先日、昼休みも終わりに近づいた頃に外出先から戻ってきた同僚の女性に一冊の本を手渡されました。

ブログに使ってくれ、との事で、わざわざ私のために自分のお薦めの本を持ってきてくれたのかと思いきや、、、

「本屋でミステリフェアをやってて平積みされてたから新刊だと思ったら昔の本だったんです」

その言葉に奥付を見てみると初版は平成十年の発行になっていました。

昼休みが終わりそうだからと急いでいたためタイトルまでは見なかったそうで、会社に戻ってから確認したら著者のファンである彼女は既に持っている本だった、との事。
「騙された!」と憤る彼女の姿を見ながら、何やらこちらも騙された気分を味わいました。

とにもかくにもそうして手渡された本が宮部みゆき著『火車』というわけでして。

宮部みゆきさんといえば有名な本が何冊もあるのは知っていますが、
恥ずかしながら著作を読むのはこれが初めて。
いったいどのような文章を書かれるのかと家に帰ってさっそくページを繰ってみたところ、
惹きこまれるように次々と読み進めてしまい、
数日かけて読むつもりが一晩で一気に読みきってしまいました。

主人公は休職中の刑事で、彼が亡き妻の親戚の青年から行方不明の婚約者の捜索を依頼されるところからスタートした物語は意外な展開へと発展していきます。

その途中にさまざまな人のドラマが挿入されるのですが、
全体的なストーリーの流れよりもところどころに描かれる人間の姿が
深く心に突き刺さりました。

特に印象深かったのは東京での勤めを辞めて地元に戻ってきた女性が
以前の同僚から電話を受けた時のエピソードを語ったもの。

それほど親しくもなかった相手から突然かかってきた電話の内容は特にどうという事もなく、
そして、こちらが「結婚した」と言うと急に話が弾まなくなり
唐突な感じで電話は切れてしまった、、、と。

そのエピソードの後に、女性は相手の女性をこう評すのです。

『たぶん、彼女、自分に負けてる仲間を探してたんだと思うな』

そして、寂しさを覚えた彼女は、結婚や留学をするわけでもなく
会社を辞めて田舎に帰った自分なら、
彼女より惨めな気持ちでいると当たりをつけたのだろう、と。

自分に負けている、というのがどのような状況を指すものなのか、わかるようでわからない、、、いや、もしかすると、わかっているけれどわかりたくない、というのか。
私の場合「わかってしまう自分を認めたくない」と言うのが正確かもしれませんが。
自分が取るに足らない存在だと感じた時、自分よりももっと惨めな気持ちでいるはずの人間に当たりをつけて連絡を取る、という行動が単に性格によるものなのか、それとも彼女が「女性」だからこそ出てきたものなのか。

そんな時、自分であればもっと違う方法で自信の回復を図ろうとするだろうな、
と思いながらも、もしかしたらそれは自分を理想化しているだけで
自分にもそのような一面があるのだろうかと、ギクリとするというか、
ぎょっとした、というのが正直な感想かもしれません。

このエピソードは物語の中盤ぐらいに描かれていたものなのですが、
全体を読み終えてからも妙に心に残っていました。

そして巻末の評論家の佐高信氏による解説を目にした時、
正にその部分が解説の始めの方に引用されていたのを目にして、
「やっぱりな」という気持ちになりました。

佐高氏個人がその部分についてどう感じたか、
までは書いていなかったのが残念ですが
解説は解説であって感想文ではないのでそれは致し方ないのでしょう。

後日、本を貸してくれた彼女に感想を訊かれ、
何だか久々にかかってきた友人からの電話を素直に喜べなくなりそうだ、
とぼやく私に彼女が一言。

「どうせ一ヶ月もすれば忘れてますよ」
女性というものはある意味、男性に関しては、本人以上に相手のことを知っているものらしいですね。