続きです。








「…こんなものかな?」


ぐるりと部屋を見回してフレンは呟いた。

今日はユーリが家に来る。
朝から張り切って掃除をして、なんとか小綺麗にすることは出来たように思うが、如何せん古い家だ。煤けた壁の汚れや建て付けのあまり良くない扉などはどうする事もできず、フレンはこの家に住むようになってから初めてそれらを少しだけ不満に感じた。

奥に寝室があるだけの、小さく狭い家。
だがフレンはそれで充分だと思っている。多少、隙間風が入っては来るものの、自分一人に家が一軒あるなんてとんでもない贅沢だとすら思っていた。

今もそれが変わったわけではない。
ただ単に、ユーリを迎えるのに『もうちょっと綺麗にできたらな』と思っただけだった。

あまり物がないだけに、模様変えのしようもない。せめてもと思って摘んで来た花をテーブルに飾ってみた。花瓶などないので、ガラスのコップに生けただけの白い花は、殺風景な部屋に少しだけ明るさをくれた。

それと、もうひとつ。今日は『とっておき』があった。


「ユーリ、喜んでくれるといいな」


再び、誰とはなしに呟きながらフレンは頬が緩むのを抑えられなかった。




例の場所に向かい、木の周囲を窺うが、ユーリの姿はない。約束の時刻にはまだ少し早かったので、フレンはそのまま幹にもたれてユーリを待つことにした。

ユーリから自分の家に来たい、と言われ、わくわくすると同時にほんの少し不思議な気持ちだった。

ユーリを自宅に招くのにやぶさかではないが、大したもてなしができるわけでもない。今まで他の友人達と遊ぶ時も、あまり家の中で、というのはなかった。

ユーリも言っていたが、親に会わせるのが気恥ずかしいと思っている友人も確かにいる。下町の住民は皆、大体が気心の知れた者同士だったが、それだけに遠慮がない。わざわざ言わなくていい事を親が暴露したせいで揶揄われた…などという話も、言われてみれば聞いた事があったような気もする。

だが、特にそういった理由がなくても子供は基本、外で遊ぶものだ。フレンもそうだった。だからユーリを色んな場所に案内し、友人にも紹介して仕事のない時には一緒に遊び、早く下町に馴染んで欲しいと思っていたのだが。


(…そういえば、ユーリは僕以外の誰かに会ったことあるのかな)

越して来た初日から、ユーリは一人であちこち行っているようだった。そしてフレンが見つけた後はずっとフレンと共に過ごしている。同じ年頃の他の友人から、ユーリについて聞かれたこともなかった。
という事は、恐らくユーリは自分以外の子供と会っていない。それどころか、あまり姿を見られてもいないのではないか、と考えて、フレンは昨日ユーリの言っていた事を思い出していた。


自分は人見知りではなく、『相手の出方を見ている』


意味がよくわからなかった。結局、人見知りと何が違うのだろうか。
初対面の相手に一歩引いてしまい、距離を取ろうとしてなかなか親しくなれない事を指して人見知りと言うなら、フレンもそう大して違わない部分があった。

誰に対しても礼儀正しく笑顔で接する為にそうとは思われないが、初見の人間に対しての警戒心は強いほうだ。
特に、大人に対してはそうだった。
下町の大人達はともかく、バザールで仕事をするようになってからはあまり『良くない』大人と関わることもあった。

関わる、と言っても、何もフレンが『良くない』事をする訳ではない。いわゆる柄の悪い余所者や、貴族に仕えているだけで何故か高圧的な下男などといった者がフレンが働く店を利用しているという意味だ。
戦争が終結してからは、そういった者が増えた、と世話になっている店の主人が以前話していた。同時に、気を付けるように、とも言われた。

だからフレンは『気を付けて』いた。それこそ、ユーリの言うように相手の出方を窺っている、と言ってもいい。

だが、何故ユーリにその必要があるのか。
周りを大人に囲まれて育った、と言っていた。その大人は、ユーリにとってあまり良くない大人だったのだろうか。そうでなければ、別に相手の出方など窺う必要はない。

そんな生活が当たり前だったから、今も積極的に誰かと関わろうとしないのだろうか。


(なんか……そんなの、寂しい)


ユーリ本人がどう感じているのかわからないが、フレンはそう思った。
それに、理由は分からないがユーリは自分の事に興味を持ってくれた。
自分とユーリはもう友達なんだし、決して友人が欲しくない訳ではないだろう。

ユーリの『今まで』の事はまだ色々と分からないしどうにも踏み込めない部分もあるが、『これから』は自分も一緒だ。この下町での生活が、ユーリにとって楽しいものになって欲しい。
今日これから自分と過ごす時間を、ユーリも楽しいと思ってくれたらいいな、と考えていたら、背後に気配を感じてフレンは振り返った。



「悪い、ちょっと遅れた?ごめんな」

「…ううん、そんな事ないよ」

「……?」


ばつが悪そうに、少し俯き気味で上目遣いにフレンの顔色を窺う様子はやはり『可愛い』ものだったので、フレンは知らず知らずのうちに顔が綻ぶのを抑えられない。

遅刻をしたのに咎められないばかりか笑顔を向けられ、ユーリは首を傾げるのだった。








「へー……」


フレンの家に入ると、ユーリは興味津々といった感じで中を見渡した。
フレンが言っていたように、確かに家具も殆どない。だがこざっぱりとしていて、不快な感じもしなかった。ユーリは感心しきりなのだが、フレンは少し恥ずかしかった。きちんと掃除をしたとはいえ、あまりじろじろ見られたくなかったのでユーリの手を取って半ば強引にテーブルへと案内する。


「どうしたんだよ、フレン」

「あんまり見ないで…恥ずかしいよ」

「何で?キレイにしてんじゃん。オレ、片付けが苦手で怒られてばっかだからさ、すごいと思うぜ」

「そ…そう?」

「うん。それに、一人で暮らしてるのがやっぱすごいよな」

「そうかな…もう慣れたし、そうでもないよ」


物心つく前に両親を亡くし、ハンクス夫妻の世話になっていた時も家事の手伝いはしていたし、掃除や片付けは嫌いではない。その作業を苦に思ったことはなかったので、あまり褒められると少し居心地が悪かった。


椅子に座るユーリに背を向け、飲み物を用意していたフレンにユーリが声を掛けた。


「こういうの、いつも飾ってんの?」


振り返ると、テーブルに両膝を突き、掌に顎をのせてユーリが花を眺めている。


フレンの目に花は映っていなかった。


その仕種も、足をぶらぶらさせている様子も、少し傾けた顔の横で揺れる髪も、いつまでも見ていたい愛らしさを感じる。

この時初めて、フレンは『自分は一体どうしたんだろう』と思った。ユーリ本人が怒るから口に出さないようにはしているが、ユーリの何気ない仕種や表情が可愛い、と思う気持ちが止まらない。


ユーリは女の子じゃないのに、どうしてだろう


同じ年頃の女の子に対しても、このような気持ちになった事はない。
ぼんやりとユーリを見ていると、視線に気付いたユーリが花からフレンへと顔を向けた。


「…何してんの。オレの話、聞いてた?」

「え……あ、ごめん。花が、どうかした?」


テーブルに戻り、飲み物の入ったカップを手渡すフレンを見るユーリは呆れ顔だ。

「毎日、こういう花とか飾ってんのか、って」

「ううん、今日は特別だよ。せっかくお客さんが来るんだから、と思ったんだ」

「ふーん。いいんじゃねーの?なんか明るくなってさ」

「ユーリ、花は好き?」


再びユーリに背を向け、今度はフレンが尋ねた。フレンは何やら片隅の戸棚の前でごそごそやっている。


「…今度は何やってんだよ」

「ちょっと待ってて。それで、ユーリは花が好きなの?」

「んー、まあ嫌いじゃないかな。いつも部屋に飾ってあったし」

「へえ。じゃあユーリは花の名前とか、詳しい?」

「何で?」

戸棚から小さな包みを取り出したフレンが戻って来る。その動きを目で追いながらユーリが聞くと、向かい合って座ったフレンも聞き返す。


「何でって。いつも花があるんなら、興味持ったりしないの?」


ごく当たり前の事を聞いたつもりだった。
毎日同じ花でも、日毎に違う花だったとしても、それぞれに興味を持つのではないか。

「別に。綺麗だな、とか匂いの好き嫌いとかは気になるけど、名前とかどうでもいい」

ユーリは本当に興味のない様子だ。家にやって来た時とはまるで瞳の輝きが違った。


「興味、ないの?でも飾ってあるといいって思うんだよね?」

「…名前なんか覚えたってしょうがないだろ、どうせ何日かで枯れて捨てられるんだ」

「それは…そうかもしれないけど」


意外な答えだった。
物事に執着しない性質なのかとも思ったが、あまりに寂しい物言いではないか。


―――寂しい


もしユーリが積極的に友人を作ることが『出来ずに』いるのなら、それは寂しい事だとフレンは思った。

だが、今の物言いはどうだろう。

友人の存在に潤いは感じても、それを失う事にこだわりはないと言っているように感じられ、何故かフレンは言いようのない不安を感じていた。

どうして、花と人間を重ねてしまったのかは分からない。ただ、そう思えてしまった。


「ユーリ、あの」

「そんな事よりさ、コレ、何?」


何か言わなければと思ったフレンが口を開かけたところでユーリに遮られてしまった。
やや強い口調で言うユーリが指差したのは、フレンが棚から持って来たままずっとテーブルに置いてあった小さな包みだ。
それ程に気になっていたのかと思いながら、包みを開いてユーリの前に寄せる。

その途端、ユーリの表情がぱっと明るくなった。


(…ほんとに猫の瞳みたいだなあ)


先程までのつまらなそうな表情はどこへやら、この家へ来た時以上に瞳を輝かせるユーリの様子に、フレンは思わず吹き出した。


「ユーリ、甘いものは好き?」

「えっ!?あ、うん…」


包みの中からは、飴玉が数個転がり出していた。
少し大きめで様々な色をしたそれは、少し前にハンクスから貰ったものだった。バザールで仕事をするようになったフレンへの労いと、非常時の蓄えとしての意味もあった。


「よかったら食べて」

「え、でもいいのか?なんか大切そうにしまい込んでたみてーだけど」

仕事をするようになって、苦しいながらも自分一人食べていけるだけの日々の糧は得ている。非常時…という訳ではないが、こういう時でもなければなかなか取出す事はないと思ったのだ。

「ユーリが喜んでくれるんならいいんだ。…ほら、これなんかユーリの目の色みたいだよ」

薄紫色の一粒をつまんで見せると、ユーリも一粒、フレンの目の前に飴玉を掲げた。

「じゃあ、これはおまえだな」

水色の一粒を陽に透かして笑うと、ユーリはそれを口に放り込んだ。


「おいしい?ユーリ」

「うん、甘くてうまい」



フレンも飴玉を口に含んだ。
にこにこと笑うユーリの笑顔は目の前の花よりも明るく部屋を彩り、口の中で溶けてゆく飴玉よりも甘い気がした。


(……花と人は、違うよね……?)



ユーリはちゃんと、自分の名前を呼んでくれる。いつか失くなるから、覚える必要がない、なんて思っていない。


「…ユーリ、僕たち、友達だよね?」

「何だよ急に。オレはそのつもりだけど」

「そっか。そうだよね!」

「…??」



違う。大丈夫。

幼いフレンはユーリの言葉を信じ、花の事は本当にただユーリにとって興味の対象外だったのだ、と思う事にした。

そしていつの間にかこの話のことは完全に記憶の彼方へと投げ遣られて、花を見て思い出す事もなくなっていった。




ーーーーー
続く