続きです。







ユーリと最後に会ってから、一ヶ月以上が過ぎていた。


もともと僕は騎士団の、ユーリはギルドの仕事がそれぞれに忙しく、それほど頻繁に会える訳ではない。しかも僕からはなかなか会いに行く事が出来なかったから、ユーリのほうが僕に会いに来なければ、今回のように一ヶ月以上会えない事は以前にもあった。

本当は、すぐにでもユーリを迎えに行きたい。僕の隣で、すぐ手の届くところに居て欲しい。
でもそれは、ユーリの望む生き方じゃないと分かっている。今はまだ、僕にもユーリにもやらなければならない事がある。

だからきっと、ユーリも忙しく世界中を飛び回っているんだと、落ち着いたらまた会えるものだと思っていた。

何かがおかしいと思ったのは、それから更にひと月が経とうとした頃だった。







「…ユーリは何処にいるんだ」


凛々の明星が拠点として使用している建物の一室で、僕はかつての仲間を前にして憤りを隠せずにいた。

聞いてどうするのか、と心の内が読めない表情でジュディスが言う。…多分、彼女は『理由』を知っている。

「会って、理由を知りたい」

短く『そう』、とだけ言うとジュディスは黙り込んだ。



ユーリはギルドの拠点にいなかった。

いくら何でも、これだけの期間ユーリから何の連絡もないのはおかしいと思った僕は、暇を見付けては度々下町のユーリの部屋を訪ねていた。だがいつ行っても彼女は留守で、仕事の合間に戻って来ている様子もない。

…第一、戻ったなら顔ぐらい見せに来てくれると思っていた。

下町の誰に聞いても、ここ最近ユーリの姿を見ていないと言う。普段から長期間部屋を空ける事が多いユーリのことを気にしていない人達もいるが、それでももし戻っていれば必ず誰かしら会っているだろう。

ユーリが意図的に姿を隠しているのでなければ。


ユニオンに出向いて凛々の明星の様子を確かめると、最近ではメンバーが個々に仕事を請け負う事が多いらしく、やはりユーリの姿はここ最近見掛けていないという。

そこで彼らの拠点へ向かってみると、その場にはカロルとジュディスしかいない。オロオロと落ち着かない様子のカロルを奥の部屋へとやり、僕の応対をしたのはジュディスだった。


「もう一度聞く。ユーリは何処にいるんだ!?」

黙ったままのジュディスに苛々して、テーブルに両手を叩き付けた。声を荒げて睨む僕に怯んだ様子もなく、ジュディスは静かにこう言った。


ユーリが姿を消した理由は知っている。だが、言う訳にはいかない。

ユーリと約束したから、と言われて僕は混乱した。ジュディスに口止めをしてまで、僕に知られたくない理由というのが一体何なのか、全く見当が付かなかったからだ。
それならば居場所についてはどうなのかと聞けば、こちらは本当に知らないと言う。すぐには信じる事が出来なかったが、問い詰めてもジュディスの口からは何も出て来なかった。


訳がわからない。

ギルドの活動もせず、居場所のわからないユーリを彼らは何故捜そうとしないのか。安全な場所にいるという確信でもあるというのか。
それにどうやら、『理由』を知らないのは僕だけのようだった。僕には知られたくない何かがあって、でも仲間には話している。

…僕を、避けている…?

僕に会いたくなくて、ユーリは僕から逃げているとでも言うのか。

世界がぐらりと歪んだ気がした。

必死で踏み止まるものの、冷たい汗が背中を伝い、吐き気までしている。…もう何も聞けないと思って背を向けた僕に、それまで黙っていたジュディスが言った。

『戻って来るのを待っている、と伝えてちょうだい』

驚き振り向いた僕にジュディスは笑っている。
捜しに行くのでしょう、と言うその笑顔には何の含みもないように思えて、僕も何とか笑ってみせた。


――逃がしてなんかやらない。

あの時だって、そう思ったじゃないか。
絶対に彼女を捜し出して、理由によっては叱ってやる、ぐらいの気持ちになっていた。
しかも、それはどうやら僕にも理由の一端がある事のようだから尚更だ。ユーリが僕に黙って何かしようとすると、ろくな事にならないのはそれこそ嫌というほど知っている。


ユーリ、言ってくれなきゃわからない事だってたくさんあるんだ。
今度こそ、それを分からせてあげないとな。


頭を振って黄昏の空を見上げ、僕は掌を固く握り締めていた。





それからの僕は、城での執務の合間を縫ってユーリを捜し回った。

知り合いや下町の皆にはユーリの姿を見掛けたら知らせてくれるように伝え、自分でも毎日のように彼女の部屋を訪れた。

ジュディスと会ったすぐ後で、ハルルへ向かってエステリーゼ様にもお会いした。思った通り、彼女も、そしてリタもユーリの事を知っていた。城に戻った際に聞いたらレイヴンさんも知っていたから、彼女達が知らない筈はないと思っていた。

ユーリの話をした時、僕は彼女達に怒られてしまった。気付くのが遅い、と言われて、本当にその通りだと思う。
二人共にユーリの事をとても心配していた。でも自分達が何を言っても聞いてもらえないから早くユーリを見付けてやってくれと言われ、僕は思わず首を傾げてしまった。

だって、ユーリは僕に何も言わずに姿を消したんだ。それこそ僕以外の…多分まだ会っていないパティも含めて全員に、失踪の理由だけは話しているのに。

それでも、やはり理由は教えてもらえなかった。
…試されてるのか?理由を聞いてしまったら、僕のユーリに対する何かが変わるとでも言うんだろうか。

こうなったら何が何でもユーリを見付けて連れ戻す。半分、意地になっていた。だって…これじゃ何だか、ユーリはまるで僕の事を信じてないみたいじゃないか。

ハルルを後にし、帝都に戻るとパティに出会った。
パティは他の皆とは少し違い、自分でもユーリを捜しているようだった。

パティはユーリに直接会っていないのだと言う。それはきっと、パティはユーリが黙って姿を消す事を良しとしないのを分かっていたからではないかと思う。
実際こうしてパティはユーリを捜しているし、こういうところには鋭いくせにどうして僕の気持ちは無視なのか、と思うとますます腹が立って、同時に切なくて仕方なかった。

見付けたら必ず知らせると言ってくれたパティに礼を言い、僕はそのまま下町へ向かった。

坂道を下って行くと、広場が見えて来る。その端に見覚えのある人物を認めて声を掛けようとした時、耳に飛び込んで来た名前に思わず足が止まった。

まるで縫い付けられたかのようにその場から動かない足を叱咤し、引きずるようにしながらゆっくり近付けばもう一度聞こえたその名前に、たった今まで動かなかった足が嘘のように勢い良く跳ね上がり、僕は転がるように坂道を駆け下りていた。


「ハンクスさんっっ!!」


驚いて振り向いたハンクスさんに掴み掛かるようにしてその名を叫ぶ僕を、隣にいた箒星の女将さんが慌てて引き離しにかかる。

「離して下さい!今、ユーリのことを話してましたよね!?どういう事ですか!!いや、それよりユーリは何処ですかっ!?」

落ち着けと言われて落ち着ける筈もない。さっき、この二人はユーリの…正確に言えばユーリと僕の話をしていた。



このままではさすがにユーリも…

フレンに何も言わないままなんて

これでは二人とも辛くなるだけだ



断片的に聞こえた会話に胸が騒いで仕方ない。どう考えても良い話には聞こえなかったその内容に、僕は嫌な想像しか出来なかった。
女将さんの制止にも耳を貸さない僕に、とうとう諦めたのかハンクスさんがユーリの居場所を教えてくれた。

…ユーリはずっと、ハンクスさんの家にいた。今は箒星の、自分の部屋に行っていると言う。
細かい事情を聞く余裕などなく、僕はユーリの部屋へ走り出していた。






扉を開けて名前を呼べば、捜し続けた愛しい人が振り返る。

会いたくて会いたくて、言いたい事はたくさんあった筈なのに、その姿を見たら何もかも全て吹き飛んでしまった。


「……ユーリ、あの……」


上手く喋る事の出来ない僕に、最初驚いた様子だったユーリが悲しげに笑った。

「…何だ、見つかっちまったか」


わざとらしく言っておどけたフリをするユーリを抱き寄せた。

本当は力一杯抱き締めてやりたかったけど、それはできない。
ユーリはいつもと違う、ゆったりとした服に身を包んでいた。その身体はお腹のあたりが膨らんでいて、それが彼女が姿を消した理由だと分かってしまったから。

同時に、彼女の身に何か――怪我や病気の類があった訳ではないと知り、安堵の溜め息が漏れた。ハンクスさん達の会話から、もしかしたらユーリがそういった状態なのではないかと思っていたからだ。


ほんの少し、その身体を抱く腕に力を入れる。
初めてこうした時のように、ユーリの身体が小さく震えた。

「……ユーリ」

「…………」

「その子の父親、僕だよね」

「そっ……!!……?ふ、フレン…?」

びくりと肩を跳ねさせたユーリが僕を見て何か言いかけ…動きを止めた。多分、驚いてるんだろう。


「……何、そんな笑ってるんだ」

「嬉しいからに決まってるだろう?」

「…!」

一瞬で真っ赤になったユーリが、泣きそうな顔で僕を見上げた。

「嫌がるとでも思った?酷いな」

「でも、おまえは色々、大変で…」

「…ユーリ」

少しだけ声が低くなる。

「そんなに、僕が薄情だと思ってるのか?」

「違う……!!」


僕がユーリの負担になりたくなかったように、ユーリも僕の負担になるのが嫌だった。

だから言えなかった、今はまだ言えない、もっと僕の『敵』が減るまで黙っているつもりだったと言うユーリの言葉に一つ一つ頷きながら、こんなにも僕らは想い合っているのに、肝心なところがお互いに分かっていないんだな、と思っていた。

撲の負担になりたくないと言うなら、僕に黙って何処かへ行ってしまわないで。

心配で、不安で、そのほうがよほど負担になる、と拗ねたように言ってやると、腕の中のユーリが小さな声で『ごめん』と呟いた。

僕もユーリを不安にさせた。だから僕の気持ちもきちんと伝えなければ、と思った。

僕にとっての最善は、ユーリと共にある事だ。だったらもう、伝えるべき事なんて一つしかなかった。


ユーリ、と呼ぶと、俯いていた彼女が顔を上げる。
満天の夜空より美しい瞳をただ真っすぐに見つめ、その一言をはっきりと伝えた。



「結婚して下さい」



大きく息を呑んだ後、とても、とても小さな声で聞こえた返事は、今まで生きて来た中で一番嬉しい言葉だった。






この先何があっても、僕ら二人ならきっと大丈夫だ。


重ねた唇と同じように、やっと想いが重なってとても満たされた気持ちで、僕らは微笑みながら互いに回した腕に力を込めずにはいられなかった。





ーーーーー
終わり
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