続きです。




「やっぱ胸だと思うんだよな」

翌朝、顔を合わせるなりそう言ったユーリにジュディスはやや面食らったものの、すぐに普段通りの冷静さを取り戻すと笑顔で問い返した。

「……何の話かしら」

「魅力がどうのって話だよ…自分じゃわかんねえし、直接聞いてみたんだよな」

「…まさか、彼がそう言ったの?」

さすがにそんな答えが返ってきたのだとすれば、フレンのユーリに対する愛情を疑うところだ。ジュディスの問いにユーリが首を振ったので安心したのも束の間、続くユーリの話にまたもジュディスは眉を顰めることとなった。

「直接は言われねえけど、そんな気がする」

「なぜ?」

「いや…まあ…思い返してみると、あいつジュディの胸をよく見てるなー、とか」

「………」

それは意識的に『見ている』のではなくて、フレンの性格的に気にしないようにしようとすればするほど、逆に視界に入れてしまっているだけなのではないか。

そう思ったがとりあえず黙っておいた。そのほうが面白い話になりそうだと思ったし、邪な気持ちはないにしても、まあ見ていることに変わりはない。

「それになんか、触るのも好き…なんじゃないか、と…」

さすがに言いにくそうに呟いてユーリはジュディスから目を逸らし、俯いた。

昨晩、何だかんだでしっかりやることはやったらしい。ユーリはその最中フレンの挙動を観察していたらしく、ユーリの言うところによれば『やたら』胸を触られた、ということのようなのだが。

「…………そう」

あなたが気にしているからそんなふうに思うだけなのではないの?

そう思ったが、やはり黙っておいた。ここに至ると最早ユーリの話が面白くて仕方なくて、ジュディスは笑いを堪えるのに必死だった。…多少フレンが気の毒ではあったが。
まさか愛し合っている最中、冷静にそんな分析をされていたとは思っていないだろう。

「確かに魅力の一つだと思うわ、あなたの胸。形は綺麗だし、とても柔らかそう。つい目が行ってしまうのも仕方ないわね」

ジュディスの言葉にユーリが顔を上げた。

「そ…そうか?ジュディのほうが大きいし、男はそういうのが好きなんじゃねえの」

「あら、そうとは限らないわよ?…それとも、やっぱり彼がそう言ったのかしら」

微かに頬を赤らめながら、『だからそういうわけじゃ』と口篭るユーリの様子から察するに、どうもユーリは自分の胸の大きさにコンプレックスを抱いているようだった。かと言って、別にユーリの胸が小さい訳ではない。むしろ大きい部類だろう。

で、あるから、ユーリの胸に視線を送る男は少なくなかった。
立ち寄った街や店で、大胆に開いた胸元をいやらしい目つきで見る輩のなんと多いことか。気付いていないのは本人ばかりで、傍に立つフレンの心中はいかばかりかと考えずにはいられない。

ジュディスがユーリに『自分自身の魅力を理解しろ』、と言っているのは、そういった男共から身を守り、余計なトラブルを招かないため…といった意味合いのほうで、だった。
肌の露出から言ったらジュディスのほうが高いし、声を掛けてくる男も決して少なくない。だが、ジュディスはその場合の相手のあしらいや扱い方にある程度慣れている。大抵は適当にやり過ごし、場合によっては叩きのめして黙らせて来た。
自分がどう見られているか理解しているからこそ、その状況を楽しんでいることさえあったぐらいだ。

でも、ユーリは違う。
自分の魅力を理解していないから無防備な部分があり、フレンがいくら『上着の前を閉めろ』と言っても、それが何故なのか、本当のところをわかっていないのだ。
ギルドを始めてから人付き合いの幅が更に広がり、ダングレストへの出入りも増えた。新興ギルドということもあり、ガラの悪い輩に絡まれる事も増えた。自衛が出来ない訳ではが、ユーリはジュディスのと違って『男の扱い』が上手いとは言い難い。

いつか危険な目にあわないとも限らない、と思うからこそ、フレンもジュディスもユーリが心配なのだ。
二人がユーリを心配する理由はユーリ本人に正しく伝わっていないようだが、じゃあストレートに説明したところで素直に聞いてもらえるかどうか、というあたりは微妙だ。結局、フレンは無駄に神経を擦り減らす日々で、ジュディスはその様子を見るに見かねて…というよりは単に見ていてもどかしいと言うか、鬱陶しいと言うか、そういう意味もあってユーリに『自身の魅力を理解しろ』と言ってきたつもりだった。

(…そんなに回りくどかったかしら)

時間があれば、どこがどうしてそうなった、とじっくり聞いてみたいところだったがそうも言っていられない。それより、ジュディスとしては現状の成り行きに俄然興味がある。良くも悪くも、恋人の目を気にするユーリを見るのは初めてだ。

「それで、あなたはどうしたいの?」

「どう、って言われても」

「要するに、大好きな彼が他の女性の胸に目を奪われたりしないようにすればいいのね?」

「…は?や、そういうことじゃ」

「そろそろ宿を出なければいけないわね…。あまり時間もないし、とりあえずこういうのはどうかしら」

そう言って悪戯っぽく笑ったジュディスの提案を、普段のユーリなら確実に拒否していただろう。




「二人とも、遅かった…ね……!?!?」

既に支度を整え、宿の入り口でユーリとジュディスを待っていた仲間達は、やっと現れた二人の姿を見るや驚きのあまり声を上げずにはいられなかった。直後、皆が『一体なんでまた…』と交互に二人を見比べる中、ただ一人フレンだけがユーリを凝視したまま固まっていた。

見慣れた姿のはずだ。初めて見る服ではない。

だが、着ている相手が完全に入れ替わっている。

つまり、ジュディスはユーリが常日頃着ている全身黒一色の服を着てにこにこといつもの笑みを浮かべ、その隣でジュディスの服を着たユーリが前のほうを気にして裾を押さえてみたり、胸元に手をやってみたりしながら、落ち着きのない様子で立っていた。

「…なん、だよ…」

皆の視線に気付き、気まずそうに一歩引いた姿はいつものユーリからは想像できないほど可愛らしい。
フレンは耳まで赤くなりながらもユーリから目を逸らせずにいるようで、この時点で『恋人の気を引く』という意味ではある程度成功していると言える。

ユーリ自身気にしていないつもりだったが、やはり恋人が他の女性に目を惹かれている(という訳ではないのだが)のは面白くない、と思った。
だからこそ、普段ならまともにとりあうことすらないであろうジュディスの提案に乗ったのだ。

が、乗ったはいいが落ち着かないことこの上ない。
胸元はいつもの自分だって開けているが、そもそも『見せ付ける』為だと思うと変に意識してしまう。見えている肌の部分の度合いだけなら普段とそれほど変わらない筈なのに、やけに気になる。
少し余裕のある胸回りが悔しいと思う事も、なんだか恥ずかしかった。

「あ…あの、ユーリ?その格好は一体…」

「…見りゃわかんだろ。ちょっとした気分転換だよ」

「何の気分転換だ!?ただでさえ君は目立つのに、そんな姿で出歩かれたら僕は……!!」

「目立つって何が」

「そんな姿、とはどういう意味かしら?」

「あ、いや…その」

二人から同時に突っ込まれ、言葉に詰まったフレンがあさっての方向を向いた。

「ジュディは確かに人目を引くかもしれねーけど、普段のオレは別にそういうんじゃないだろ」

「そんな事な…大体、今は『普段の』姿じゃないじゃないか!!一体、なんのつもりでそんな格好をしてるんだ!?」

「…あなた、普段私の事をどんなふうに思っているの?」

ジュディスの声は冷ややかだ。

「あ、いやだから、その」

またも言葉に詰まったフレンに、ジュディスのみならず女性陣はやや呆れ気味だ。冷たい視線が集中して小さくなる様子に小さく息を吐きつつ、ジュディスが『理由』を説明した。

「たまにはこういうのも面白いじゃない?女の子全員で取り替えっこもよかったけど、リタやエステルとはサイズが合いそうにないもの。だからユーリと。ね?ユーリ」

「…ま、そうだな」

そう言って頷くユーリを、フレンはひたすら疑わしげな眼差しで見つめている。
そんなフレンにジュディスが言った。

「あなたが私をどう思っていたのかは後でゆっくり聞かせてもらうとして、また着替えるのはとても面倒だわ。今日は一日楽しみましょう?…お互いに」

「……え?あ、ちょっ…!」

意味ありげな含み笑いと最後の一言に何かを感じ取ったのか、フレンがジュディスを引き留めようと腕を伸ばす。
だがジュディスはそんなフレンをするりとかわし、更にユーリもその横をさっさと通り過ぎてしまった。

「…おたくも大変ね」

腕を上げたまま突っ立っているフレンの肩を、すれ違いざまに軽く叩いてレイヴンが言う。同情と哀れみを含んだその言葉は、フレンの眉間にますます深い皺を刻ませるだけだった。




「断空…」
「鳳凰天駆!!」

ユーリが空中の魔物に攻撃を仕掛けようとした瞬間、フレンの技がその魔物を叩き落とす。黒焦げになった鳥型の魔物を見て、ユーリが不機嫌そうに眉を寄せた。
が、すぐさま次の獲物に狙いを定め…

「哭空!れっ」
「虎牙連斬!!」

ユーリが打ち上げた魔物を、またしてもフレンが叩き落とした。回転蹴りを入れるために上げかけた足が行き場を失い、中途半端な体勢のまま着地したユーリがフレンを睨みつける。

「フレン!どういうつもりだ!?」

「君こそどういうつもりだ!!なんだってそんな技ばかり」

「ちょっとお二人さん!?まだ残ってるわよ!!」

「おわ…!」

レイヴンの放った矢が二人の間を摺り抜け、風を切る音が耳に響いた。振り向いた先には先程の矢を翼に受けながらも戦意を喪失していない魔物が一匹、こちらに向かって来ようとしている。

「あ、ユーリ!!」

(今度こそ…!)

魔物目掛け、勢いよく地を蹴ってユーリが駆け出した。
魔物との距離を詰め、技を繰り出す体勢を整える。フレンは追っては来ていないようだ。

ところが。

「爪竜連…」
「ディバインストリーク!!」

「んな……」

ユーリの攻撃は三たび中断させられ、光の帯が魔物を飲み込んだ。
光が消えた後には何も残ってはおらず、振り返ったユーリが見たのは深々とため息を吐いて剣を納めるフレンの姿だった。その様子がまた腹立たしい。ユーリを追ってこなかったのは、術の詠唱をしていたからだろう。

「何なんだよ、一体!?」

フレンのもとに大股で歩み寄ると、ユーリは声を荒げた。

「邪魔ばっかしやがって、調子狂うだろ!」

「見ていられなかったんだ、仕方ないだろう」

「見てられないって何が」

「ユーリが…あ、脚を広げるような技ばかり使おうとするから…!」

「はああああ!?戦闘中にどこ見てんだよおまえ!!」

「だから見てられないって言ってるだろ!?」



「……なんなのあの二人」

言い合うフレンとユーリを遠目で眺めながら、ぼそりとリタが呟いた。傍らではジュディスが何事か考える素振りをしている。

「逆効果だったかしら…」

「…あんた、あいつらにまたなんか余計なこと言ったんでしょ」

「あら心外ね。私はただユーリのささやかなお願いを聞いてあげただけなのに」

「お願い〜?どうせ頼まれてもないのにお節介で妙な入れ知恵したんじゃないの?」

「とりあえず目的は達しているようだからいいのかしらね」

「なんの話よ…?」

「女の子は、好きな人には自分だけを見て欲しいものでしょう?」

「意味わかんないわね…」

興味をなくしたのか、その場を立ち去るリタの背中を見送ってジュディスが再び視線を戻した先には、相変わらずなフレンとユーリの姿があった。




「どういう事なのか説明してくれ」

「う…」

仄暗い空間の中で二人きり、向かいあって座るフレンの視線と口調が厳しくてユーリが言葉に詰まった。

今夜の宿は野営のテントだ。普段は男女で別れているが、フレンが『大切な話があるのでどうしても』と言って半ば強引にユーリと二人だけで一つのテントを使っている。
昼の様子から何かを察したのか特に誰からも文句がなく(むしろそのほうが気を使わなくて済むから楽だとさえ言われた)、ユーリはこういう時ばかり物分かりのよい仲間達を少しばかり恨めしく思ったのだった。


「説明、って言われてもなあ…」

「昨日から様子がおかしいとは思ってたんだ。何か誤解というか、勘違いしてないか」

「……」

「ユーリ、ちょっと」

「?」

昨晩の宿とは比べものにならないほど狭い空間で、フレンはユーリに向かって手招きをした。膝立ちでにじり寄り、ほんの少しの距離を詰めたユーリを抱き寄せて髪に指を絡ませるフレンの仕種に、ユーリが身体を硬くした。

「ちょ…!」

「何?緊張してるのかい?昨日は君のほうが随分と積極的だったような気がするけど」

「別にそんなことねえよ!て言うか、話があるんだろ!?いきなりなんなんだよ…!」

頭の後ろからフレンの溜め息が聞こえた。

「ユーリは、僕がユーリの外見とか身体的特徴だけが好きだと思ってるのか…?」

フレンの声は悲しげで、しかし怒りも含まれているように感じられた。

「…僕も男だから。確かに、気にならないと言えば嘘になる。他の女性をそういう目で見たつもりはないけど、君がそう感じたなら申し訳ないと思ってる」

でも、と言って身体を離すと、フレンはユーリの肩に手を置いて正面から真っすぐに薄紫の瞳を見据えて、はっきりと言った。

「僕は君のことが好きなんだ」

「それは…」

さすがにそんなことはわかってる。
そう言おうとしたが、うまく言葉に出来なかった。なぜ、どこが好きなのか、という部分にユーリは不安になっていたからかもしれない。

「お願いだから、身体だけが…なんて哀しくなるようなことを言わないでくれ」

「だってなあ」

「自分以外の誰かが恋人のことをいやらしい目で見るなんて嫌に決まってるだろ?」

「それはおまえのほう…」

「だから!身嗜みに気をつけて欲しいと何度も言うのは別にそれが君の欠点とか気に入らないとかそういうことじゃないんだ」

なんで気付かないんだ、と呟くとフレンが視線を下向ける。ユーリはまだジュディスの服を着たままで、フレンの目の前にはランプの明かりに照らされたユーリの太股が露になっていた。

乙女座りなどである筈もなく、堂々と胡座をかいている姿が残念な気がしないでもない。

「…………」

「…何、見てんだ」

「気になるならもうちょっとこう…いや、何でもない…」

「そういやおまえ、昼は見てられないだのなんだの言って人のこと邪魔しまくってくれたよな」

「当たり前だろ!?どうしてわざわざ脚を大きく広げるような技ばかり使おうとするんだ…僕の気持ちも考えてくれ」

「なんかジュディの服だと思うとつい空中戦をやってみたくなるというか」

「あのね……」

「て言うか、あの場にいる男なんて他はおっさんとカロルだけじゃねえか。今さら気にすることでもないだろ」

「僕の気持ちの問題だよ。君だって、僕がジュディスの…その、胸を見てると思ったから嫌な気分になったんじゃないのか」

「改めて言われてみると、なんか違うような…」

「でも、気になったんだろ?ジュディスとどんな話をしたのか知らないけど、そうでもなきゃ君がこんな格好したがるとも思えない」

「それは…」

「…僕の気を引きたかった?」

「う…」

今まで気にしていなかった事が気になって、少し焦っていたのかもしれない。
きっかけが何だったかはもう関係なくなっていた。

気を引きたいとか、軽い嫉妬とか。
そういった感情が自分の中にもあって、しかもそれをフレン本人に知られたことが恥ずかしくて死にそうだった。
実際今も顔を上げられないでいるユーリを、フレンはなんとも言えず嬉しそうな笑顔で見つめている。


(…あー、もういいや)

顔を上げると当然フレンと目が合った。

「なんだよ…」

「君もそんなふうに思ってくれたりするんだ、って少し嬉しくて。でもそんな必要ないから、もう妙な考えを起こさないでくれるね?」

「まあ…そう、だな。やっぱ落ち着かないしな、こういう格好は」

「僕の前でだけ、たまになら構わないよ」

「調子に乗んな…!?」

剥き出しの太股にフレンの手が触れて、驚くユーリの唇は言葉を発する間もなくキスで塞がれた。


「…ん…っ、やめろってば!汚しでもしたらどうすんだよ…!」

「目の前にこんな魅力的な脚があるのがいけないんだ」

「…結局見るとこ見てんじゃねーか」

「僕はいいんだろう?」

「手ぇどけろよ」

「嫌だ」


再び塞がれた唇の奥で溜め息を飲み込み、明日どれだけ皆にからかわれるんだろうかと考えながら、ユーリは仕方なしに瞳を閉じるしかないのだった。
▼追記