「人それぞれに事実があり」


『”正しさ”や”好き嫌い”が異なる!!』


人それぞれの「食べ物の味の好みがその一例だ!」


『食べ物の味の好き嫌いは、許せても!』


「物事」に対しての好き嫌いは、


『論争になる!!』


・・


食べ物の好き嫌いは”許し合える”のに、


(まれに論争にはなるが、尾は引かない)


「物事」となるとそうはいかない!!


この出来事が、


『正しい!正しくない!!』


と、討論が始まる!


・・


「元々何が正しくて、何が正しく無いか?」


なんて、ありはしないのに。。


『人それぞれの事実があって』


「人それぞれ信仰する宗教があって」


「人それぞれの好きな野球チームがあって」


「人それぞれの味の好みがある」


(初対面の方との宗教と、好きな野球チームの話は、一般的に避けた方が良いと言われている。。)


例え、


「育って来た環境が同じ、兄弟や姉妹」ですら、


違うというのに、


『何が正しくて、何が正しく無いか?』


は、意味が無い。。


・・・・


「無差別に殺人を犯す事」は、


悪い事だと分かるが、


『戦争』が始まったら、


”どれが正しいか?”なんて分からなくなる。。


見逃した子供が成長し、


”戦果を覆すドデカイ事をやらかす事”も、あるだろう。。


「復讐は、復讐を呼び」


『終わらない戦い』になる。


どこかで、


『折り合い』を付けなければいけないが、


互いが納得する事は、難しく、


時間と共に、


「再び、再燃し」


『協定が破棄されたり』


『国の法律ですら、都合良く変えてしまう!!』


・・・・


「元々何が正しくて、何が正しく無いか?」なんて無いのだが、


『法と秩序ですら、いつの間にか誰かによって決められたモノ』


(自分で決めた自覚がある人がいるだろうか??)


その国にいる限りの”ルール”だ。。


しかし、


そのルールの隙を突いて、


行動したり、


”人をだます商売”もある。。


・・


「宗教の自由」は認められているが、


「キリスト教とイスラム教が手と手をとりあう日」


は、訪れるのだろうか??


・・・・

・・・・


『何が正しくて、何が正しく無いか?』


は、無い。。


『人それぞれ』である。。


『愛』という言葉でさえ、


”人それぞれ”だ。。


「愛している」


という言葉は、とても曖昧だ。。


「とっても好き」
「死ぬ程好き」
「全てが好き」
「いつも隣にいて欲しい」
「他の事はどうでもいい」
「訳も分からず好き」
「とにかく好き」
「とにかく愛してる」
等々。。


”人それぞれの愛”があるだろう。。


・・


『愛と言う言葉』に、


”損得勘定”は無い。。のか??


無いと思いたいが、


愛していた人が”落ちぶれたり”


”気に入らない行動(浮気を含む)”をとり始めると、


例え式を挙げて、


皆の前で『永久の愛を誓った二人』だとしても、


”離婚”する事があるからね。。(苦笑)


損得勘定が『愛』に関わっていないとは、


思えない。。


・・


『愛』と言う言葉の曖昧さ。。


それに比べ、


「”自分が”好きか?嫌いか?」


と言う言葉の方がしっくり来るが、


『最終的』には、


『その時!自分が気に入るか?気に入らないか?』


で、あると思う。


・・


「何となく好きだ」
「何となく嫌い」


は、


「意識的に頭で考えている感じ」がするが、


『何となく気になる』
『何となく気に入らない』


の方が、


『心』から
『意識的と”無意識”』から、


感じた”自分の答え”だと思う。


・・・・


人それぞれの


『気に入るか?気に入らないか?』


があり、


”自分自身の”


『気に入るか?気に入らないか?』


が”現在の自分の世界”の


『全てを決めている!!』


・・・・

・・・・


「一人の人間」としては以上であるが、


『アーティスト』としては、


”最終的”に、


『より多くの人に!』


『何となく気に入られるか!』


で、勝敗を、


『商売として成り立つか?』


が決まる。。


「気になる見た目」
「気になる曲」
「気になる歌詞」
「気になる言動や行動」

『気になる歌声!!』(笑)


アーティストは”多才”で無ければ、


『気に入られない!!』


かなり計算が必要な仕事だ。。


・・・・

・・・・


因みに、


「気に入るか?気に入らないか?」


に、該当しないのが、


『無関心』だ。。


「気に入るか?気に入らないか?」


も、考えてくれない事だ。。

m(__)m