえすればいいんだろう?まだ時間はある」
「マジかよ…」
「君の気持ちはとても嬉しいけど、これは今までのツケだと思ってもらいたいな。…さあ、何から話そうか…」
肩を寄せ合い、星空の下でとつとつと語る。はじめはこの街のことや、フレンが受け取った手紙の内容やそれに対しての考えについて―――フレンの質問にユーリが答え、それに頷き、時に首を振り、互いの思いを交換する。そのうち話が互いの近況のこととなり、騎士団とギルド、それぞれの現状を憂いたり喜んだりした。会わない時間が長かったぶん、いざ話し始めれば話題は尽きなかった。