フレユリ・ユーリがフレンを誘うお話。まだ裏ではありません。








悦びを知ってしまった身体を持て余すようになったのは、いつの頃からだろうか。
いつから、満足できなくなったのか…。

充たされてはいる。愛されているのもわかっているし、勿論自分も彼を愛している。それだけに、『彼』の態度に少々物足りなくなっていた。遠慮のいらない間柄である筈なのに、それを伝えれば『そういう問題じゃない』と返されてしまう。
まだ足りないと伝えても、『これ以上は駄目だ』と蒼い瞳に見据えられて優しく頬を撫でられると何も言うことが出来なかった。
困らせたいわけではなかったが、身体の疼きを抑えるのが辛くなっていた。


―――使わずに済めば、それでいい。


本心ではそう思っている。
しかしその可能性はこれまでのことを考えれば限りなく低いものであり、むしろ使ってみたらどうなるのかという期待と好奇心でますます胸の奥がざわつくばかりだった。

一度でいい。
一度だけでいいから、『彼』の理性の箍が外れたさまを見てみたい―――

窓の奥で微かに揺れる人影を確かめ、静かに木枠に手をやるとその人影が動きを止めた。鍵の掛かっていない窓を開き、纏わり付くカーテンを払いながら室内に降り立つと部屋の主である『彼』の、あの蒼い瞳がじっとこちらを見つめていた。
ほんの少し咎めるような眼差しもいつもの事だ。
わざとらしく肩を竦めて見せると、大袈裟な溜め息を返される。これもまた、いつもと同じ。部屋を訪れる度に交わされるやり取りは、それ自体が既に挨拶のようなものだった。

変わらぬ態度に安堵する。
が、今日は『いつも通り』で終わらせるつもりなどなかった。
さてどうするかと考えながらそのまま窓辺に寄り掛かると、机で書き物をしていた『彼』が手を止め、立ち上がって言った。

「窓を閉めてくれないか、ユーリ」

こちらへ近付く姿に視線を向けて軽く笑ってやると、不機嫌そうに眉を寄せた顔がユーリのすぐ目の前に迫ってぴたりと止まった。

「どうした?フレン」

「いや…」

「気になるのか、これ」

そう言って、ユーリは手にしていたものをフレンの顔のあたりで揺らして見せる。
剥き出しのまま握られているのは、ガラスのボトルだった。フレンは貼られているラベルを一瞥し、それが酒だとわかるとボトルの中で波打つ液体を横目で見て、物言いたげな様子でユーリから離れた。
窓を閉め、カーテンを整えて再びユーリに視線を戻すと、やはり『いつも通り』の台詞をユーリへと投げ掛ける。別に、いまさら咎めているわけではない。ただ挨拶のようになっているから言わないと何となくすっきりしない、その程度だった。

「いつになったら、窓から入って来るのをやめてくれるんだ?」

「鍵も掛けてない奴に言われる筋合いねえよ。いつまでたっても無用心だな、おまえは」

鍵が掛かっていたら壊してでも入って来るだろう、と言って机に戻るフレンを目で追いながら、ユーリがふん、と鼻を鳴らした。
軽口を受け流すいつもの仕種としか、フレンは思わなかったかもしれない。だが今日は、『いつも』とは違う感情が大いに含まれていた。フレンはそれに気付いただろうか。

どうして、あのまま唇を奪わない?
抱き潰さんばかりの強さで身体に腕を回して、余裕のない様子で衣服を剥ぎ取って、触れ合う肌が熱を上げていく感覚に互いが酔っていたのは一体いつの逢瀬までだったか。

嘆息するユーリに、フレンもまた小さく息を吐くとやや乱暴に椅子に腰を下ろした。窓からの風で乱れた書類を丁寧にまとめ直し、再びペンを走らせる。
壁にもたれたままでその様子を暫く眺めていたユーリだったが、やがてゆっくりとその場を離れてベッドへと足を向けた。スプリングの効いたベッドに腰かけ、フレンの背中を無言で見つめるがフレンもまた、ユーリの視線を感じながらも言葉を発する事はない。
一人で使うには広すぎる部屋の中には、フレンが握るペンが書類に文字を綴る音と、時折紙が机上を滑る音がただ静かに響いていた。



ユーリがやって来てから、数刻は経っただろうか。
書類仕事に集中していたフレンだったが、背後の気配が動いたのを感じて手を止めた。同時に深々と息を吐き出すと、振り返りもせずに口を開いて言った。

「……何がしたいんだ、君は」

肩に感じる重みに漸く後ろに目を向ければ、そこには悪戯っぽく笑うユーリの顔がある。フレンの肩に片肘を付きながら、ユーリはもう一方の腕をゆっくりとフレンの首に回した。
その手に握られているものを見て、フレンが眉を寄せる。目の前で揺れる瓶を鬱陶しそうに手で払うと、笑うユーリの口角がまた少しだけ上がった。
何がそんなに可笑しいのかわからず、怪訝そうに見上げるフレンの様子にやはりユーリは楽しげだ。

「なんだよ、そんな邪険にすんなよな」

「…この書類だけで終わるんだ。もう少し待てないのか」

「おまえ、何時間オレを放置すりゃ気が済むんだ?そろそろ待ちくたびれてきたんだけど」

「何時間?大袈裟だな。そんなに待たせてな…」

言いかけたところで不意にユーリが身体を離した。手にしているボトルのコルク栓を親指で飛ばし、そのまま直で中身を呷る姿にフレンは眼を瞬いた。
行儀の悪さなど今更だったが、ユーリがこのようにして酒を飲む姿というのはあまり見た事がなかったからだ。
自分と一緒に飲む為に待っていたんじゃないのか、という思いもあったが、さすがにそれを口に出すのはやめた。

「ユーリ、直接口を付けて飲むなよ。もう少し待ってくれたら、グラスを持って来るから」

「待ちくたびれたって言ったろ」

「全く……」

とにかく残りを片付けてしまおうと、姿勢を戻すとフレンはペンに手を伸ばした。
ユーリがその背にわざとらしく溜め息を投げ掛けてみるが、何の反応もない。ある意味、予想通りではあった。

(…おまえが悪いんだからな)

心のなかで悪態をつきつつ、ユーリは自らの懐に手を差し入れた。
そっと抜き出された指先に挟まれていたのは、小さな紙包みが一つ。

何かを包んで捩っただけに見えるそれを静かに解くと、中には更に小さな丸い粒が一つ。紙を開く音に気付いたのかどうか、フレンは動かない。
無視ならそれでいいと思いつつ、ユーリはその粒を自らの口に放り込んだ。そしてまたボトルの中身を口に含む。しかし、何故かユーリはそれを飲み下そうとせず、少し膨らんだ頬のままでフレンの肩を軽く小突いた。

「なん―――」

振り返った顔を両手でやや乱暴に抱え込むと、フレンが驚愕の表情で一瞬固まった。それを見てユーリは殊更意地の悪い笑顔を浮かべ、薄く開いたフレンの唇に自らの唇を素早く重ねて強く押し付けた。


「んんっ!?ぅ、ん――!!」

口移しで流し込まれる液体は甘く、舌にぴりりと微かな刺激を残してフレンの喉を通り過ぎてゆく。酒だと思っていたが、違うのだろうか。アルコールの風味を感じない。だが、そんな事ははっきり言ってどうでもよかった。

苦しさに目を閉じながらも顔を抑えるユーリの腕を押し戻そうとしたが、ユーリが更に伸し掛かって来たせいで机に押し倒されたような格好になり、思うように力が入らない。
苦しげに呻いて左右に揺れるフレンの髪に差し入れられたユーリの指先は地肌を優しく撫で、掌は耳を覆って雑音を遮断する。

今、フレンに聴こえている音は二つ。

血液が身体中を巡る轟音にも似た響きと、咥内をユーリの舌に掻き回されて時折跳ねるような水音。
それだけだった。


唇を塞がれたまま無理に飲み込もうとして溢れた液体が口端から滲み出し、フレンの顎から首筋にかけて薄紅の跡を残しながらインナーに吸い込まれて、じわじわと濃い部分を拡げていく。不快感に眉を寄せてユーリを見上げると視線がかちあい、ずっと見られていたのか、と思うと、少しばかりの悔しさを感じた。
それが何故かということまではわからなかったが。

二度、三度とフレンの喉が上下したのを満足げに見下ろしながら、ユーリはまだ唇を離そうとはしなかった。それどころかますます激しくなる舌の動きに、フレンが堪え切れず熱い吐息を漏らす。
それは徐々に大きくなり、いつしか互いに貪るようにして夢中で舌を絡ませ、吸い、部屋の中が湿り気を帯びた呼吸音で満たされていく。
塞がれた口と耳の奥で、粘着質な音がいつもよりやけにいやらしく響いていた。



(……なにか、おかしい……)


少しずつ熱くなる身体に、フレンはどこか違和感を覚え始めていた。
頭の中に響く水音に意識を掻き乱され、思考がまとまらない。口付けだけでここまで興奮を煽られるなんて、と正直なところ思っていた。


「……っ!!」

唐突にフレンの腰がびくりと跳ねた。
股座にユーリが膝を押し付けて擦り上げたのだ。
先程の衝撃で椅子が机にぶつかり、丁寧に重ねられていた書類が数枚、床に散った。しかし、フレンにはそれを気にする余裕は既にない。
『興奮』を悟られて一気に体温が上昇した気がして、堪らずにフレンはユーリを睨みつけた。だがその瞳は鋭さを欠き、情欲に潤んで視点もどこか定まっていない。

くらくらと揺れる視界は『酔い』を加速させ、身体の奥底から堪え難い衝動が沸き上がる。

それらを必死に抑え込みながらユーリの腕を掴む手に力を込めると、あっさりとユーリがその顔を離した。耳を塞いでいた両手をフレンに握られたまま、机に掌をついて覆い被さるような姿勢に変えたユーリは、濡れた口元に薄い笑みを浮かべていた。

長い髪がさらりと流れ落ちてフレンの頬を擽り、背筋が粟立つ感触に少しだけ意識が覚醒した。と同時に急激に息苦しさが込み上げ、激しくむせて咳込む。暫くしてやっと少し落ち着きを取り戻したフレンの胸に手を置き、悪びれもせずユーリが言った。

「苦しかったか?悪ぃな」

「……っ、の……!!」

フレンは奥歯を噛み締めながら、もう一度ユーリを見上げた。
しかし上下する胸をするりと撫でるユーリの手つきに、普段では考えられないほど刺激を受けて全身を震わせる。そんな自分の身体が信じられずに当惑の表情を浮かべるフレンを見下ろし、ユーリが嬉しそうに囁いた。

「…でも、なかなかいい感じだろ…?」

今なお目と鼻の先にあるユーリの整った顔立ちを見つめながら、フレンは懸命にその言葉の意味を理解しようと努めていた。
だが胸を打つ鼓動は速さを増し、落ち着いたかと思った呼吸はまたしても荒くなってゆく。鈍い思考と裏腹に身体の感覚は敏感で、相変わらずユーリの膝が触れている箇所は、刺激される度にに過剰な反応を示して全身を痺れさせた。

自分はなぜ、こんな状況になっているのか。
考えようとすればするほど混乱する頭を勢いよく振れば目眩がして、もしや本当に酔っているのだろうか、とフレンは思った。

(…ユーリに飲まされたあれのせい、か…)

いつの間にやら机の隅に置かれていたボトルが目に映り、今さらながらに変調の原因に思い至って思わず唇を噛み締める。ただ酒に酔っているものとは思えない。だとすれば、何か混ぜ物でもされていたのか。なぜ、そのようなことをされなければならないのか。理解出来ないことだらけだ。込み上げる悔しさと怒りで身体の熱が増し、押し倒されていた机から跳ね起きてフレンはユーリに掴み掛かっていた。

「何を、した」

「…ってぇな…ふうん、ちょっと元気になってきたか?思ったより早いな…」

「何をしたのか、って聞いてるん、だ…!」

独り言のように呟くユーリの肩に指先を食い込ませ、苦しげに眉を顰めて問い詰めるフレンの切羽詰まった様子にほんの僅か気圧されたユーリだったが、そんな表情もすぐに先程以上に皮肉っぽい笑みに変わった。

「何って、だいたい想像ついてるんだろ?」

「さっきの飲み物…酒、のせい、か?……いや、違う…?」

混濁する頭の中で、それでもフレンは何とか記憶を遡って気付く。
自分に飲ませる前に、ユーリはそれを飲んでいた。
ユーリの様子に変化は見られない。導き出される答えはそう多くもなかった。

「…なあフレン、オレも仕事で結構いろんな奴に会うんだけどさ」

「…………それ、で?」

「少し前、報酬のオマケにちょっと変わった代物を貰ったんだよな……まあ、俗に言う『媚薬』ってやつだ」


それは惚れ薬などと言う可愛らしい呼び方のできるものである筈もなく、単に性欲を催させるための強力な催淫剤の一種だ、とさらりと言われ、怒りと呆れでフレンは何も言い返す事が出来なかった。



ーーーーー
続く
▼追記