続きです。







一通り作業を終えた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。

デスクワークで固まった肩を解して伸びをする。…外の様子でも見て来ようか。
そう思って扉を開けると、聞き覚えのある鳴き声と共に大きな影が上空へと消えていくところだった。

影が見えなくなった場所に浮かぶ満月に照らされて、風に揺れる長い髪を押さえながらその人が振り返った。

「ユーリ…どうしてここに?」

「ん?仕事が終わって戻るとこだったんだけどさ、おまえがこっち来てるって聞いて」

「わざわざ会いに来てくれたの?」

「いや、ジュディとカロルが寄ってけってうるさくてさ。どうせダングレストに戻った後は下町に帰るつもりだったし、そん時でいい、って言ったんだけどな」

「……そう、か」

普段と変わらない調子で言うユーリに、僕は少し寂しくなった。ユーリから、積極的に『会いたい』と思ってくれた訳じゃないんだな。

…そんなの、いつもの事だ。確かに下町に帰って来た時は必ず僕の部屋へ来てくれるけど、それだって毎回、箒星の女将さんとかハンクスさんから僕のところへ顔を出せとしつこく言われるから、今ではその前に来るようになった、というだけに過ぎない。

その証拠に、帰って来たその日に僕に会いに来た後は自分の部屋にいて、またいつの間にかいなくなっている。ユーリが来た時に僕が留守だったりしたら悲劇だ。
それでも僕は、それがユーリの性格だと分かっている。だから少しばかりの切なさを感じながらも、また会える日を楽しみにしていた。

だけど、今は何故かとても不安になっていた。昼間、あんな話をしたからだろうか。僕に会いに来るのが本当に面倒で嫌なら、誰に何を言われようが聞き入れないと思う。
誰かに言われて仕方なく、と言うユーリの態度は、素直に『会いたかった』と言えない彼女の照れ隠しなんだと僕は思っていた。

本当に、そうなのか?

…胸が苦しい。
俯く僕に、ユーリが近付いた。

「…フレン?どうした?…何かあったのか」

「いや、何も。何でもない」

「あのなぁ、もっとマシな嘘つけよ。そんなんじゃ誰も騙されねえぞ」

怒ったような、呆れたような調子で腰に手をやって僕を覗き込む。
いつもなら、つい『可愛い』と言ってユーリを不機嫌にさせてしまうところだけど、今の僕は余程余裕がないらしい。

仕種そのものより、ユーリの唇や、胸元に目が行ってしまう。
月明かりに照らされて青白く輝く肌がとても神秘的で美しくて、ふらふらと吸い込まれるように彼女に向けて両手を差し出して抱き締め……

「ちょっ…おまえ大丈夫か?」

…ようとしたら、ユーリが一歩下がってしまった為に僕の両手は何もない空間を交差して自分自身を抱く格好になってしまった。

…なんで、ここで避けるかな…

「どうしたんだよ、ふらふらと…風邪でも引いたか?寒いなら早いとこ部屋に入ろうぜ」

「…ああ…そうだね…」

さっさと横を通り過ぎて建物に入るユーリの後ろ姿に、溜め息を吐かずにいられない。そこは避けるんじゃなくて、抱き返してくれるところなんじゃないかと思うのは僕だけなのか?

「フレン?何してんだ、早く戻って来いよ!」

「…今行くよ」

月を見上げて、もう一つ溜め息が零れた。


部屋に戻るなり、僕はユーリにベッドに突き飛ばされた。
『押し倒された』でも、『押し倒した』訳でもない。それはもう、力一杯突き飛ばされて呆然としている僕の甲冑を剥ぎ取ると、ユーリは覆い被さるようにして僕の額に自分の額を押し付けた。

間近に迫る薄紫の瞳や、鼻先に感じるユーリの息遣い。少し顔を上げたら唇が触れてしまいそうだ。
でも――――

「…熱はなさそうだな」

案の定というか…ユーリはすい、と僕から身体を離すと、そんな事を言って僕を見下ろした。

大丈夫だと言ってるのに、ユーリはすっかり僕を風邪っ引き扱いして毛布を何枚も重ね、念のために今日はさっさと休め、と言って出て行ってしまった。
心配してくれているのは間違いない。僕以外に、あんなに顔を近付けたりもしない。でももう、それが信頼の証なのか、近すぎて『対象外』だからなのか分からなくなっていた。

…起き上がってユーリを追う気にもなれなかった。




翌朝ジュディスがバウルで迎えに来ると、僕はユーリと共にバウルに乗せてもらってダングレストへ向かった。
元々寄る予定ではあったが、随伴の騎士はそのままオルニオンから帝都に帰らせた。バウルで移動するなら護衛も必要ないし、ユーリ達もいる。ダングレストからもユーリと共に帝都へ送ってくれるというので、その申し出はありがたく受け取った。

バウルでの移動中、僕はユーリとろくに話さなかった。ユーリもジュディスもそんな僕に怪訝そうな視線を投げ掛けたが、気付かないフリをするしかなかった。



「フレン、今日はすぐにユニオンに行くのか?」

ダングレストに着いてすぐ、ユーリが僕に問い掛けた。

「…いや、バウルのおかげで予定より早く着いたから。本来の予定は明日だったし、今日は特に予定はないよ」

宿の手配をしないとな、と考えていたら、ユーリが続けて言う。

「だったらメシ食いに行こうぜ。おまえもたまには酒場で一杯やりたいだろ?」

…これもユーリなりの気遣いなんだろう。笑顔で話すユーリに僕もぎこちない笑顔で頷いて、二人で酒場へ向かった。



――ところが。


「…………」

「何だよ、仕方ないだろ?あっちがいっぱいだったんだから」

店の前で躊躇している僕に、ユーリも溜め息混じりで入り口を眺めていた。

はじめ『天を射る重星』に向かった僕達だったが、予想外の混雑ぶりに入店を諦め、次にやって来たのがこの『紅の流星群』だった。

「向こうに比べたらメニューは少ないけど、前よりだいぶマシになったんだから大丈夫だって」

味も、雰囲気もな、と笑うユーリに、僕は曖昧な返事しか出来ない。

僕はもう、この店に来るつもりはなかった。来れば、あの時の事を思い出してしまう。…ユーリ以外の女性を抱いた時の事を。
しかも今、僕は色々と不安になっている。よりによって今この場所か、と思うとどうしても足が動かなかった。

「フレン、どうしても嫌だってんなら…………」

ユーリが言葉を切り、僕の後ろをじっと見ている。

「ユーリ?どうし…」

「…知り合い?」

「え?」

振り返ると、僕のすぐ後ろで女性が微笑んでいた。

「…あなた、は」

掠れた声で言う僕に、女性は殊更嬉しそうな笑顔で抱きついた。突然の出来事に混乱しているのは僕だけではない。ユーリも僕の隣で固まっていた。

「な…何するんですか!離れて下さい!!」

「あら…つれないのね。たった一年でもう忘れちゃったの?」

「なん…どうして、こんな…!」

割り切っている筈だ。
店の外で、それこそ一年も経った今になって。
しかも、この場にはユーリが……!

「…そちらが彼女さん?」

「…え…」

僕に抱きついたまま、その女性はユーリに顔を向けた。

「噂は聞いてるわよ?あなたのところ、最近調子いいみたいじゃない」

「…どうも」

「ギルドは評判いいし、こんな素敵な恋人までいて羨ましいわ。…今は騎士団長なんですって?凄いわねぇ」

「……」

ユーリが僕に冷たい視線を向ける。妬いてくれてるのか、なんて喜ぶ余裕なんかある訳がない。
僕らを無視し、女性は喋り続ける。

「ねえ騎士団長様?『あちら』のほうも、さぞかしお強くなられたんでしょう?」

「は!?な、何の事…」

「私で随分と練習したじゃない。今はこっちの彼女を喜ばせてあげてるんでしょ?」

「ちょっ…………!!」

慌てて女性を引き離し、ユーリを見る…が、ユーリは黙って僕から顔を背けてしまった。
どう考えても、良くない状況だ。誤解だ、と素直に言えないのがまたさらに状況を悪くしている。

「ねえ、あなた」

女性がユーリに声を掛け、ユーリがゆっくりと顔を戻す。
…何か言える雰囲気じゃ、ない。

「……何だよ」

「こんな王子様みたいな顔して、凄いわよね、彼」

「………何の話……?」

「あら、知らないなんて言わせないわよ?もう子供じゃないでしょ」

「はっきり言え!!」

ユーリの怒号が夕暮れの路地に響く。
これ以上はまずい、と思ったが、遅かった。


「ベッドの中での話に決まってるでしょ?」


ぴんと張り詰めたような空気が肌に痛い気がした。
ユーリはにこにこと笑う女性をじっと睨みつけていたが、ふと視線を落として俯くとそのままくるりと僕達に背を向けて歩き出した。
慌てて後を追おうとした僕の腕を女性が掴む。

「…どういうつもりですか」

「相変わらず、上手く行ってないみたいじゃない?」

レイヴンから聞いたわよ、と彼女は言った。
…わざと焚きつけたとでもいうのか!?逆効果にしかなってない。余計な事を…!

彼女の話を全て聞き終える前に、僕はユーリを追い掛けていた。

途中で追い付いたユーリを無理矢理僕の泊まる部屋へと連れて来て、僕はユーリに全てを話した。浮気、とは違うと思うけど、やっぱり後ろめたい。妙な誤解をされるぐらいなら、全部話したほうがいいと思った。


「…ユーリ、その…今はもう、さっきの人とは会ったりしてないんだ。だから」

「あの、さ」

「…何?」

「おまえ…そんなに、その…オレとしたいわけ?」

「…………そりゃ、まあ」

…質問がストレートすぎて、つい間抜けな返事になってしまった。でも…否定もできないし。

「それで、オレの為に他の女とヤった、と」

「いや、それはちょっと語弊が…」

「……………ずるい」

「…は?」

泣きそうな顔で、ユーリは僕から目を逸らす。

「オレは…あまり、そういう事に興味ない…なかった。おまえには辛い思い、させたのかもな。…悪かった」

「ユーリ…」

「正直、怖い。この年まで経験もなくて、こんなんじゃ…」

「ユーリ、僕は」

「こんなんじゃ、おまえだってつまんないよな…?」

「え……?」

顔を上げたユーリの瞳には光がない。
…やっぱり、怒ってる…?
次の瞬間、ユーリの口から出た言葉に僕は戦慄した。



「オレも、他の奴で練習してやる」



…ユーリの言葉が頭に届くまで、暫くかかった気がする。
我に返った僕は、ユーリの肩を掴んでそれこそ物凄い剣幕で捲し立てた。そんなの、許せる訳ないだろ!!

「な……何バカな事言ってるんだ!?なんでそんな…だいたい練習って、本当に意味分かってるのか!?」

「ああ、分かってるぜ。さっきの女のおかげでな。…要は、ああいう男と寝ればいい訳だ」

「ユーリっっ!?」

「そうすればおまえに抱かれる『自信』もついて、がっかりさせる事もなくなるんだからな!!」




今にも宿を飛び出そうとするユーリを必死で抑え、宥めすかすのに一晩中かかった。
暴れ疲れて眠ったユーリを抱き締めて、長い髪を撫でながら頬にキスをする。
…相手がユーリなら、がっかりなんてする筈ないのに…


妬いてくれるぐらいには、意識してくれてるんだと分かっただけでも今はいいと思う。

…いや、やっぱりもっと意識して欲しいかな。

目が覚めた時のユーリの反応が少し怖かったけど、僕は彼女の身体を抱いたまま、離すつもりはなかった。


ーーーーー
終わり
▼追記